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【小説】『規格外カルテット』9/10の下のc

⚠️「暗闇の中のステンドグラス」は、
キリスト教の精神性を象徴させやすい図像と思っていますので
カトリック的ですが御容認下さい。⚠️
(10回中9回目の下のc:約4000文字)


「この……、『僕』って文字もイヤなんだ。右の方ゴチャゴチャして虫みたいだし、『召し使い』って意味だとか言われたし、公式な場ではふさわしくないとか、叱られたり小馬鹿にされたり」
 うん、ってまるでさっきまでの泣きわめきなんか無かったみたいな、相づちをくれる。
「書きたくないからカナで『ボク』って書いてたら、オカマっぽいとか、ワケ分かんない。だけど、『オレ』も『ワタシ』もしっくりこないし、だったらもう全然ちがったところにある、『アタシ』とか引っぱってきた方がラクだって」
「ラクだった?」
「今思うとそんなに。ムリヤリ引っぱってくるからそっちに引きずられて、ふり回される感じで、ほとんどそっちが服着て歩いてた。誰にも何にも言われなきゃ、ボクはボクだった気がするのに。それに大さんも『僕』ですよね?」
 ってやっと見上げた大さんは、やっぱりまっすぐ立っていて落ち着いた顔をしている。
「僕は、召し使いでかまわないと思っているから。ただ御一人神様の前だけの」
 あれ、ってなじみのある言い方が引っかかった。なじみはあるけど、何かがちがう感じもするけど。
「もしかして大さん……」
「うん。クリスチャンだよ。プロテスタントの」
 じゃあかなうわけないやって、データがおなかの底まで入ってきた。ボクたちがテキトウに拾い読みして、内容なんか自分たちの好きなように、ああでもないこうでもないってしゃべり続けていた、あの分厚い本を、一人一人がそれぞれに読みこなしてきた人たちだ。
 ちょっとした言葉にも気を使うわけだ。外国でも人によってはそんな感じだった。言葉は神様のものだから、自分たちの好きなように粗末に扱ったりしちゃいけないんだって。日本でも似たような言い方は聞いてるけど、何か、全然ちがうなって思ってたけど。
「それ、みる知ってます?」
「そうした話になりそうでどうもかみ合わないんだ」
「ああ。なんか分かります」
「教会主催のイベントを、お互い手伝いに来て出会ったのに、『お友達がいるんですね。ガソリン車を選ぶような方が、神様を信じているはずありませんから』って」
 その場にいなかったのに見ていたような気持ちになる。そして全力で止めてあげたい。
「みるぅ……」
「笑顔でそこまで言い切られてしまうと、こちらとしても返しようがなくて。て、え?」
「あ」
 あっさり話題にしちゃってたけど、お互いまだ知られていないと思っていた事だった。
 とは言っても何も、フシギでもない。
「やっぱり、知られちゃってましたか」
「名字が同じだし、君も大きなヒントをくれたから」
「ボクの、ケガの理由も妹から?」
「いや。それは、聞いてない。君の話もまだ、しっかりとは」
 と、いう事は多少の話は聞かされているんだな。
「すみません。こんな、まともじゃない兄で」
「いいや。僕にはそれほどでも。と言うよりごめん、僕だけはこんな言い方をする事を、許してもらいたいんだけど」
 ずいぶん回り持った言い方だなって、気にしながら待っていたら、
「御家族で兄妹って感じがすごくする」
 なんて言われて思い切り、吹き出してしまった。
 おかしいどころじゃない。ツボに入る。きっとボクじゃなきゃここまでは、おかしくも聞こえないだろうけどっ……!
「まさに、『人は鏡』だよね。真実が映るようでそんなはずがない。左右は逆なんだから」
 淡々と言われるから余計に大爆笑だ。
「すごっ……! 天才? 天才なの大さん言い方が上手すぎるよそれっ!」
 思いっきり笑った後で、息が吸えて、久しぶりに、おなかの底まで深く吸えてそれが、くり返せて、息を吸うなんて、一番初めに習うような基本的なことすら、忘れていたわけじゃないけど思うようにいかなかったんだから、そりゃ頭に身体も動くわけないやって、だけど、それって好き好んで選んでた? って訊かれたら、全然だ。
 目の前にはからっぽのイスがあって、見えない誰かが座っていそうな、でも本当には誰もいないって分かる、からっぽ具合で、これも気を使われていたんだろうな。
「大好きだったもの、何もかも置いたまま、外国に行っちゃって……、大好きになったもの、ほとんど残したまま日本に戻っちゃって……、何だかボク」
 もう一回息を吸ってある程度、背筋が伸びてから口にした。
「やっと帰って来られた感じがします」
「うん。おかえり」
 ってまずはそう返してくれるんだろうなって、思っていた通りだったからまた少し、笑っちゃった。
「帰りたい家はまだ見つけ切れていませんけど」
 ルミちゃんの家だったら今すぐにでも飛んで帰りたいけど、合カギだし、ペットの身分だし、とか思っていたら、
「うち社員寮あるよ?」
 ってこれも仕事の流れみたいな声がした。
「この先インストラクターになって行きたい気持ちがあれば。必要な資格を取るための、補助金もいくらか下りると思うし」
 何だかすごくタイミングがいい、飛び付きたい話、みたいにも思えたけど、どうも頭のどこかでブレーキがかかって、ただ怖いってだけなのかもしれないけど。
「それは……、まだちょっと、考えてから……」
「うん。急ぐ事は無いと思う」
 って少しだけ笑みを見せてくれる。
「『チャンスは来た時に掴むべきだ』なんて言い方があるけど『慌てて掴んだ物はすぐに無くす』みたいな言い方もあって、僕は、そのどちらも正しいと思っているから。今の自分にちょうど合うやり方なんて、自分にもそう簡単には分からないよ」
 手元の資料をそろえて近くのベンチに置くと、空になった腕を組んででも少しほほ笑んでくる。
「それと、さっきみたいに泣き出したくなる時が、君にはまだしばらくの間くり返すと思う」
 イヤだって頭の中が叫び出しそうになったけど、ほほ笑まれているからか表には出さずに聞いていられる。
「一度や二度、あふれ出たくらいじゃ多分、まだまだ九割近くは溜まっていると思うから、だけど、それはそういうものだと思って、やり過ごした方が良い。くり返しで何もかも全てが、元に戻る事は無いから」
 何て言うか、ノドから手が出そうなくらいにずっとずっと、ものすごく欲しかった言葉って、本当に耳にすると入り込むまでに時間がかかる。まず本当に思えなくて。
「前にも進めない感じがして、あせるかもしれないけど、本当にツラかったその時の、その場所にはもういないんだ。どれだけ本当みたいに感じても、本当は、本当にいない」
 あわてて取り入れたらすぐ、身体に染み込む前になくなっていっちゃいそうで。
「僕は、インストラクターだから、君が抱えているもの全てに関わる事は出来ないけど、それを例えば10くらいのブロックに分けた内の、一つか二つくらいは一緒に、片付けてあげられると思う。一つか二つ、だけでも片付けてからの景色は、きっと前とは違って見えてくるから、他の事は、またそこから考えよう。大丈夫。急ぐことはないから」
 こういう時はもっと勢いのある、いい返事をするのが正しいって、ずっと言われ続けてきた気もするけどせっかく入り込みそうなものを、少しでも取りこぼしたくなかったから、せめて笑顔は作ったけど小さな声しか返せなかった。
「……はい」
 布を通してふるえるみたいな音がして、大さんが胸ポケットの端末を見て、
「ちょっと、失礼。すぐ戻るから」
 と部屋を出るドアに向かって行った。

 個人指導を希望する利用者は、主な要望としてプライバシーを大事にしたい傾向が強いわけだけれど、会社側にインストラクター側としては、勤怠管理も大事だし防犯やパワハラ防止にも努めたい、
 という事で個室にはそれぞれに、監視カメラが付いてあり、何かしらの異常が見られた場合には、インストラクターの端末に状況を報告するよう指示が入り、また担当以外のインストラクターによる現状確認を受けなければならない。
 個室を出て扉を閉めると蜂須賀は、確認担当はまだ来ていなかったので先に「セーフ(安全)」の信号を送ると、一つ息をつき目を閉じた後で、
(ツラい……!)
 体幹を活かしてまっすぐ足下に下りるうずくまり方をした。
(ツラいツラすぎるぞこれは……! 実はファンでした! 応援してました! 当時は意味なんか分からなかったけど粒子の荒い国際映像で、多分フランス発音で聞いた『スィロォウ!』の掛け声を受けながら出走する、貴方を思い出して胸が熱くなりました! 今ここで出会えて嬉しいです! 感無量です!
 みたいな話が何一つ、出来ないなんて……!)
 気を使いまくっていたのももちろん、ファンだからだ(しかも今後はおそらく義理の兄)。他の誰に対してでも蜂須賀は、同じように優しく接し切れる人間ではない。しかし誰がその様を責められようか。
(喉元まで、飛び出しかかる……! あと変な意味じゃなく抱き締めたい! 忘れる事に、していたんだもう見られないなんてもしかしたら死んでしまったかもなんて、考えたくもなかったから悲しすぎたから! 生きていてくれて良かった! 本当に良かった! ありがとう! と本当は、舌の先まで出かかっているのに……!)
「蜂須賀おい、何があった」
 頭上から届いた声に蜂須賀はホッとしたが、顔を上げられた咲谷の感覚では異常事態だ。
「って何でお前が泣いてんだよ!」
「静かに……。中に、まだ彼がいて……、聞こえてるかも……」
 幸か不幸か中の彼にはしっかりと聞かれていて、
(泣いてくれてるんだ大さん……、やっぱり良い人だなぁ……)
 と素直に誤解されている。

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