パリ軟禁日記 30日目 豆富と思い出
2020/4/15(水)
冷蔵庫の2段目に鎮座する豆富のパック。外出禁止令の前に買ったものだった。海外生活において、豆富はそもそもにおいて貴重だけれども、昨今の状況においては更に手に入れるのが難しい代物になっている。アジア系スーパーまでは約2kmの道のり。リスクを冒して行ったとしても、必ず置いてあるわけではなかった。日本人含むアジア系が多く住むタワーマンションの近くにあるため、入荷したとしても近隣住民がまず買ってしまうのだろう。
この豆富がなくなってしまうと、当分食べられなくなるかもしれんない。とは言え、早く食べないと痛んでしまう。
いかにして、豆富を食べるか問う夫婦。
前日の出し汁が残っていたこともあり、それを活かした肉豆富を作ることにした。乾燥椎茸(これはこれで貴重)を昼過ぎからぬるま湯で戻して、準備をした。調理法としてはシンプルそのもので、醤油ベースの出し汁に砂糖とみりんを加えて煮立たせ、切った材料を落とし蓋で煮ていく。牛肉は硬くなる前に取り出して、最後に戻し入れた。
鍋炊きの白米に出来上がった料理を載せ、煮汁をかける。玉ねぎと旨味と椎茸の香り。牛肉と汁だくな見た目が少し牛丼に似ている。そして、おもむろに豆富を口にすると様々な記憶が脳内をかけ巡った。強烈なフラッシュバックは東京駅南、八重洲にある大好きだった定食の豆富丼、通称「とうめし」定食。おでんと一緒に煮込んだ豆富はそれだけでごちそうだった。しかも財布に優しい670円(当時)。
美味しんぼ、ミスター味っ子、中華一番、華麗なる食卓、食戟のソーマ…数多くの料理漫画で描かれる、いわゆる記憶を揺さぶる料理体験というやつだった。端から見たら、僕の口から金色の光が飛び出し、身体が宙を浮いて、今やガラガラになった上空30,000フィートの航路を渡って日本に飛んで行く様子が見て取れただろう。
最後の豆富、しばしの別れだ…と感傷的になりつつ、半ばやけくそで好きだった京都男前豆腐店の HPで最近の商品を見はじめた。嗚呼、これは夏にネギを刻んで醤油を少しつけると美味しい。更なる記憶の扉が開かれていった。合法的なトリップをしている間、妻はソファーに横になりスマートフォンで何かしている。「買ったよ」
パリ市内でアジア系食材の通販を行う中華系のお店があるそうで、まとめて色々お買い上げ。もちろん、当分お別れかと思っていた豆富も買ってくれていた。サイトから明細まですべて中国語で、これは競争率が比較的低そうだった。僕が後ろ向きに思い出の国に旅立っていた最中、妻はしっかり明日を見て行動していた。
豆富が来たら次は何を作ろう。希望のある夜だった。