行列には並べない

不器用な方だと思う。手先とかではなく生きるのがだ。マジョリティに属したくないというより、属せないという方が正しい性格だし、人から言われるよりも先に、自分自身で頭がおかしいのでは、と行末を案じることが多い。繊細なのかしら、なんておどけてみる。

日常が変容して所謂「新しい世界」なんて言われ方がされ始めていますが、勿論対応しきれていない。安酒をかっくらって次の日後悔することの繰り返しでしかない。もともとつまはじき者なんだった、テヘッ☆なんて冗談はさておき。この新しい世界というのは人類に対しても変容を求めていて順応できるものは確かにバイタリティとクリエイティビティに溢れた感じで、良い波乗ってんね、って具合だろうけど、そうではない人はどうか。性のが歪曲して悪化の途を辿っているように見えてならない。曇った眼鏡でみてるのかしら。

善意ですら悪意に転用されてしかもそれがマジョリティであるかのように振る舞われ、食傷気味になる事がままある。しかも押し売りなのに受け取らない選択をする人の後ろ指をさすような風潮すら生まれている。ただでさえ人々が弱っているにも関わらず、平気で追い討ちをかけるような、そしてそれが正義であるかのような。

変われない人々が変わらないのは、第三者である誰かの日常に干渉しない限り尊重されるべきだと思う。誰かの正義と、また違う誰かの正義が衝突しない限りは市井のささやかな生活を破綻させる事があってはならない。

そして考える葦である人間として、ままならない事態になるのなら想像と対話をもって相手を潰すのではなく、高め合う方向性にもっていかねば互いの存続には繋がらない。

私事だし馬鹿かも知れないが、元々好きでもなかったTVを観るのを辞めた。ネットも必要最低限に留め、SNSも触る時間を減らした。退化と言われたらそれまでだが思惑や悪意に触れる時間を減らして少しだけ気持ちが楽になった。

全員がそうしたら良いとかではない。ただ自身の健やかな日常というささやかな灯りを守ろうとした結果である。新しい世界が来ても私はこうして小さな世界を守りたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?