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5.1 希望進路の変遷と親御さんに伝えたいこと

こんにちは!
はりねずみです。

今日は、今までの希望進路等についてつらつらと書きます。
ちょっとTwitterで愚痴っていた件についてです。
大分長くなってしまいましたがご容赦ください。

前回の続きは、また次回以降に投稿します。

それでは、最後までよろしくお願いします。

目次はこちらです。


幼少期

長女として生まれた私は、幼いころは一般的な将来の夢を描いていました。
例えば、お花屋さん、ケーキ屋さんなどです。(七夕の時にはプリキュアになりたいと書いた気がしなくもない…)
おそらく、当時両親の買い物について行った時やアニメなどであこがれた職業をそのまま書いていたのだと思います。

また、小学校高学年の時は両親がついている職業に就きたいと考えていました。
これは、仕事内容に憧れがあったというよりは勤務条件を見ていたと思います。
土日祝日基本的に休みであること、両親が同僚に恵まれているように見えたことなどです。
友人から休みの日に親が仕事に行くことが多いという話をよく聞いていたため、子どもと一緒にいるなら土日休みが必須だなと子供ながらに思っていました。

中学生

このころは、理数系科目がとても好きでした。
数学と理科の先生がとても自分に合った先生で、理科については授業の構成上実験を多く行っていたため、毎日授業を楽しみにしていました。
また図書館でも自然科学系(分類コードが4○○の本)をよく読みました。
理数系教科への興味が強く、実験が好きなことから理数科の存在を教えてもらいました。
近所に理数科のある高校がなかったため、家から遠い理数科のある高校を志望校として目指すようになります。

また、同時期に家の中が荒れ始めます。
弟と両親の衝突がとても多くなったのです。
発達の関係で両親と弟が病院に行き始めたことから、私は図書館で発育系の本を読み漁り、弟の障害の見当を付け、家庭内で弟のフォローをはじめました。

私の通った小学校には特別支援学級があり、障害者と接したことがないわけではありません。
しかし、このとき発達障害が自分事になり、生活の中心となっていくのです。

弟のことにほとんど関与させてくれなかった両親に一時期不信感を持っていたこと、めちゃくちゃ頼み込んで1度だけ同伴させてもらった通院で担当医に「本人の努力は無理なのでご家族が頑張ってください」的なことを言われたことで障害者本人だけでなく家族も守れる人になりたいと考えます。

理系を活かしたうえで上のようになれる職業として医師、看護師を思いうかべますが、より難しいと思われる医師を目指しはじめます。

高校生

入学当初は医学部を目指していましたが(推薦がギリギリ引っかかるくらいのレベル)、家から遠い高校を受けたことで睡眠時間を削ったこと、絶対的な勉強時間数が足りなかったこともあり、徐々に成績は落ちていきました。

医学部に実力で受かるのは無理そうだと思った時、
そうだ!発達障害の薬を作る研究をすれば間接的に障害者の家族の役に立てるかも!
と謎の発想転換を行い、化学系の学科を目指すようになります。

私は当時化学部にいた位、化学がとても好きでした。
部活での実験も好きだし、化学グランプリの勉強も楽しみました。
幸運なことにある程度の成績が伴っていたので、化学だけは薬学部を受ける人と同じくらいの成績をとっていました。

ただ、他の科目の成績が伴わないため薬学部受験は難しく、国公立の理学部化学科を第1志望にしました。
弟の進路が不確定だったため、弟が私立高校に行く可能性を考慮すると、私立大6年間は厳しかったのです。

高3の志望校決定

高3のある時、理系科目で受けられる心理系の学部(国立大)を知りました。この大学を調べながら、私は発達支援に携わることに未練があると感じました。
1年前に新設された学部で、2年目ということもあり倍率が昨年より落ちるだろうと考え、私は両親を説得しようとしました。

まず父は、自分でも調べるから時間が欲しいといい、数日後に新設学部で卒業後の未来が見えないことを理由に断られました。(納得した)
母からは、遠すぎる、新幹線が通っていないから何かあったときに行きにくい、などの理由で泣いて拒否されました。(納得してない)

私は母と議論をすることが苦手です。彼女は感情的になると話が通じず、私が比較的冷静に努めようとしても心のシャッターを下ろされてしまいます。

父は理詰めタイプの人間なので、父との話し合いは建設的にできます。しかし、今回は父を納得させるだけの材料を揃えられませんでした。

結局自分の気持ちに蓋をし、理学部の受験に決めました。心の中では大学院で心理系に行ってやろうと思っていましたが…

大学生

紆余曲折あり現在の大学に入学してからは、好きな科目である化学の勉強がたくさんできることに喜びを感じていました。
一方で助言教員の先生からは、自分のしたい研究を伝えた際に、化学ではなく生物寄りの研究室を調べた方がよいこと、外部の院は例年1,2人しか受からないため相当な努力が必要だと教わりました。

大学院については、心理系と化学系の両方について調べました。
他大学の院に進学する場合、学部から上がってきた人と戦う必要があります。高校の同級生たちの話を聞くと、そもそも授業のレベルが違うため、レベルの高い大学の院への進学がとても高い壁に見えました。
そこで、全員が同じ位置からスタートできる大学院大学に絞り、研究室を探すことにしました。(実はこっちの方が入ってから大変らしい)

時はコロナ禍。
多くの大学院大学はオンラインによる説明会や見学会を行っていたため、自宅からいくつかの説明会に参加しました。
どの大学院も制度が魅力的でしたが、肝心なのは研究室。
その中で、発達のメカニズムについて調べている研究室を見つけました。
ここなら成果を上げれば基礎研究としてより多くの人のためになるのではと考え、志望、受験しました。

ここまでを振り返って

結局、弟に発達障害があるとわかってからはそれを中心に進路を考えてきたように思います。
偶然弟は発達障害となる基準値を超えただけで、私や両親にその傾向がないとは言い切れないのです。

誰も悪くない、両親を責める気もない、外部を頼れない状況にある以上自分たちでやるしかない。

でも私はきょうだいであるが故に、弟のこと、医療、福祉についてのことが常に頭の片隅に存在します。
友達と話をするときに友達の兄弟姉妹の話を聞いて、自分とは違う世界を生きているのだと感じてしまいます。

「医学部や福祉系の学部学科に行け」
「将来は死ぬまで弟の面倒を見ろ」
「弟に何かあったとき対応できる距離に居ろ」

SNSでよく見かける上のような言葉を、私は直接言われたことはありません。

このことは本当に両親に感謝をしています。
私は性格上、このようなことを言われたら断れないから。
しかし、主に母から遠回しの圧力を感じることは多々あります。

私が考える親御さんへのお願い

人生の途中からきょうだい児として生きて思ったこと。

1.スケジュール上障害のある人が日常の中心となるため生活に制限がかかることが増えた。
2.無意識に兄弟のことを考えるからこそ、たとえきっかけが善意だとしても医療、福祉関係に目が行きがち。
3.家庭内のトラブルを減らそうと思うほど、遠慮(諦観)して本来の自分を消し始める。

偏見が入っているかもしれませんが、より幼いころからきょうだい児であるほどこの傾向は強いと思います。

だからこそ、
きょうだいと保護者1対1の時間を作り、直接話し、
「あなたのことをちゃんと見ているよ」
と何度も伝えてほしいです。

医療、福祉以外の選択肢をたくさん提示し、まだ見ぬ世界があることをきょうだいに教えてほしいです。

健常者兄弟と同じ選択肢の中から将来を選んでいいんだよ、自分の人生を生きていいんだよと伝えてほしいです。

まとめ

きょうだいは無意識に周囲に気を使って、そのことに気づいていない。だからこそ、「あなたは自由だ」ときょうだいに伝えてほしいと思っています。

上手くまとめられず長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

きょうだい、障害者本人、障害者の親御さんなど様々な立場の方の意見を知りたいので、是非コメントを残してもらえると嬉しいです。


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