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パリ軟禁日記 17日目 パリとテニス

2020/4/2(木)
昨日に続き、ウィンブルドン中止を受けて、テニスについての記憶を思い浮かべる。

いま僕のアパルトマンの玄関脇には、次いつボールを打てるかわからないラケットが立てかけられている。3月頭にちょうどガットを張り替えたばかりだった。ガットを張ってくれたのは、個人でそういう商売をしている職人気質のオリヴィエおじさん。テニス仲間の紹介だった。彼が作業場でガットを張り終えるまでの間、近所の公園を散歩した。桜が咲くので有名が公園だけれど、その日はまだ冬のように寒く、いるのはランナーと水鳥ばかり。春の気配はなかった。きっと今頃はきれいに咲いているだろう。今年はこの目で確かめることができない。

「テニス」の語源はフランス語の「tenez」 (動詞tenirの命令形)なのだそうだ。意味は英語のtakeやholdにあたリ、サーブを打つ方が相手に対して発声する言葉だったのをイギリス人が「tennis」に聞こえたのだとか…(ほんと?)。また、テニスの前身となるスポーツはフランス生まれ、その名もジュ・ド・ポーム(掌の遊戯)という。昔はラケットではなく、掌で直接ボールを打っていた。モネの『睡蓮』で有名なオランジュリー美術館の向かいにあるジュ・ド・ポーム美術館は、昔はその名の通り球技場だったという歴史がある。

このスポーツにゆかりあるパリ、テニス人口は多いと感じる。昨年のローラン・ギャロスで刺激を受けた僕は、パリでどうすればテニスができるのか、当時は小学生レベルのフランス語で必死に調べた。そして、通えそうな距離のクラブの電話番号に何件かかけてみた。何回も電話越しで繰り返してもらいながら、必要な情報を聞き出した。パリ市が毎年行っているコースは年間約500〜600ユーロ程度で申し込めるらしく、現時点で空きがある時間帯の情報をメールで送ってくれるそうだ。「ゆっくり話してください」とお願いしても担当のマダムの口調はほとんど変わらなかった。

僕にそのメールが届いたのは7月25日。誕生日だった。パリはその日42.6度という記録的な猛暑日だった。アパルトマンにはクーラーがついてないので、雨戸を閉めて扇風機を回して暑さを凌いでいた。その日は妻の帰りが遅く、夕方から『ぼくの伯父さん』(1958年、ジャック・タチ監督)のDVDを一人で見た。今思い返してみれば、それは特別な日だった。

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