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どうしたら幸福になれるか


 皆さん、幸福とは何か?とかどうしたら幸せになれるかとか考えたことがありますか?
 僕はどういう状態が幸福かと高校生くらいから考えてきました。世間に漏れなく、結婚して子供を作って大きな家で幸せに暮らすというイメージを描いてきました。青年期も、誰か好きな人と仲良く過ごすとか、自己実現をするとかが幸せなのではないかとか、そんな風に考えてきました。
 しかしながら、大人になっても色んな意見や本、世間の考えに惑わされ翻弄されてきたように思います。また、恋人と別れたら物凄く辛い。幸せとは程遠い状態に陥っていました。
 あなたの幸福、他の人の幸福、幸福は人それぞれ違うとかよく言われているかと思います。
 また、過去にも人々は幸福とは何かを探し求めたり、思考してきたものです。
 日本で有名な幸福論ではヒルティの『幸福論』、アランの『幸福論』、ラッセルの『幸福論』があるそうです。現代で言えばベストセラーになった岸見一郎の『幸せになる勇気』なんかも有名かと思います。今日は僕なりの拙いながらの幸福とはどんな常態か、幸福にはなるにはどうしたら良いかを書いていきたいと思います。

幸せのかたちは人それぞれ?

 よく幸せのかたちは人それぞれとか、ゲームをやって一人で暮らしているのが幸せな人もいれば、結婚して子供を作って家族と楽しく暮らしていくのが幸せな人もいるとか、自分のやりたいことを突き詰めていくのが幸せな人もいるとか、人の数だけ幸せのかたちもあるとか言われています。お金があっても幸せになれないとか、お金がないと結局幸せになれないとかもよく聞くフレーズです。

 衣食住足りてとか、お金があって、優しい配偶者がいてとか、美人で誰からも愛されてとか人によって幸福が違うというのは、そりゃ人それぞれ趣味嗜好も違い、価値観や好きなこと、得意なことも違うわけで、経験してきたこと、所属している社会の文化的背景とかそりゃ様々ですから、そういう意味で言えば「人それぞれ」だなと思います。

しかし、「幸福とは何か」は古今東西考えられてきました。僕も僕なりに色んな人を見聞きし、考えを読んできた中で僕なりの答えが色々な苦しみを超えて見つけてきました。以下に説明していきたいと思います。

誰でも実践可能な幸福な状態について

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 幸福とは、何か?誰にでも当てはまるのは、それは「幸福だと感じていること」です。幸福だと感じているのが幸福な状態です。
 そんなの当たり前じゃねえかとか思うかもしれませんが、結構重要です。
 幸福のかたちは人それぞれとかいうのはまさに、人間の外側の環境などについて話していることが多いのではないかと思います。それだと、趣味嗜好や価値観や置かれた環境はもちろん違うので、人の数だけ幸せのかたちがあることになってしまいます。
 しかし、そうではなくて、幸福というのは人間が幸福とイメージするものを感じていうことととするならば、そんなに多種多様な感覚ではなく、いくつかの共通した感覚があるのではないかと思うのです。


 自分が幸せだと感じていることと、自分の置かれた環境とは関連もしていますが、やはりそれぞれ独立もしているわけです。
 この記事の序盤で挙げていた幸せのかたちは、どれもここで言う人間の外側の環境のことなんです。正直外側の環境のことまで考えると、幸福とは何かがややこしくなるので、「自分が幸福だと感じているということ」だけに目を向けて考えてみましょう。
 
 「自分が幸福だと感じているということ」が幸福な状態であるならば、それは感覚的、感情的なもので言葉に表すと「温かいものに包まれているような安心感」と「生きている喜び」といったような感覚が多くの人にとって共通した感覚なのではないかと思います。
 「温かいものに包まれているような安心感」と「生きている喜び」といったような感覚を得たいのであれば、得る方法はあります。
 それは自分を言葉で語りかけ愛し続けて、OKを出して、認めてあげればよいのです。これは自己虐待とはで書いた手法と同じです。
 とにかく色んな角度から、四六時中自分を肯定すれば良いのです。自己肯定をもう少し発展させるならば、「自分最高」って自分に声をかけながら人生を生きていくことで、先程説明した幸福感を感じられるかと思います。

 この幸福感とは自尊心が高いとか、自己効力感が高い状態で生きていくような、心が温かい、そんなイメージの幸福感です。

 ここで自分を愛していくとか、自分が最高だとか感じながら人生を生きていくのってどうしたらええの?っていう問いに対する答えは自己暗示にあります。
 自己暗示ってすごいもので、「こんなんじゃダメだ」ってよく考えがちな人は落ち込んだ状態に陥っていくと思いますし、「自分最高、自分大好き」って頭の中で考えがちな人は温かい感じに包まれていて、なんか大丈夫な気がしてくるって感じです。
 これって、誰かの仕草やSNS見て比べて傷つかない状態になるメンタルを手に入れた状態です。
 僕はこの状態になると幸福な状態と言えるんじゃないかと思っています。

自分の能力を発揮してやりたいことをやれているときも幸せ


 もう一つ、僕が思う幸せな状態のかたちがあります。
 それは自分のやりたいこと(自分の価値観を満たすために、自分の能力を発揮しながら、自分が好きな分野で、自分が好きな人と)をやれているときも、何とも言えない幸福感感じれることあるんですよ。
 他人と過ごすことで幸福の全てを得ようとするのは無理があると思うのですよ。
 どんなに愛しい相手や仲の良い友だちであっても、その人のある要素が気に食わないとか、合わないところがあるってのが普通なんだと思います。
 一人でも幸せとおっしゃる方もいるかと思います。芸術に没頭したり、大きな仕事に取り組んでいるときも人間は幸福感を感じると思うんです。ここではやはり人間てホモサピエンスなので他者との関わりでどうしても強い幸福感を感じるように出来ていると思うので、やりたいことをやって他の人の役に立っている感覚や、一緒に取り組んでいる感覚もここでの幸福感に重要な役割を持っているんではないかとは思っています。
 

  やりたいことをやるのが幸福だという主張に戻ります。
  芸術家の岡本太郎曰く、自分の好きなことに挑戦している時点で成功だという言葉を残しています。
 成功ってのも周りにどれだけ影響を与えられているかっていう外的な要因を想像する人も多いかと思うんですけど、これも内的な成功っていう概念が確実にあるはずなんですよ。つまり、自分の限られた人生の中で自分の身体と頭を使ってやりたいことやってたら、それって自分がコントロールできる最大のものである自分を使って精一杯やれているって考えられたら、それはもう成功じゃないですか?

まとめ

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 異論反論はあるかと思いますが、僕なりの幸福論を語ってみました。
 まだイメージを全部言語化できてないので、幸福とは何かについて深めていくためにも、補填するためにもまたこのテーマで記事を書きたいと思います。
 この幸福論の一つの形に気が付くと、過去も今も未来も同じっていう感覚を感じられるかなと思います。飽くまで感じられるっていう感覚なだけではありますが、自分がずっと続いていくような、自分はどの時期であっても、そこから自分のやりたいことを始めることができるような、そんな感覚です。
 スピリチュアルな感じではないですよ(笑)
 単に自分に対する認識の習慣です。結構気持ち良い感じです。今まで過去に悩んできたこととかがバカバカしく感じられるような感覚です。
 もちろん幸福を感じた翌日には翌日で悩みモードに入って、感じている幸福とは違う感覚を味わうことになっているかと思いますが(笑)

 お金や恋人、結婚相手を求めて彷徨って苦しんでいる人が多いのではないかと思って、今回の記事を書きました。
 幸福感を感じたいのに、あなたの外側の環境を変えようと努力しても努力しても、幸福感を感じられない人にはぜひ今回書いたことを実践してみて欲しいなと思っています。
 自分の外側のことを努力したり追いかけたりしすぎて疲れてしまう前に、内面的に幸福な状態になるのを優先してから再度外界のことに注力したら良いのではないかと考えています。
 その後に、資産形成したり、勉強したり、人を愛したり、自分磨きしたり、どういう人生にしたいか(外界について考える。どこに住んでどんな暮らしで、どんな人と生きるか)を考えた方が、気持ち的に安定して粘り強さも出そうなので、良いんじゃないかという提案でした。
 ※もしかすると、内面的に幸福な状態になるとハングリーさが失われるかもしれませんが、そんときはすいません(笑)

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