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パリ軟禁日記 16日目 ウィンブルドン中止を受けて

2020/4/1(水)
失ってはじめて大切だと気づくものは多い。
残念ながら、失ったことにすら気づかないものもある。
その一方で、失ったけれど、幸運にも偶然の再会を通じて、
はじめてその大切さに気づくものもある。

ベタな少女漫画の書き出しのようだけれど、僕は恋の話をしているわけではない。それは、思い出に深く根付いた、個々人の心の奥底に響く何か、だ。
本日、2020年のウィンブルドンの開催中止が発表された。言うまでもなく、ヤツのせいだった。どうやらエイプリルフールではないらしい。過去の中止は第二次大戦まで遡るそうだ。毎年5月にパリで開催されるローラン・ギャロス、いわゆる全仏オープンテニスも秋に延期が決まっている。果たして、それも開催できるかどうかあやしいところだろう。多くのスポーツイベントがそうだと思うけれど、今年はテニスも受難の年だ。

テニスとの出会いは小学生の時だった。仲良しの友だちのお母さんが元全国クラスの選手で、地元のクラブでコーチをしていたので、体験で一度やってみた。全然うまくいかず、「いかにボールを遠くに飛ばすか」という遊びに途中から変わってしまったことをよく覚えている。再開は高校生の頃だ。これまた当時の別の友人がテニスをやっていて、勧められたのがきっかけだった。すっかりハマった僕は、高2の冬で同級生たちが部活を辞めていった後も(一応、進学校だった)、高3の最後の大会まで続けた。肌はいつも日焼けで土色だった。

大学に入ってからは、一旦はサークルに入るもウェイウェイしたノリについていけず、5月病のタイミングで煙のように姿を消した。個人でテニスをやるには東京はしんどい場所だった。コートのレンタルをする料金が桁違いに高い。上京したてでテニス友達もいない。区のコートを使うには団体登録が必要で、2ヶ月先の予約をとるのにも抽選待ち…。この時からテニスはやるものから見るものに変わった。衛星放送を契約するお金はなかったので、民放で見られるウィンブルドンが年に1度の楽しみだった。

2018年の夏、いつ最後に使ったか分からないテニスラケットをフランスへの引越し荷物に入れた。テニスをしよう、と思っていたわけではない。「ひょっとしたら機会があるかもしれない」くらいの気持ちだったと思う。それが、昨年の春、ローラン・ギャロスを生で観戦して、何かが変わった。コートサイドで見る試合はテレビ観戦とは大きく違い、選手の息遣いが、緊張が、空気を通じてビリビリ伝わってきた。画面越しには超人に見えた選手も、それぞれ1人の人間だった。あちら側に行きたい。心がざわついた。燃えるような赤土のコートは、失っていた何かを呼び覚ました。

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