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【小説】『規格外カルテット』10/10の中のb

(10回中10回目の中のb:約3100文字)


 シンから連絡があったその直前までの、緊張しているようだが腹はくくった様子からは、想像も付かないほどにこやかに、白井みるは微笑んでいる。
「ひさしぶりね」
 かける声までが可愛らしい。しかしシンからはまずため息が聞こえ、しっかりと吸い直した声で言ってきた。
「どうして来たの」
 誰もが予想していなかった言い方で、みるは小首を傾けている。ここにいる事を怒っているのかと咲谷は心配したが、
「この町に。お父さんにお母さんが、みるを家から手放すなんて、正直思ってもみなかった」
「うふっ」
 ととても可愛らしいのに、どこかゾッとする笑い声が聞こえた。
「お父様に、お願いしたの」
「ああ。お願い」
「そう。涙ながらに。可愛らしく。『どうか、お兄様の御様子を、この目で確かめに行かせて下さい。みるは心配で心配で、胸が潰れてしまいそうです』って。そしたらお父様は、何て仰ったと思う?」
「さぁね。分かるような気もするけど、答えたくない」
「『おお。みる、私達はお前がそう言ってくれる日を、今か今かと待ちわびていたんだよ』って」
「そう。それで?」
 ごく普通の暖かな親子の様子が、浮かぶようで全く浮かばない。絶妙な違和感に戸惑っているのはしかし、咲谷だけのようで、蜂須賀は表情を変えていない。
「『きっと家の中は荒れすさんでいるだろうから、みる、賃仕事の片手間にでもお前が行って働いておあげ』って。そして、そこからが本当に、面白かったのよ。お兄ちゃん、聞いてくれる?」
「聞いてるよ。何」
 シンは「お兄ちゃん」である事がやたらにホッとして聞こえる。
「『もしかしてあの子が、今、まともな人間に見えてくれているようなら、あの子は男の子で、この家を継いでもらわなくてはならないのだから、みる、お仕事は適当な所で切り上げて、一緒に連れ帰って来るんだよ』ですって」
「へえ」
「だから私は答えて差し上げたの」
 とそれはそれは輝くような、見る人によっては愛らしい笑顔を作り上げた。
「『かしこまりました。お父様、お母様、みるは、頑張って参ります』ってぇ……」
 シンがチラリと、蜂須賀を見て、蜂須賀も一つ頷いた。
「思うわけがないじゃない何なのあの人達娘をタダで使える心なんか持たないお人形だとでも思ってんの」
 プツリといきなり全ての糸が切れ尽くした、操り人形のように、それまでの笑顔も可愛らしい声色も、一気になくなった。
「お人形相手にいつまで自分達は王候貴族を演じているの娘が見ていても痛々しいのよお兄ちゃんが何年一人暮らししてきたと思ってんのそれも外国でお生憎さま貴方達よりよっぽど掃除も食事も立派にこなせてるわお気付きにならないんでしょうねずっと私一人に全てをやらせてきましたものねお仕事の片手間にですって適当な所ですってオホホホホそんなものがこの世にあるとでも思っていらっしゃるのかしらなんておめでたい人達だこと」
 耳を傾けているので内容は頭に入ってくるが、抑揚の無い低い声でブツブツと、まるで呪文でも唱えているようだ。
「会いたくないというよりも恥ずかしくって会いになんか行けないわよね我が子を今現在まともな人間とすら見ていらっしゃらない方々のところに好き勝手に使い古して傾きかけているあのお家を継いでもらうために連れて帰るってアラ何の冗談かしらお陰さまでようやく外に出られて毎日が幸せ『お前には賃仕事くらいしか任せてもらえないだろう』ってずうっとずうっと言われてきたのに賃仕事って言い方がもう労働を侮っていらして腹が立つんだけど外に出てみたらあっさり就職出来ちゃったお仕事だって新鮮で楽しくって仕方がないわ分からない人達ねはっきり言って『帰りたくない』のよお兄ちゃんも私も」
 ある程度言いたい事は言い終えたようで、耳に届く言葉は止まったけれど、口の中ではブツブツ何かを呟き続けている。
「ボクは」
 シンはその向かいで、何とも言えない顔のままだ。
「小さな頃からそばにいて、みるが本当はこういう子だって、分かっていたんだけど」
 ようやく蜂須賀に顔を向ける。
「大さんは初めて見た時驚かなかった?」
「うん。それはもちろん驚いたけど」
 対照的に蜂須賀は、普段見る事の無いにこやかな笑顔に変わっている。
「本当、と言うよりこうした面も含めて全部が、みるさんかなって」
「さてはお前が最も大人物だな」
「ああ怖がらないでお姉さまと言っても無理かしらね」
 顔の向きは真正面のまま、ブツブツの中から言葉が浮かび上がる。
「でも心配しないで溜めに溜め込んで抑えに抑え尽くした気持ちが溢れ出て時々止まらないだけなのこれでも頭の中はしっかりしているのよちょっとこうなってる間は顔が固まって声にも身体にも力が入らないんだけど」
「大体2、3時間もすれば元に戻るよ」
「お前も怖いよ蜂須賀」
「え?」
「何で彼女がこうなった時だけニコニコしてんだ。いつになく」
「いやぁここまで良く頑張ってくれたなぁって思うからね」
 力の入っていないみるの手を取り肩を抱き寄せている。
「初めて見た時は重低音のデスボイスでひたすら怒鳴り続けるばかりで、どうにか理解できる言葉が出てくれるまで、しっかりひと晩かかったんだよ」
「ありがとうありがとう大さんのおかげ逃げないで嫌わないでずっと付き合ってくれて」
「初めて事に及ぼうとした時でね。ものすごく責任を感じたからね」
「さてはお前が最も剛の者だな」
「ボクが泣きわめいたくらいじゃビクともしなかったわけだね」
 ブツブツ泣いていたのお兄ちゃんもブツブツツラかったよねと、基調低音のように続いている声の、合間合間に言葉が浮かんでくる。
「いや。やっぱりかなり慌ててたね。身につまされる思いもあったし」
「身に、つまされる?」
 文字はともかく分かりにくい言葉を使ってしまって、蜂須賀が説明にうろたえていた間に、咲谷が暴露した。
「コイツお前のファンだったんだってよ」
「咲谷さん!」
「ああ。そうかなって思ってた」
「え」
「あの場でとっさに知らなかった事に、してくれちゃいそうだなって。大さん、優しいから」
 一見女の子っぽいパッチリ目の笑顔を向けられて、蜂須賀は急激にときめいてしまったが、同性に対するそういった感覚はこれまでの自分に認めてこなかったので動揺している。
「お前まさかシンの若い頃に似てたから、みるちゃん気に入ったわけじゃないだろうな」
 ちょうどその時に言われて「あ」と、蜂須賀は逆の作用で納得したのだが、
「なるほど。そういう事かもしれない」
「何それ大さんちょっと聞き捨てならないんだけど」
「据わってく。みるちゃんの目が据わってくぞ」
「今のは絶対否定するとこだったよ大さん」
 周りからは要らない誤解を招き寄せてしまっている。
「昔の映像は顔まではっきり映っていなかったし、間近にみるさんを見て好きになったんだから、そこは違うんだけどね」
 ブツブツ言い続けるみるを抱き寄せ、目を見合わせながら言い聞かせ続ける。それを眺めながらシンは頬杖をついて、ため息を隠した。
「みるとこの先、結婚するの?」
「うん。みるさんが良ければ、そのつもりで」
「ボクが言うのも何だけど、苦労するよ」
「ブツブツお兄ちゃんブツブツ」
「みるじゃなくってウチの親」
「みるちゃんもそこそこだぞ私に言わせりゃ。あんた達見慣れてるみたいだけど」
「同居しろ面倒見ろって、迫るだろうし、娘なんだからそれが当然だって、思い込んでるし」
「その辺りはおいおい考えるけど、僕は、君達に出会えたお礼くらいは言いたいから」
「お礼なんか。あの人達は、勝手に作って産んだだけだし」
 少しだけ、口の端をゆるめて首を振ると、
「それでも僕は」
 と蜂須賀はもう少し笑みを強めた顔を、同じテーブルにいる皆に向けた。

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