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パリ軟禁日記 35日目 日記とは

2020/4/20(月)
マラソンを走るたびに、途中必ず脳裏に浮かぶ質問がある。「どうして、こんなことをやってるんだっけ。」一時の思い付きで参加した自らを呪う瞬間。なぜ日記を書くのだろうか。僕は今その問いを自らに向ける地点に差し掛かっている。

一時の思い付きで参加した自らを呪う瞬間。なぜ日記を書くのだろうか。僕は今その問いを自らに向ける地点に差し掛かっている。

改めて日記とは何か。辞典の定義を要約すると「日々の出来事や行動を記録したもの」であり、それは公私様々な目的において作成される。官庁や公家の行事の記録、旅や航海の記録、そして私的な記録。またその性質として、公開・非公開を前提としているかという点も挙げられる。前者であれば人に読まれる前提で書かれていることになり、必然的に文体や構成に一本筋が通ったものになるだろう。対して後者は、自分だけ分かればよいので誰にも言えない秘密を書いたり、体裁を気にせず感情優先で書くことも許される。いずれのタイプであっても共通する要素としては、筆者にとっての事実的な体験が記録されているということだ。(だからこそ、この「お約束」を逆手にとった日記調の小説やミステリーが存在する。)

最近、チェ・ゲバラが命を落とすまでのボリビアでの日々を記した「ゲバラ日記」を読んでいる。この日記は公的・(限定)公開型の日記のため、書く内容が一貫している。その日の作業進捗はどうだったか、味方との合流の予定、敵対勢力との会談の内容とその成果、すべては革命的活動の文脈で記される。まだ序盤を読んでいるので、これからの展開が分からないけれども、「故郷のXXが恋しい」だったり「この任務が終わったらどうしようかな」というような、彼の感情的な部分は今のところ一切書かれていない。もしくは、本当に革命家はそんなこと思う瞬間すらなかったのかもしれない。

僕の場合は、上の分類で言うところの私的・公開型の日記にあたる。日記研究の専門家ではないけれども、私的・公開型の日記がこれほどまでに流行するのはごく最近のことだろう。誰だってSNSのアカウント一つで全世界に発信できる。おおよその場合は、私的な「見られてもいい」記録から、他者とのコミュニケーション、情報共有、支援・プロモーションが目的だったりする。紙媒体がデジタルに変わるだけで同時性が生まれ、日記という記録の持つ目的も変化することは興味深い。

前の日記でさらりと触れたけれども、僕がこの記録を始めたきっかけとしては3つあった。まず、外出禁止というこれまで経験したことのない状況で、日々の感情がどのように揺れ動くかという興味関心。次に、それをフランス以外に住む友人に届けるのは暇つぶしの読み物として一つ面白いかもしれない、と思ったこと。そして最後に、まとまった日本語の文章を書くトレーニングがしたかったこと。

実のところ、これまでも時々時間を見つけては、僕は日記をつけている(私的・非公開型)。けれども、これを非公開から公開にして、毎日続けるということは、想像以上に大きな変化だった。加えてこのご時世である。基本的に一日中家にいるので変化に乏しく、新鮮なインプットが少ない。毎日朝起きて、食べて、寝ることを書くわけにもいかないだろう。

そう、それこそ小麦粉をこねて、膨らませてパンを焼くように、いかに小さな気付きを形にするか…。昨日妻が焼いてくれたカスタードパンを見ながら、そんなことを思う。なんとか今日も歪ながら日記パンが焼き上がった。味のほどはまだまだ修行中の身ゆえ悪しからず。
いつか職人になれる日を夢見て。

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