西加奈子「夜が明ける」

何が問題なのかわからない。無知である事を恥じる。しかし無知の知とは良く言ったもので、世間擦れしていない方が物事を杓子定規に考えずフラットに捉えられるのかも知れない。人とは、そしてそれと関わるということとは、何が因果関係を結ぶのか。
何が問題としてきっかけになるのかわからない。総じてそのようなものなのかもしれない、と濁した物言いはできるが本当にそのことをまともに受け止めているだろうか?はたしてまともとは?誰かの意見を検索するのではなく、自分の脳みそを駆使して考え抜く必要性をちゃんと分かっているだろうか?
夜明け前が一番昏い。沢山の問題やあり方を目前に突きつけられる。時に刃の如く全身を血だらけにする。無力感に苛まれて苦しくて仕方なくなる。死ぬしか、と思ってしまい放棄してしまう事もあるだろう。
それでも、夜が明ける。
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西加奈子作品を読んでいたら、終盤には必ず泣いていた。感動というひと言でまとめるには複雑な救済や祝福、物語上であるにも関わらず(この言い方は誤解・語弊があると思っている)生きた一人の人生を思っての涙が出るのだ。文字の向こう側から必死にエールを送り続ける優しい彼女の声が読者の肩を撫でるのだ。
しかし今作は、異なった。現在進行形で読者が頁の上で生き続けており、また西先生自身もその張本人なのだ。互いに声をかけ合う状態で、ただひたすらに現在がつらい。泣けないほどつらい。
物語として俯瞰すると必ずしも全ての人が当てはまる内容とは言えないだろう。しかしこれは、今生きている我々の日常の話、少なからず日本国民の日常なのだ。日常的に、泣けないほどつらいのが、今の日本なのだ。政治批判的な内容に思われると思うが、私個人のフラットな見解だと思ってほしい。
一冊の本の中でどんどん加速していく西先生の熱量は、終盤悲鳴に近くなる。一生懸命に声をかけてくれている。心を殺さないで、感覚を磨耗させないで、あなたという存在を自身で諦めないで、と。文章にしながら内容を反芻して、涙が出てきた。自分の言葉に変換して初めて輪郭に触れられたように思う。
現在日本を離れている西先生だが、離れた場所にありながらこんなに美しい魂と触れ合わせてくれる本にとても感謝している。
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今まで幾度となく西加奈子作品に助けられてきた。暗い感情に全身蝕まれて闇になりそうになった時、文字通り生かされてきて、天から賜った福音書くらいに思っている。そんな強い感動を覚える、救済と感じるにも関わらず、自分のメンタリティがおよそ二十年なんら変容していなくて驚き呆れる。

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