密≒蜜

コロナ、あゝ、コロナ。

これまで多くの疫病が跋扈し人を苦しめまたそこから新たな希望を見出してきた。先人達には畏敬の念を抱かざるを得ない。しかしながら今、というものなのだ。不安とストレスで皆500円ハゲ、できていませんか。私は頭皮の湿疹が一向に治まる気配がありません。胃腸もボコボコで腹はピーピー、嫌なやつれ方をするもので。悲しき虚弱体質。

どんどん人との直接的な接触は減り、リモートの可能性が確立され、もとより人間関係の希薄さが嘆かれていたなか更に人々の距離というものができめしまった。ソーシャルディスタンスが提唱された中で人のあたたかさが再認識された例も少なくはないが、自殺率の変化などはこのウイルス蔓延に依る所なのは否めないのではないだろうか。

元より日本人はコミュニティを築いて生活してきた民族、密という要素は不可欠なのだ。空気を読む、とはその場の雰囲気を察する事なんだから、場に同席していない場合先を読めないしコミニュケーションに不全が生じるのもおかしくない。

場面は変わるが、オン/オフという意識付けも実は日本人的なのではないか。職場とアフター5(これは最早死語なのかしらん)で豹変する人、いませんか?緊張と弛緩を職場と家との地続きでするのを良しとしない人が多いように思うが、在宅勤務や飲食店での時短営業によりスイッチの押しどきが分からなくて苦しんでいる人は多いように思う。

密の場とは所謂、開放の場なのではと思う。それぞれのコミュニティでの関わり合いを再認識するための場。弛緩させてリラックスできる場。その時間が持てない、あるいはその場がない事で不全が生じる。飴と鞭の、飴が存在しないために人々の疲弊が積み重なる。

じゃあするってぇと何かい、ステイホームを破れってぇのかい?なんて早算しないでほしい。大変なのは皆同じ。だからこそ「ちゃんと」 皆で 耐えて、早く隣にいてほしい人と濃厚接触して密な時間をもちたいですよね。ねえ政府及びその他関係者?

誰しもがふと会いたいと思った人と気軽に会える時とそれにふさわしいと思う大切な場を喪ってしまう前に、とるべき行動をとれるようにしたい。

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