マガジンのカバー画像

パリ軟禁日記

55
2020年3月17日、今日から僕らが当たり前に享受していた移動の自由が奪われる。ここ、自由の国フランスで。外出禁止令が施行されたのは、時が真昼を告げる刻だった。 軟禁状態にある…
運営しているクリエイター

#ロックダウン

パリ軟禁日記 55日目  ロックダウン最終日に思うこと

2020/5/10(日)  単調で彩のないこの生活を、いつの日か懐かしく思い出すことができるのだろうか。  昼過ぎに、少し離れたアジア系食材のスーパーに買い出しに行った。扉を出る前に、スマートフォンに外出証明書をダウンロードする。もう明日からこいつを気にする必要がなくなるのかと思うと、心が軽くなった。一度ダウンロードしていないことに気づいて、冷や冷やした日もあった。明日から、好きな時間に外に出られるという「当たり前」が日常に戻ってくる。  うどんとラーメン、下処理済みの肉

パリ軟禁日記 40日目 映画についての問い

2020/4/25(土) 好きな映画はなんですか? この問いに答えるのは、簡単なようでとても難しい。付き合って日が浅い人からの場合は特に。 まず、好きな映画の数が多い。基本的には好き嫌いせずになんでも見るタイプだし、見る本数も普通の人より多い自覚がある。それが毎年続いているのでどんどん好きな映画が増えていく。(ある意味、とても幸せなことではある!) 例えば、「ニュー・シネマ・パラダイスです!」と好きな映画を答えたとしよう。すると、この答えを聞いた人は往々にして「この人は

パリ軟禁日記 39日目 呼吸と春

2020/4/24(金) すってーはいてー 呼吸。それは、僕たちが特段意識をする必要もなく、無自覚に行われる営み。燃料がなければエンジンは動かないように、僕たちも酸素や栄養を入れなければ身体を動かすことができない。外出禁止中の街の空気は、以前と比べてきれいで、澄みわたっている。鼻腔で感じる空気の匂いと、気管を流れる「管触り」がいい。 すーっ、はーっ インとアウト。それは内と外の均衡をとることであり、境界を定めること。遡れば、古代中国の陰陽五行であり、ゾロアスター教の光と闇

パリ軟禁日記 32日目 髪の毛と精神

2020/4/17(金) 髪が伸びた。生命活動が維持されていながら、髪を切ってもらうことができない状態にあるので当然である。最後に切ったのは2月14日。もう2ヶ月も経ってしまった。いつも短く切ってもらうので今でもなんとか持ちこたえている(?)けれども、正直どうしたものかと思う。 同様の悩みを抱える人が多いようで、今バリカンがとてもよく売れているらしい。これを機会に坊主頭になるのも悪くない。高校生の時に一度経験したことがある。洗髪は楽だし、普段感じることがなかった空気のブレ

パリ軟禁日記 29日目 日記をデータで振り返る

2020/4/14(火)  パリで軟禁生活が始まってから4週間が経過した。うまくいけば、ここが折り返し地点になる。あと4週間を乗り切るために、今日はこれまでの振り返りをしてみよう。 ◆日記 まずはこれまでの日記をデータで振り返ってみよう。図を参照されたい。 平均をとると、1回の日記で約1200文字弱を2時間ほどで書いている計算になる。原稿用紙で3枚弱。2時間ぶっ続けで書く日はほとんどなく、最初の30分から1時間は「さて何を書こうか」と考えたり、その日の新聞を読んでネタを探

パリ軟禁日記 24日目 「バーガー職人」

2020/4/9(木) 様々な記録がそうであるように、記録が破られる瞬間というのは往々にして唐突に訪れる。 じすい100パーセント…ここまで続いた偉大なる記録は軟禁24日目にしてあっけなく終わった。実は、この日記がどれくらい続くか実験しているのと同じように、自炊についてもどこまで行けるか挑戦をしていた。記録は途切れたけれど、悔しさはない。あるのはもう、圧倒的な満足感だった。 近所によく行くハンバーガー屋さんがある。 その名も、L’Artisan du Burger -「

パリ軟禁日記 23日目 クビの危険

2020/4/8(水) 今回の騒動の発端とされている武漢の都市封鎖が本日付けで解除されたそうだ。実に76日ぶり。ななな、ななじゅうろく日である。2ヶ月半。僕がいる地点はまだその3分の1にも満たない23日目なのであった。正直、気が遠くなる思いだ。 武漢では他都市との間の交通機関が再開され、春雪の際に武漢にいたために身動きが取れなくなった人たちが移動を始めたそうだ。それでもいきなり平時に戻るわけではなく、制限は残る。学校は閉鎖のままだし、基本的には外出自粛。これからも感染の第

パリ軟禁日記 22日目 厳しくなる外出禁止令

2020/4/7(火) パリ市から新たなお達しが出た。明日から外出禁止が強化される。これまでは特例外出許可証によって個人の運動は1人1日1回、家から1kmの範囲で認められていたけれども、明日からは朝10時から19時までの間の運動は禁止されることとなった。要するに、日中は街中を散歩したり走り回ったりするな、ということだった。陽気に誘われて、先週末は多くのパリジャンが特例外出許可証を持って街に出た。彼らの行動は警察にしっかり記録、上に報告されて、今回の結果につながった。 今日

パリ軟禁日記 20日目 消えた小麦粉

2020/4/5(日) 本日のパリの天気は快晴、最高気温は22度。すっかり春である。 部屋に掃除機をかけた後で買い物に出たら、何人かのパリジェンヌがサングラスにマスク姿で散歩を楽しんでいた。スーパーでは基本的には必要なものは手に入るけれど、最近になって小麦粉が姿を消した。この機会にフランス人たちは自宅でパンなりケーキなりを焼いているのかもしれない。僕は在庫が豊富にあるアジア食品の棚にからバスマティライスの袋をとった。今週どこかでビリヤニを作ろう。インド料理屋が閉まっているな

パリ軟禁日記 19日目 故郷の映画館

2020/4/4(土) 「明日はお友達と映画でも見に行こうかしら」 電話越しの母は呑気である。遠方に住む家族との連絡を、普通の家庭だとどのくらいの頻度で行うだろうか。僕は基本的には用事がないと電話をしない。家族のLINEグループチャットは一応あって、簡単な近況報告と生存確認はそれで済んでしまう。誰かが何か言って、それにみんながスタンプでリアクションをとる。シンプルで合理的なやりとり。親元を離れて20年以上経つ。 今日はなんとなく、用事もないのに急に電話してみた。パリの昼

パリ軟禁日記 18日目 もう、手放してはいけない

2020/4/3(金) B.C.-Before Corona-1年、僕はバスに乗っていた。片道30分、立ちっぱなしは少し辛い時間だけれど、路線バスの座席は硬いので座っていても腰にくる。市のテニスコートはいくつかの例外を除き、ほとんどが街をぐるりと取り囲む環状線「ペリフェリック」に程近い外縁に位置している。シテ島から円を書くように長い時間をかけて発展してきたパリでは、スポーツとしての歴史が浅いテニスに残された場所はそこしかなかったのかもしれない。所属するクラブのコートもその

パリ軟禁日記 16日目 ウィンブルドン中止を受けて

2020/4/1(水) 失ってはじめて大切だと気づくものは多い。 残念ながら、失ったことにすら気づかないものもある。 その一方で、失ったけれど、幸運にも偶然の再会を通じて、 はじめてその大切さに気づくものもある。 ベタな少女漫画の書き出しのようだけれど、僕は恋の話をしているわけではない。それは、思い出に深く根付いた、個々人の心の奥底に響く何か、だ。 本日、2020年のウィンブルドンの開催中止が発表された。言うまでもなく、ヤツのせいだった。どうやらエイプリルフールではないら

パリ軟禁日記 15日目 「やっぱりフルで」

2020/3/31(火) ハーフマラソン大会に出たと思ったら、途中で主催者から「やっぱりフルで」と言われて、「えー」と思いながらも21km地点を通過した時の気持ち…。これが今の心境である。 このレース、正直終わりが見えない。思いつきで参加して、なんとなく走り続けているけれど、疲れがないと言えばウソになるだろう。コース風景は悪くない…、しかし、同じ場所をぐるぐる回り続けているので少々モチベーションも下がってきた。21kmを走り切った達成感がありつつも、なんだかまた途中で「ご

パリ軟禁日記 14日目 隔離された世界で何をするか

2020/3/30(月) 数日に渡る隔離状況で人は何をして何を考えるのか。この部分に興味があって僕はこの記録をつけていると言っても過言ではない。 本日付のル・モンド紙によると、いま約34億人、人類の43%が外出禁止もしくは自宅に留まるよう勧告されているそうだ。また、ものの本によると、検疫を意味する語quarantineは「40日間」を意味するヴェネチアのイタリア方言のQuaranta giorniが語源。14世紀のペストの大流行で人口の30-60%を失ったヨーロッパは、