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学びあいのシェア生活② −わたしたちはお互いの居場所を与え合っている

新卒のころはリーマンショック後で採用を控える企業も多く、仕事がいつまでも決まらないという先行きの見えないもやもやする状況でした。


時間はかかったものの、東京のとあるデザイン事務所でアシスタントデザイナーの仕事をいただくことに。実家をいよいよ出るし、急に目のまえがひらけたようだった。

ちょうどシェアハウスがメディアで紹介されだした時期で、想像のつかないライフスタイルに惹かれてシェアハウスに住むことに決めました。


異なる世代と出身の、6人用の女性専用のシェアハウス。


全員がシェアハウス暮らしがはじめてのオープニングメンバーで、年齢も30代から20代のあいだでちょうどよくばらけていた。


それぞれが自然体で、あって早々に打ちとけた。折にふれて、それぞれ人生をサバイブしてきた先輩たちに人生のあらゆることを、酒のつまみに聞いてもらった。


なんにも知らないっていうのをさらけ出してもはなしを聞いてくれた。ときに爆笑しながら笑 

またはこれまでの経験を笑わせながらきかせてくれる優しさがありがたかった。それまでの不器用な人生が笑いに昇華されて、ちょっとずつ楽になった。

それまで自分を晒せなかったのは、才能と志ある人たちの間でなにも誇るものが見つかっていない自分をみせて、惨めになりたくなかった。今思えばしょーもないプライドだったかもしれない、けど心が折れないように守りたかったんだよね。


社会人をはじめたばかりのころ、当時のアシスタントデザイナーという仕事は残業はほぼ当たりまえだった。いつも何かの案件の納期が迫っていて、終電で帰ることもざらにある。わたしはまだマシな方で、先輩デザイナーやアートディレクターは会社に朝までいるなんてこともよくあった。


広告業は当時はかなりタフな仕事で、クリエイティブ職は月給にみあわないながい拘束時間で、時給すれば最低賃金より低いなんてことはよくあること。

話は逸れるけど、クリエイティブ職には正当な対価があまりにもない。

学ばせてもらったことはたくさんあって、社員さんも優しい人ばかりで感謝もしているし、それでもデザイナーをしてきた先輩たちを尊敬する。だから、クリエイティブの仕事がもっと評価されてもいいのにと思う。


制作会社の競合がおおくて会社として生き残るにはそうするしかなかったのかもしれない。だけど仕事を受注して、高いクオリティを求められるし納期もみじかいのをデザイナーのサービス残業でおぎなわないと会社が成り立たないなんてことは、もう存在しないことを願いたい。

外部のゲストも招いてパーティしたりしたのです


異なる業界だけど同じように長時間働いていた同年のシェアメイトは、深夜に共有のリビングでばったり会ったりしてその存在になぐさめられた。

そんな風に平日に働きづめだったので、週末や夜にシェアメイトと話したり一緒にすごすのは心が救われていたのでした。

住んでいる地域は浅草で、下町だからか人との距離がちかくていいところだった。周辺に飲みに行ったり、頻繁にあるお祭りに参加したりして遊んだ。

あの頃はにいま以上に未熟で、弱い自分で、それは痛いほどよくわかっていた。


一人で住んでいたら、弱った時になにかに依存してしまいそうだったからまともに生きれたのはここでの暮らしのお陰でもあったかもしれない。


家ではおもしろ優しい素敵なシェアメイトに恵まれ、仕事は辛いことも多かったけど頑張りを認めてくれる人もいて、日にひに心の闇がはれていく感じがした。

あの時に話を聞いてくれて、お姉さんをしてくれた人の歳になった。人生の経験値もあがってきて動じなくなってきている。きっと、そういうたくさんの感情を経験することを通して、誰かの話を受けとめる器ができていくんだね。

受け止る側になってみて、わたしはそういうことを話してもらえることで居場所をもらえてるということを知った。ときに相手のことを受け止めきれないほど自分の器じゃ足りない時だってあるし、お節介になりすぎた?と想ったり。

必要なときにその人に必要なことが現れるんじゃないだろうかと自然の計らいを信じて、よい距離感で見まもることにしてみたり。そんなことを考えたり、考えなかったり。笑


わたしは周りのことも気を配りたい気質なのだけど、自分らしく人生を楽しむこととバランスをとろうとしている。


人生を楽しんで元気にしている姿から、ポジティブな気持ちを広げていくことに繋がるんだろうなと信じて。

あともう一話続きます🌻

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