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充電期間のこと

 もう春か。今年はなんども呟いている。感慨深いから。
休学から1年。未だ取りまとめられていなかった不思議な日々を振り返ってみようと思う。

2022年2月末 春を感じた広田の海。


この1年は、充電期間、自分を耕す期間だった。

正直、何をやっていたかうまく言えない。1年もあればもっと目に見えた成果やスキルアップを起こせたかもしれないが、明確に言い表せるようなものはない。でも、それがないことこそが1年の成果かもしれない。


こっちだな、
こうじゃないな、
このリズムがいいな、
大事にしたいことはやっぱりここにあったな
を確かめながら生きていた1年

今まで自分が生きていたのとは違うリズム感で生きている人たちと出会って、こういう風にも生きられるのかと知った。
農の人、生業がたくさんある人、旅人、ものをつくる人、海にでる人
それぞれのリズム感
それが美しかったし、わたしはこれがいい。

競争しなくても自分の信ずるものをつくることで生きている人たちがいる
そういう世界が本当にある
その感触を無くさないように、身体に染み込ませ続けたい。

これから書くのはこの1年のバラバラとした思い。
(このnoteにやったことは書きません。感じたこと考えたこと)

最初に訪れた土地、下蒲刈島の海。

・~・~・

 今年度は例年よりも本を読んだ。本と触れ合う時間が増えて思い出したのは、本がそばにいてくれることの頼もしさだった。
他人が考えたり紡いだり空想したりしてきたものが、今の自分の戸惑いや揺れにひかりを注いでくれたり、困りごとに寄り沿ったり応答してたり、知らないでいたことを見せてくれたりする。そのそっと居る頼もしさが好きだ。

 本はいつも気持ちを楽にしてくれるわけではない。楽しいだけでもない。揺さぶりいろんなところに連れて行ってくれるからこそ頼もしい。上間陽子さんの『海をあげる』という本を読んだ。沖縄出身の上間さんは地元で若年出産の母親たちの調査をしている。沖縄で暮らす女性・母・研究者として見える現実とやるせなさが綴られたエッセイで、1章1章読むごとに重く体に響く感じがした。沖縄の土地を歩き、海を眺めることが必要だと思った。
 知らなかったことを知ることは、知らないときには戻れないしんどさがある。見てこなかった場所にしんどさが抱えこまれているのを、もう見過ごすことはできない。それは私にとって重要で必要なことだ。

海をあげる。インスタに上げた記録。

 わたしは世界のすべてを知ることができない。分かってはいるけれど、自分が誰かを踏みつけていることを知らないで生活するのを後ろめたく思う。
これはひたすらに私のエゴで、解決への活動に達することもできない身勝手で自己満足な思いでしかないのだけれど、今の私はそれを手放してはいけないと思っている(それに問題があるとも思っている。考えていきたいこと。)そんな私に船を出してくれるひとつが本なのだ。本に触れる生活を自分の中に取り戻してきたことは良かったし、わたしにはその生活が必要だとわかった。

 そして、後ろめたさは私の原動力の1つだと思うようになった。知らなければと思い続けることは私にとって必要で自然な営みだった。知らないでいた時とは世界が変わって見えてしまうことが私には重要だからこそ、それをできる空間を私はずっと持っていたいし、わたしはそれをつくっていくのだなという想いが強くなっている。思い描いてきた場所をつくる感覚は近づいてきている。

 これからも彷徨うし、難しいことはあるだろうけど、わたしで居ることにこだわる営みをわたしはしていたい。

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助けて

 頼ることや困っていると言うこと。まだうまくできないけれど、「困ったら他人に助けてって言えばいい」って思えるだけで心持が違う。今までは自分で(が)全部やらなきゃって思って、やろうとして無理でギリギリで助けてもらうとか期限を延ばしてもらうとかしていたけど、作業をそもそも分配するとかここからは出来ないと言うとかするようになった。

助けてもらうことできるというセーフティクッションが1枚あるだけで全然違う。("も"なのがたぶん重要。)助けてもらうことで他人とつながれるし、助けてもらったことに対して丁寧に関係性をまた作っていくことで互いに嬉しい状態が作れるよねという風に思うようになった。

 旅をしていると、助けてもらわざるを得なかったり、ゲストとして好意でギフトしてもらったりする場面が多いから、それを気持ちよく受け取ることを大事にしていた。してもらって申し訳ないよりも、してくれてすごく嬉しい、ありがとうございますを伝えることを集中して考える。負担はもちろんかけるのだけど、無理がない範囲でやってもらえることをちゃんと受け取りたいし喜びたい。いい習慣ができたと思う。

ご馳走してもらった豪勢な昼食。

助けてくださった皆さんありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

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働く、生活する、生きていく

 思っていたよりいろんな仕方があると知った。自分にとって意義があると思うことがそのままお金につながらないことも多々あるけど、別で稼いだり、食料をつくったりできる。衣食住をもっとシンプルにすれば、生きていける。もちろん、外食したいし、お洒落したいし、カフェで珈琲を飲みたいし、本も読みたい。お金は必要だけど、お金を受け取るための働きを第一にはしたくない。それに、工夫すれば買う以外の仕方もあるしね。

  旅がらすでも生きていけるし、それをするのは不幸じゃないと本当に思った。私は両親から「就職しないでいいよ。旅人になってもいいよ」と言われていたし、それはありがたく大事に握ってきたけど、まぁ定職に就くんだろうなとなんとなく思っていて、旅人は選ばない道だと思ってたのだと気づいた。せっかくなら自分がしたい繋がり方で社会とつながれる仕方を選びたい。勤めるからこそ見える景色は必要な場面はあるだろうけど、他人にお任せしてもいいかもしれないと今は思っている。

それぞれ。

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結局私が面白いと思っていること

 文化的で社会的であること。自分の後ろめたさがあるからこそ、想いを馳せるをともにできることや、それぞれにコミットしている人がいることが私にとって重要なのだと思う。社会のシステムの不当さや納得いかなさに気づくこと、リアクションすることができるような場所。自分で居ようとする営みや小さな願いを大事に聞き受け取って表現しようとする人がいること。仲間がいてほしいし、やっぱり土地以上に人に惹かれる人なのだなと思う。

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乱れると戸惑う

 静けさ。乱れるとストレスだと気づいた。だからこそ意識的に自分のスペースを確保することでバランスをとるのが大事だと何度も思い知らされた。

山尾三省さんの詩。

 もう一つ、乱れると戸惑うのが空間の調和。旅先での生活は様々な立場、感覚、生活習慣の人々との共同生活だったから、トラブルもしばしば起きたし、自分がザワつくこともたくさんあった。人が集まるとそれなりにすれ違う。全く本心ではない波風が立っているときはすごく嫌で、どうにかできないかと心を砕くのがしんどくなってしまう。
できれば調和がとれていてほしいけれど、乱れることが必要な時もある。なにかを満たされないことへの表現ができてるからこそ、空間が揺れてまた調整される場合もあるからだ。反対に、表面的に調和しているのは問題をひた隠しているだけでよくないと思う。

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分かち合えない

 冬には曾祖母の葬儀があった。ちょうど実家に帰っていた私は葬儀の準備から後片付けまで諸々の準備を傍らで見て、時たま手伝っていた。「家族」って名前によって親密なに見えるけど糸は細くて長かったりして親族の中でもすれ違いは起きる。

家族ならわかってくれるだろうという思い込みや、大事な人だからと思う時に、思想の違いや生活の振る舞いの違いががバンッと表出してしまう。つい大声が出たり、不機嫌になったり、嚙み合わない。
家族・親族なんて、そんなことばかりなのだろうけれど、締め切りとお金と気持ちとが迫ってくる葬儀は私にそれを見せつけてきて、しんどかった。そんなもんだと割り切れるほど慣れていないし、みんな大事にされてほしいと思っているのにうまくつながれないのがすごい悔しかった。年齢や続柄的にも意見をする立場でもなく、間を取り次ぐこともでできず。しかし少し離れているからこそすれ違いが見えていて、みんなお互いのこと大事にしたいはずなのになと思ってしまって、やるせなかった。

どうして分かち合えないんだろうか。悲しいし悔しい。どうにかできないかと未だに考えるけど、分からないまま。関係性につく名前とそれぞれにとっての自然な考え方の折り合いのつかなさをすごく感じた。



ひぃばあちゃんの手



(曾祖母とのお別れ自体は、十分に祈りと感謝を伝えたなと思っている。危篤から死までの間、充分な静けさを持っていられたから。)



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リズム

 生活のリズムがあることはとても重要だ。ご飯を作る、洗濯するとかを自分でしないと、時間が溶けてしまう。出来事や考えをうまく覚えてられないし、無気力になる。家事は生活を区切ってくれるし、動き始めの理由になる。(大抵面倒くさいのだけれど)小さな動く理由が用意されていることは大事。動き始めを作り出してくれることで動けるのだ。

鷹の爪入れすぎたパスタ

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不安との付き合い

 3月、休学中に何をするかもどこに行くかも決まっていなかった。落ち着かない、鬱陶しい、イライラする。そんな感じだった。わたしも不安だし、父や母の不安にも共鳴して受け取るしで不安が増大。先が見えない、段取りができない(私にとって大事だと最近分かった)、分からなくて動けないストレス、戸惑いが不安として出てきていた。

 しかし、明日何してもいい何者でもない暮らしをしていると、予定が決まっていないことは不安に思う必要のないもので、それに周囲も徐々に慣れてきてくれて、もう冬くらいからは急かさないでくれている。私は私で、彼らは彼らだとも思えるようになった。そわそわすることはもちろんあるが、時を待つことができる忍耐や余白ができた。その軽やかさや動じなさを身に着けたことは大事だったし必要だった。この体感は持ち続けていたい。

 だから、去年の秋冬の私の不安の大きさを今思うとびっくりする。不安が和らいでゆくきっかけは、2月に体験に行った農園のオーナーさんだった。実は、当初はその農園で畑仕事をして1年を過ごすつもりだった。一度体験においで、とのことでジャガイモ掘ったり、小豆の選別をしたり、子どもと遊んだりして1週間過ごした。
 滞在中、オーナーさんが丁寧に面談してくれて、でも私はどうやったらこの農園に居させてもらえるのか、いつからか、お金はどれくらいかかるかを質問していた。そんなわたしにオーナーさんが話してくれたこと。(うろ覚え)
「すごい不安なんだね。色んなこと先々考えて不安になっているのは仕方がないけれど、不安に思わないでも大丈夫なんだよ。僕も最初の3年は畑でぼーっとしていたよ」
あの時もらった言葉は、随分とお守りになっていた。焦らず、じっくり感じて決める。そうしていたら、軽やかさも動じなさも身にまとっていた。あそこから始まってよかったし、もらった言葉を1年かけて理解してきたなぁと思う。

 このエピソードは、休学しようかなと悩んでいる友人によく話している。人は不安よりも不幸を選びがちだというから、わざわざ変化をおこして不安のなかに漕ぎ出ていくエネルギーのは当然大きいもの。不安は感じるし、悪いものでもない。ましてや感じてはならないものでもない。でも、不安に追われるのはしんどい。だから、不安に思わないでも大丈夫。追われない程度の不安とうまく付き合っていこう。大抵やっていけるし、本当は何をしないでもいいんだから。

芋を掘って、一息つく。風が山が気持ちいい。

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聴くこと

 自分を観察するふるまい。たくさんの他人と居る中で、自分が何を感じているかを逐一観察していたら、NVC的なスタンスが自分になじんできた感覚がある。だからこそ穏やかでいられる。けれど、同時に聴くスタイルが固定化されているなぁと思う。うまくリアクションが返せないとか、普段口をつぐんじゃうとか。
聴くことは、聴きたいとかいうより、聴いてほしいことを聴くよというスタンスでいるのだけど、なぜそれをやってるんだっけと思う。手ごたえがないし、自分にモヤモヤが残っちゃうとか、エネルギーが使い果たされちゃうなとかどうしたらいいだろうというのがある。

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あそぶ

 身体が笑う。ケタケタ笑う。たくらむ。駄々をこねる。原っぱで大の字で寝る。裸で川に入る。木に登る。いっぱい寝る。友達とたくさん喋る。
子どもで居られる場所、屋久島。だってしょうがないじゃん‼‼‼‼みたいな純粋さまでも屋久島では出すことができる。そこにいる人たちとの関係性も相まって。

ガジュマルさんと。

 ただの消費じゃなくって、空き箱工作とか公園遊びみたいな工夫してあそぶがオモロい。お金を受け取るもその延長線上にあるはずだよなと思う。消費することでしか遊べないよりも、創ることやありものであそぶのを楽しめるひとで居たい。生活の知恵、タオルお風呂に沈めてクラゲにして遊ぶとかね。
屋久島も篠山も、一緒に遊んでくれる人がたくさんいて、忘れかけていたあそび方もたくさん教えてもらって、にぎやかでつい笑っちゃう日々だったな。忘れないで居たいのでみなさん一緒に遊んでください。

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余所のお家のカレー、生だこの刺身、あら汁、お好み焼き、おうどん、唐揚げ、ツワブキの煮つけ、アジの煮つけ、自家製パン、手作りマーマレード、自家製窯焼きピザ、屋久鹿カレー、モンステラ、MOSSの心のこもったお弁当、笹の葉のお弁当、平飼い卵、パン、サラダ、お味噌汁、サバ節クリームチーズ、アボカドディップ、りんママのミートドリア、磯の香の唐揚げ、竈で炊いた新米、里芋の皮の唐揚げ、生バジルのジェノベーゼ、ココナッツサブレ、ヴィーガンバター、サバ節ポテトサラダ、鳥ハム、奇跡のトマト、黒枝豆、たい焼き、栗ご飯、ビッグシュー、おでん、ローケーキ、麻婆豆腐、シリアルバー、おにぎり、ミートボールパスタ、焼き鳥、まかない丼、メカかま煮、サバの味噌煮、天丼、ほや、セリ鍋、コッペパン、バターポテト、アボカドジュース、お稲荷、バター、シチュー、鳥の丸焼き、ローストビーフ、牛タン、イセエビのお味噌汁、スコーン、おでん、クリームメロンパン、鍋、カオマンガイ、サンドイッチ、鳥皮唐揚げ、柚子胡椒、クッキー、カレースープ、木の葉丼、中華スープ、牡蠣天丼、麻婆担々麺、鹿肉、めかぶのキムチ和え、タコのお刺身、フォー、サメカツ、アジ竜田揚げ、メカカレー、気仙沼ホルモン、タコライス、アワビの肝、ロールケーキ、ラーメン、じゃがいも、豆餅、わかめ、カレードリア、天そば、担々麺、カキフライ、はちみつ、HBパン、パスタ、ヴィーガンアイス、きんかん、ハンバーガー、トビウオの唐揚げ、にくじゃが、ホットサンド、燻製のおさかな、ハヤシライス、お刺身、バスクチーズケーキ、焼きそば・・・

ざっと旅先で食べたごはんたち(何も見ずに思い出せたものたち)(執着がすごいな)

わたしにとって食べ物が一番食いつくものなんだなっていうのを認識した。興味のエネルギーの注がれ方が一番勢いがある。食べ物がおいしい、おいしく食べられることは本当に大事。ありがとう。

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うごめき

パンを焼く。

 アートが気になってきた。アートって言わないアートが気になっている。こじんまりした、生活者の手によって生まれてくる工夫や表現の営みが気になっている。そして、それが人々と共有されながら、共同しながら形づくられていくことが気になっている。
 動かすというよりも、自律的に動いてしまうみたいな、ついやってしまう営み(それが楽しくても、しんどくても)そういうところに抜け目があるし、大切なことが大切にされる術があると思っている。そんなうごめきが、つぶされないように、酸素をいっぱい吸えるようにしていきたい。

・~・~・

ただいま

たいせつなひとがいることは嬉しいです。ただいま、と帰れることも。
たいせつなひとに、贈りたいときにギフトして、言葉もすなおに渡して、シンプルに居れたらいいなぁ。

気仙沼で孫になりました。

・~・~・

まとめとこれから

 まとまらない。まとめなのに…
それぞれの土地での日々がこの1年を構成していて、ひとつではないから無理にまとめなくてもいいのかもしれない。ただ、焦らず進んでいくがなじんできたなと思う。自分を耕す期間だった1年、ともすれば遅れているとか置いてけぼりになるとか思ってしまうけれど、今の私は自分が思うように進んでいくことだけを大切にやっている。

軽やかに、どっしりと、そしてわがままにこれからもやっていきたい。

4月が来て、大学生に戻った。うごめきを探求すべくまた、出会いに行く。
今度はひとつの場所にながく関わってみたいと思っている。実験。手を動かすこと、今年こそ実現していくので、どうぞよろしくお願いします。

飄々としたい。(おやつタイム)



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