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キラキラ ~学びの本質とは。その①~

皆さんは学びの本質について、考えたことがありますか。

人はなんのために学び、学びの先には一体なにがあるのでしょうか。

私はそれをある場所で見つけることが出来ました。

そこは、日本から遠く離れた東南アジア。

そこは、かつて政権を握った首相によりわずか4年の間に人口の3分の1が虐殺され、学ぶことを禁じられてしまった国。

そして、そこは未だに教師不足や、教育の質といった点で複雑な問題を抱える地域でした。

人はなんのために学び、学びの先には一体なにがあるのでしょうか。

そういった学びの本質を捉えるためのヒント。

それは、キラキラという存在です。

私は、昨年の10月から2月までカンボジア・シェムリアップにあるローカルNGO団体でインターン活動をして参りました。主に携わらせて頂いた分野は教育です。
現地の中学校やフリースクールで日本語授業や、英語授業を行いました。

そんな場所で、私は学ぶことの本質に出会った訳ですが、それを私に教えてくれたのは、日本語授業を受けてくれていた生徒たちでした。

彼らは、「少しでも日本語を話せるようになりたい。」「日本から来る支援者の方とお話がしたい。」

そんな思いから、目をキラキラさせながら私の日本語授業を受けに来てくれました。

競うことの大切さを教えてみたかった私は最初の授業で、最後にはスピーチコンテストを開催することを伝えました。

日本語とはかけ離れた言語です。

彼らにとっては難題でした。

しかし、そんな中でも彼らは一生懸命学習をし、授業の回数を増すごとに質問をしてくる子や、授業外でスピーチの練習に付き合ってほしいといった声が聞こえてきました。

毎回の授業で少しずつ埋めてきたスピーチ。
最後の授業で行ったスピーチコンテストでは、緊張のあまり何度もトイレに行ってしまう子や、心臓をバックバックさせながらスピーチをする子がたくさんいました。

少し可愛そうなことをしてしまったかなトイレにそんな風に感じましたが、スピーチコンテストを終えた彼らの目は、これまで以上の輝きを見せていたのです。

私はスピーチコンテストを通して、生徒たちから

日本語に対する憧れを抱いたときに放つキラキラ

困難に直面した中で一生懸命取り組む姿から放つキラキラ

そして、何かを成し遂げたときに放つキラキラ

この三段階のキラキラに出会うことができました。

後日、ある生徒は私にこう言いました。

「私はいつか日本に行きたいです。」

その時私は気がついたんです。

あぁ、マナブってこういうことなんだ。

人はなんのために学ぶのか。

それは、自分自身のキラキラ(可能性)を広げていくためでした。

そして、学びの先には一体何があるのか。

それは、まだ見ぬキラキラ(可能性)を秘めた自分自身だったのです。

つまり、学びの本質とは。

可能性を広げることー。

私は彼らから、

学べば可能性を大いに広げることができること、

学べば困難や挫折が待ち構えているかもしれないこと、

しかし、暗闇の中でこそ輝きを放つように困難や挫折を乗り越えれば、まだ見ぬあたらしい自分自身に出会えるということ、

そんなことを教えて貰いました。

しかし、一方で私はある悲しい事実にも気がつくことになったのです。

次回に続く。

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