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パリ軟禁日記 32日目 髪の毛と精神

2020/4/17(金)
髪が伸びた。生命活動が維持されていながら、髪を切ってもらうことができない状態にあるので当然である。最後に切ったのは2月14日。もう2ヶ月も経ってしまった。いつも短く切ってもらうので今でもなんとか持ちこたえている(?)けれども、正直どうしたものかと思う。

同様の悩みを抱える人が多いようで、今バリカンがとてもよく売れているらしい。これを機会に坊主頭になるのも悪くない。高校生の時に一度経験したことがある。洗髪は楽だし、普段感じることがなかった空気のブレのようなものを敏感に察知できて面白かった。一方で、このまま伸ばし続けるとどうなってしまうのか、ということにも興味がある。単純に、これまでの人生において積極的に髪を伸ばす、ということをしたことがないからだ。逆を言うと、理髪店が強制的に休業に追い込まれる現在の事態というのはやはり異常なのだとも思う。

放っておいても伸びる体毛。それでも、僕たちの身長がそうであるように、体毛にも成長の限界点はある。フランスに来てからヒゲを伸ばしたらどうなるか実験したことがあった。こちらの男性にとって、短く刈りそろえたヒゲは定番スタイルなのだ。ものは試しと思ってやってみたが、伸びる部分と薄い部分で濃淡ができてしまい、試みは失敗に終わった。自身のヒゲの才能のなさに正直がっかりだった。フランスでのオシャレ作戦は見事に砕け散り、今日も僕はつるりとヒゲを剃っている。そして、また20代の学生に間違えられる。

ギネス記録を見てみたところ、髪の毛の最長記録は中国の女性が持つ5メートル62センチというものだった。切れないように丁寧に伸ばした努力もさることながら、彼女の天賦の才に驚きが禁じ得ない。伸ばそうと思ったって普通の人間ではそこまで伸ばせないだろう。そしてギネスには、格闘技に階級制があるように、様々な種類の体毛の長さで覇を競う人たちがいた。胸毛、腕毛、すね毛、乳毛…。世の中にはいろんな才能が溢れている。

プロのスポーツ選手の例を出すまでもなく、20歳を越えた大人たちは日に日に自らの身体の限界点を痛感していく。同様のことが僕たちの精神にも言えるのだろうか。三子の魂百までとは言うものの、記憶と経験に根付いた精神が辿り着ける先は、肉体とは異なる成長カーブを描くようにも思える。

それでも、使わない筋肉が弱っていくように、思考しない精神はどんどん柔軟性を失い、ありふれたものになっていくのは間違いない。肉体との大きな違いは、それは目に見える形として表れないことだ。その中でどれほどの人がその限界点を試しているのだろうか。登山が好きでも、エベレストに挑むほどの登山家はそれほど多くない。

髪の毛を見ていれば分かるように、成長とはポジティブな変化である。精神の変化を感じることができるのは、人生での様々な状況、とりわけ難局において、自分の心がどのように動くかによって感じ取ることができるだろう。逆境であっても動じずに切り抜けられた時。以前なら諦めていた状況でも機転をきかせて別の形で対応できた時。成長を感じることができる機会は意外にも多い。

個人の成長の集合は社会の成熟につながる。そして、今回の世界的災厄によって多くの人の精神性が変わるだろう。それが人類の終わりの始まりとなるような退化の兆しではなく、ポジティブな何かに変わるといい。人類に残された良心的な行いの一つである20時の拍手は、今日も通りによく響いた。

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