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果物や植物及びその断面がエログロで興奮するタイプです。主にそんな事を書こうと思っていま…

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果物や植物及びその断面がエログロで興奮するタイプです。主にそんな事を書こうと思っています。エッセイのようなものと想像上の文章とか入り混じりますが現実はどちらでもないのでは、と思っております。

最近の記事

上間陽子「海をあげる」

咀嚼に時間がかかる、というのが正直な感想だ。誠意をもって受け止め、落とし込み、その先へ進まなければならない、なんてもっともらしい事を言われ続けて摩耗してきたのだ。今、読了により絶望を受け取ったのだから、どれだけ自分のものとしてその絶望を原動力にできるのか、摩耗して諦念を抱く人々とそうなってしまうかも知れない者たちの為に次の行動へ繋げられるのかを打ち出さなければならない。痛みや苦みを噛み砕き、自分の血にする為の時間は苦しい。 自分はどちらかと言うと人の話きく方が好き、というな

    • 西加奈子「夜が明ける」

      何が問題なのかわからない。無知である事を恥じる。しかし無知の知とは良く言ったもので、世間擦れしていない方が物事を杓子定規に考えずフラットに捉えられるのかも知れない。人とは、そしてそれと関わるということとは、何が因果関係を結ぶのか。 何が問題としてきっかけになるのかわからない。総じてそのようなものなのかもしれない、と濁した物言いはできるが本当にそのことをまともに受け止めているだろうか?はたしてまともとは?誰かの意見を検索するのではなく、自分の脳みそを駆使して考え抜く必要性をちゃ

      • 密≒蜜

        コロナ、あゝ、コロナ。 これまで多くの疫病が跋扈し人を苦しめまたそこから新たな希望を見出してきた。先人達には畏敬の念を抱かざるを得ない。しかしながら今、というものなのだ。不安とストレスで皆500円ハゲ、できていませんか。私は頭皮の湿疹が一向に治まる気配がありません。胃腸もボコボコで腹はピーピー、嫌なやつれ方をするもので。悲しき虚弱体質。 どんどん人との直接的な接触は減り、リモートの可能性が確立され、もとより人間関係の希薄さが嘆かれていたなか更に人々の距離というものができめ

        • 喪われた母性を求めて

          幼少期の、同世代より年配者と関わる事が圧倒的に多いという育った環境における影響によってなのか、はたまた元々の素養なのか、気付けば小学校中学年にはあだ名に「おばあちゃん」なんて言葉が入る事が多かった。中学生の時に告白された男の子からはその理由を「お母さんみたいだから」なんて言われたりもした。そして高校生時分には「生き字引」なんて長老めいたあだ名を頂戴した。実年齢と内面のギャップがえげつないことになっている。 未だに年齢を誤魔化している、なんて言われるのが当たり前で、66歳から

        上間陽子「海をあげる」

          【書評】ジニのパズル

          インスタと連動してこちらにも書評を載せることにしてみる。暑くて思考停止しているような、全身がばらばらになっているような感覚は強いが書くことをとめてはならないと思った。誰かに批判されようと、書かなければ始まらない。自分の所感を伝えようとする事は自由でなくてはならない。そんな事をおもいながら。 *** 広島原爆投下の日に、北朝鮮がテポドンを発射した事で人生に転機が訪れてしまう少女の話の感想をあげる、というのは何というかシンクロニシティだ。改めて普段から普通に生活しているだけの自

          【書評】ジニのパズル

          つかのま

          あまりにきれいな夕焼けで、川辺を歩きながら多幸感と胸を締めつける切なさとこの時間が永遠ではないことを想って、小さく泣いた。 本当に時々訪れる、とてつもなく大きな幸せは私を翻弄する。それがどれほど貴重な瞬間なのか理解するのに頭が追いつかないのだ。 時間を切り取って持ち歩けるなら後から何度も反芻するだろう。風の心地よさや、優しく流れる川の音、とろける暖炉の灯のような橙。ずっとこの時間が在り続けたらいい、心から願ったけれど、それは叶うはずもない流動的なものでしかなかった。 いっそこ

          つかのま

          へんなひと

          もう干涸びはじめているのに ほかは水分をつやつやとたたえていて 本当は泣き出したい気持ちでいっぱいなのに 腹の底で隠している 心臓がもがれそうなほど苦しい時でも まわりに凪をあたえて 胸を張って誇れるはずなのに はにかんではぐらかす 似ているの、わたしたち はやく繭にはいろう やわらかい糸で紡いでおいた場所で 白くて透明な永遠をうけとろう それを選ばないあなた へんなひと いとしいひと

          へんなひと

          太宰治になりたい

          ずっとずっと太宰治に憧れて、今も太宰治になりたいと思って生きている。軽やかな文体から些細な心の機微を読み取らせたり、人間の羞恥心を己が傷付くことも厭わず書き切ったり、刹那的などうしようもない、けど憎めない生き方だったり、センセーショナルな死に方だったり。私の理想で偶像で同一化したい人間だ。 時に人は自死に対して弱い人間のとる行動、責任が伴っていない考えの甘いものと捉えるが、私にはそうとは思えない。その人にしか見えない何かに追い詰められて、常にそれに見張られて、けど対処のしよ

          太宰治になりたい

          飛び越えて、夏

          唐突だが基本的に家で過ごす時間は出来る限り服を着たくない。裸族の生き残りとは私の事だ。 春のうららかさが憂鬱で感じ取れないほどの僅かなものだったと思ったら鼻先に夏がいる。暑い。もう服を着て寝る季節は過ぎたのだ!とすっぽんぽんになってはみたが、若干の肌寒さが残る。 そこで導入されたのが紳士用肌着であるトランクスである。これが本当もう快適で、昨年から愛用しはしたが手離せなくなっている。 ただいつも購入する時に問題が多少生じてしまう。知り合いの働く百貨店の肌着売場で購入する機

          飛び越えて、夏

          まどろんで書いた文章にろくなものはない

          今立証している。ねむい。 けど何か書きたいし書いた方が己のリハビリになる気がしてこうして今指を動かしている訳だが、それはおおよそろくなものは生まれない。天才と凡人の違いがこういった無意識下の意識にうまれてくるのだ。 おおよそ飲めない酒を飲んでこんな事を書いている暇があるなら眠ってしまってどうしたってくる明日というものに備えるのが常識を待ち合わせた人のとる行動なのだが、生まれた時胎盤に常識を置いてきた身としてはそのような考えは持ち合わせていない。空洞です。

          まどろんで書いた文章にろくなものはない

          何者にもなれなかったな

          こころがあおいから近づけない かなしい匂いがするから寄りつかない つめたい手だから触らない きたない声だから話せない 醜いものは強かで弱い ぐちゃぐちゃになるのにかたくこわばっている 消えてなくなる儚さがいいのにこびりつく 歪なままで何かになることもできない 闇く澱んでどぶみたいだ どんどん離れて独り善がり どんどん拗れて戻れなくなる 空っぽだから涙も出ない さよならできたらいいのにね

          何者にもなれなかったな

          ハイハウアーユー?

          道行く人皆にきいて回りたい。ねえ、みんなどう?大切な人とちゃんと連絡はとれてる?相互か一方通行かは別として、貴方が大切な人、と言われた時に思い浮かぶそのあの人はあなたと連絡がつく状態ですか?といって道行く人もさしていないこだけど。 けどあなたが思い浮かぶ人がいるとして、しばらく便りをやりとりしていないと気付いたなら、出来る限りすぐに連絡を取ってほしい。このご時世だから、なんて乱暴な言葉で片付けるのではなく、それはあなたの人生にとって間違いなく必要な行為なのだから。それくらい

          ハイハウアーユー?

          大好きな人のこと

          所謂ブラコンとは違うかも知れないけれども、私には兄がいて、彼を心から尊敬している、し、とてつもない嫉妬にまみれた情でみている。出来上がっているからだ。 産まれてこのかた万年厨二病の私と違って彼は土台がある。知識量や他人を慮る精神においても安定したものがある。僕はまだまだ人を傷つけてしまう青二才でしかない。 先だって書いた文章をアップしたのちに彼もまた現状に対する文を認めて彼なりに発信していた。私のぼんやりとした輪郭がちゃんと根拠だって描かれた読み物にふさわしいものだった。

          大好きな人のこと

          行列には並べない

          不器用な方だと思う。手先とかではなく生きるのがだ。マジョリティに属したくないというより、属せないという方が正しい性格だし、人から言われるよりも先に、自分自身で頭がおかしいのでは、と行末を案じることが多い。繊細なのかしら、なんておどけてみる。 日常が変容して所謂「新しい世界」なんて言われ方がされ始めていますが、勿論対応しきれていない。安酒をかっくらって次の日後悔することの繰り返しでしかない。もともとつまはじき者なんだった、テヘッ☆なんて冗談はさておき。この新しい世界というのは

          行列には並べない

          ごたくをならべる

          うちに秘めることが優しさだとするなら世の中にはなんて沢山優しくて孤独な人が多いことだろう。 優しさが勇敢さに繋がるとするなら勇敢であることとはなんて息苦しい自傷行為なんだろう。 コップの水が溢れてしまってからでは遅いのにそうなるまで何故人は抱え込んでしまうのか、それも優しさなのか。 時に反吐が出そうになるね、優しい世界。

          ごたくをならべる

          道筋のようなもの

          光の粒が笑っている 懐かしい歌が聴こえてきて どこできいたものか考えていた 思い出せないでいたのに ふと、 それは羊水であることに気がついた 花弁を伝う花の乳で 切れ目から伝う樹液で 初潮の血糊で さかいめをつなぐようなもので わたしとあなたを交換するもの あの歌に触れられたらのなら どんなに心地良いだろう そう思っていたら 私の頬にあたたかい水が流れていて ここにあったのだ、と知れたのでした

          道筋のようなもの