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87.福祉の起源

まずは宮沢賢治さんのお言葉…。

“世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。”

人類の歴史は戦争の歴史が華々しく語り継がれがちですが、実は同じぐらい助け合いの歴史でもあります。

民主主義の社会が生まれるきっかけを作った1789年のフランス革命は有名ですが、フランスの三色旗は自由、平等、博愛(連帯)を意味し、対等平等な個人が、互いに支え合って生きることの重要性を示しています。

社会力という言葉があります。

社会力は、他人に関心を持ち、関係し合って、互いに支え合う力…繋がりのことです。

現代の社会は人と人の繋がりが弱くなってきているように思えます。

家庭にひきこもったり、仕事や社会生活から遠ざかったり、他人と関わることを煩わしく思ったりする人が増えていくと、社会力は衰えていきます。

そんな社会力には福祉が重要になってきます。

現在の日本では、福祉と言うと、公的扶助やサービスによって生活をより良くすること…生活を安定させることという意味で使われることが多いです。

元々は、幸福とか豊さという意味で使われていました。

1946年に制定された日本国憲法の25条で社会福祉について述べられたことを機に、主に公的扶助やサービスによって生活をより良くする等の意味として使われるようになりました。

1946年以降も、社会全体での豊かさを目指す法律や制度には福祉という言葉が使われてきました。

現在、福祉サービスの種類は子どもや高齢者、ハンディキャップがある方など…あらゆる人が豊かな生活を送れるように多種多様な支援を行っています。

でも歴史を見ると、もっと以前から多くの人が、困っている人たちに手を差し伸べてきましたし、いつの時代も人々は助け合って生きてきました。

日本では、聖徳太子さんが四天王寺を建てるにあたって、四箇院の制をとりました。

四箇院とは、敬田院、療病院、施薬院、悲田院の4 つのことで、敬田院は寺院そのもの、施薬院と療病院は薬局と病院に当たります。

悲田院は病者や身寄りのない老人などの為の社会福祉施設です。

四天王寺は現在も学校法人四天王寺学園を経営しており、国際的な視野の中で仏教教育を実施しています。

社会福祉法人四天王寺福祉事業団を中心に悲田 、施薬 、療病の各事業を継承しています。

実は聖徳太子さんは存在しなく、蘇我馬子さんがやったのでは…なんて言われたりしていますが、どんどん資料が発見されて歴史が変わっていくのはおもしろいです。

世界では、ローマの圧政に苦しんだキリスト教徒が、信者の相互扶助を行いました。

こうした救済を慈善と言い、キリスト教以外でも慈善活動が行われてきました。

慈善活動は、裕福な人が貧しい人や恵まれない人にお金などを与えて援助するものです。

最初は個人的な活動でしたが、次第に、援助する為のグループが生まれてきました。

また、貧困や病気は、個人的な問題ではなく、社会が造り出した問題だというように理解されるようになり、社会的に恵まれない人たちを援助しようとする活動が生まれました。

更に、学生が地域住民と一緒に地域の様々な問題を解決していきながらお互いに成長していこうというセツルメントという活動も活発化しました。

これは、恵まれない人たちの生活を後押しして、自分で生活できるように援助する活動として始められたものです。

セツルメントがヨーロッパでの社会事業の始まりとされています。

アメリカの16代大統領のリンカーンさんは、国民のひとりひとりが主人公であり、黒人を差別しないようにと訴えました。

このような動きが、差別をなくし、弱い立場の人を支える考え方を社会的に強めてきました。

1950年代にデンマークで生まれたノーマライゼーション(ハンディキャップがあっても同じ条件で生活できるようにすること)は、現代福祉の基本となって大きな影響を与えています。

このように日本でも世界でも、人々は人間の幸福の為に様々な仕組を考えて、実践し続けて今に至っています。

日本の福祉は、救貧政策→社会保障制度→児童福祉→障害福祉→高齢福祉という大きな流れで発展してきました。

救貧政策として恤救規則から始まりましたが、“無告の窮民”に対してのお米代という僅かな現金給付のみという残念な規則でした。

イギリスもまた、エリザベス救貧法という救貧政策から福祉は始まりました。

日本ではその後、米騒動を機に救護法が制定されて、現在の生活保護の原型ができました。

同じ頃に、初の社会保険制度となる健康保険法が制定されて、その後、船員保険法や厚生年金保険法など労働者を守る為の社会保障制度が整備されていきました。

戦後間もなく、労働基準法や失業保険法も整備されました。

世界初と言われるドイツでの社会保険制度も、疾病保険法、災害保険法といった労働者保護の為の制度でした。

現在、日本の福祉の主な対象者として挙げられる高齢者、障がい者、児童の中で1番早く福祉の対象になったのは児童です。

1933年には児童虐待防止法が制定されました。

ちなみに、戦前の児童は14歳未満が基本でした(感化法や工場法では少し異なります)。

戦後すぐの福祉三法の中で、生活保護法の次にできた児童福祉法は、現在でも児童福祉の中心になっていて、その後1960年代には児童福祉六法が整います。

障害福祉は戦後の福祉三法の中でも最後に制定された身体障害者福祉法が最初で、次に福祉六法の一角として精神薄弱者福祉法が制定されました。

その後、 心身障害者対策基本法、障害者基本法、知的障害者福祉法、障害者自立支援法、障害者総合支援法など、目まぐるしく法体系が変わってきました。

高齢者福祉は最も遅く、1963年に制定された老人福祉法が中心になり発展してきました。

2000年に介護保険法が制定されてからは介護保険法が中心になりつつありますが、現在でも老人福祉法はあります。

老人福祉法では救護法で規定された養老院が養護老人ホームになったことは有名です。

このように高齢者福祉が最後だったわけですが、日本の福祉は高齢化とともに進んできました。

そういう意味で、高齢化社会を迎えた1970年以降、高齢者福祉の重要性は急速に拡大してきました。

戦後の日本の福祉は、福祉三法→福祉六法→福祉八法→福祉八法改正と整備されて、戦後福祉のターニングポイントは、福祉元年と福祉八法改正と言われています。

1973年の福祉元年までは高度経済成長の波に乗って施設などが拡充されてきましたが、同年のオイルショックと高齢化の波によって福祉が縮小、調整期に入りました。

福祉元年のポイントとしては、70歳以上の老人医療費無料化、高額療養費制度の創設、年金の物価スライド導入が挙げられます。

1990年の福祉八法改正では、高齢者と身体障がい者の入所措置権限が町村に移行されました。

そして、老人保健福祉計画が義務化され、在宅福祉サービスが第二種社会福祉事業になりました。

世界でも日本でも、福祉の始まりは救貧政策からですが、それは貧困は誰にでも起こり得ることで、全ての人が対象になるからです。

そして日本の戦後福祉の流れで最大の特徴は、高齢化に伴う政策が中心で、急速に進む高齢化に対応して日本の福祉は進んできました。

1970年に高齢化社会(高齢化率7%)になり、1994年に高齢社会(高齢化率14%)、2007年になると超高齢社会(高齢化率21%)になりました。

1963年の老人福祉法に始まり、1982年の老人保健法、2000年の介護保険法、2008年の後期高齢者医療制度の流れで進化してきました。

現在の高齢者福祉は、老人福祉法と介護保険法が中心になっています。

世界的に見ると、障害者福祉では国連の障害者権利宣言や障害者権利条約があります。

児童福祉にも児童権利条約などがあります。

しかし、高齢者福祉には、そういうものはありません。

日本の高齢化の勢いは急速なので、高齢化対策や高齢者施策がここまで手厚くなってきています。

介護保険法があるのも日本と韓国とドイツだけという状況で、高齢者福祉が必要な特殊な状況に置かれている国です。

このように、日本国内では一般的になっている高齢者福祉ですが、世界ではまだ当たり前ではない状況です。

日本では、高齢者や児童は戦前の救貧政策の時から対象になっていましたが、障がい者はなかなか福祉の対象にならなかった過去があります。

戦後から、身体障害、知的障害、精神障害の3障害が制度に組み込まれ、障害者自立支援法で3障害一元化され、障害者総合支援法で3障害に加えて難病も支援対象になった流れがあります。

そして、心身障害者対策基本法の流れを汲む障害者基本法は理念が記された法です。

こういう理念法は、高齢者福祉や児童福祉にはありません。

児童福祉法の第1条~第3条までに児童福祉の理念が規定されていますが、その後は児童福祉サービスについて規定されています。

3条まで理念は1947年の制定時から変更されていないのも衝撃的です。

2012年に子供・子育て支援法ができて、現在は児童福祉法との2本立てで運用されています。

世界的に見ても1959年の児童の権利宣言などで謳われた児童の受動的権利から、1989年の児童の権利条約で能動的権利が盛り込まれ、日本は1994年になって児童の権利条約に批准しました。

高齢者福祉には理念すら規定されていません。

そこで、なぜ障害福祉には理念法があるのか…という疑問が出てくると思います。

それは、児童や高齢は誰もが辿る道であり、それに対して障害はそうではありません。

未だに差別や偏見もなくなっていません。

様々な考えを持つ人々がいることによって、基本的な理念を定める必要性が出てきます。

世界的に見てもノーマライゼーションの理念が初めて盛り込まれた知的障害者の権利宣言から、障害者の権利宣言、国際障害者年、国連障害者の10年、そして障害者権利条約へと、障害福祉の理念が世界的に広められてきました。

日本は2014年に障害者権利条約に批准しました。

…と長くなってきました…。

今日はどうでも良いようで実は少しは知っておきたい歴史を書いてきました。

歴史は生きる上で知らなくても全然問題ないことかもしれませんが、知っておけるなら知っておいた方が自分の立ち位置が理解できて、もっと地に足をつけて生きていけるのかなと思います。

ここで、“世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない”という宮沢賢治さんのお言葉です。

その続きには、我々は世界の真の幸福を模索しよう…みたいなことを書いていたはずです。

宗教や民族の違いによる紛争や世界中で起きているテロ、自然災害、環境問題、そして国内でも原発問題などが未解決のままになっています。

国民ひとりひとりが、世の中で起きている物事を他人事にして、自分1人だけの利益を求めているだけでは、豊かな幸福な社会にはならないと思います。

自分が属している社会…世界や未来の人たちに対して、どのようにより良い幸福な環境を残せるかについて、どこまで関心を持って、どこまで貢献することができるかにかかっていると思います。

おそらく、今のままでは未来の人たちは大変な思いをするのではないかと考えてしまいます。

1番の敵は無関心でいることと何事も他人事になってしまうことかなと感じたところで、今日のお勉強は終了します。

写真はいつの日か…、札幌市内で空を撮影したものです。

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