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林林檎/林々檎(はやしりんご)
2022年3月22日 23:53
カンナちゃん近所の縁側で、三毛猫が爪を研いでいた。そのまま、時々爪をぺろりと舐めていた。そしてまた爪を研ぐ。よく目を凝らすと、爪を研いでいるのは柱ではなく、鰹節だった。そりゃ美味しいわな、と『私』は感心した。障子の奥からおばあさんの声がした。「そろそろ削れたかい?」みゃお、と三毛猫は応えた。しかし、『私』の目に映っているのは、爪で削ったそばから鰹節をつまみ食いしている三毛猫の姿
2022年3月22日 08:24
蕎麦屋の怪『私』は蕎麦がとても食べたかった。午後二時半、遅めの昼食に蕎麦屋に入った。ランチもひと段落した落ち着いた店内で、しめしめ、と思った。呑気なワイドショーが笑っていた。メニューを開くと、天ぷら蕎麦が目に入った。『私』はそれを頼んだ。ほどなくして丼が来た。一口啜る。うまい!鰹の出汁とサクサクの天ぷら、麺の喉越し。どれも最高だった。麺がうどんであったこと以外は。まあ
2022年3月21日 23:14
そぼ濡れしけた雨が降っていた。しかし傘がないので、そぼ濡れて街を歩いていた。誰かの街に行くのではない。ただの帰り道だから、濡れても平気だった。長雨でがらくたが錆び付いてゆく。時計台の軋む音がかすかに聴こえる。外れかかった幌のはためく下で、空き瓶たちががらがらと擦れ合う。しとどに濡れた外套の下で生い茂る苔の蕾に、飛び乗った蜘蛛。午後の通りは仄明るい。その先の虹を待たずに家路を歩
2022年3月21日 08:03
犬のお巡りさん『私』が家を出たあたりで、警察犬が辺りを嗅ぎ回っていた。後ろではお巡りさんが子猫を抱えていた。お巡りさんは警察犬が臭いを追う後ろで、不安そうな子猫をあやしていた。しばらく進むと、一軒の家の前で警察犬が吠えた。お巡りさんはその家を訪ねると、中から若い女性が出てきて、子猫を抱き抱えるとわんわん泣いていた。無事に迷子が家に戻れて、無関係な『私』もホッとした。そして、プロの警
2022年3月20日 21:45
地団駄団朝早くの公園に老若男女の集団がいた。『私』はそれを遠巻きに眺めていた。「みなさん! 右足からいきましょう」先頭の男が声をかけると、集団は一斉に、だん、だん、と右足を地面に叩きつけた。「いい地団駄です!」数分続いた地団駄を止めて、先頭の男が言った。「この調子で地団駄団を盛り上げていきましょう!」集団から鬨の声と、地割れのような地団駄が響いた。怪しい反面、楽しそうで羨ま
2022年3月17日 23:19
海水ぐらいで『私』は真っ暗な部屋にいた。最初は何も見えなかったが、次第に目が慣れてくると、おぼろげに見えてきた。『私』は目の前にあるボウルの中身をつぶさに見ていた。中には小さな楕円が並んでいる。楕円がたまに震えて、小さな泡が浮き上がってくる。楕円はたまに開いて、かたり、と音がする。心が落ち着いてきた頃、『私』は手探りで部屋を出て、鍋にお湯を沸かし始めた。そしてまた部屋に戻り、明か
2022年3月16日 23:20
ノーモア『私』が路地裏をくねくねと通っていると、逃げていた映画泥棒とぶつかった。その勢いで映画泥棒は勝手に倒れて、動かなくなった。残念なことにパトライトを回した警察官は、上手くまかれたのか全く来る気配がなかった。『私』はそっと映画泥棒の頭のビデオカメラを触ってみた。ほんの出来心だった。再生ボタンを押してみると、週末に見ようと思っていた新作映画が始まった。無性に腹が立った『私』は、カメ
2022年3月15日 23:29
くさめ『私』は朝からくしゃみばかりしていた。とうとう花粉症になってしまったかと思うと、なんだか悲しくなった。ところが今日は、久しぶりに会う人や連絡をくれる人が多かった。再会は嬉しいものだが、こうもひっきりなしに続くと、さすがに訝しむ。今日会ったうち、十三人目の友人に思い切って訊いてみた。「ひょっとして噂してた?」十三人目の友人はこう答えた。「なんでわかった? みんなでどうしてるか噂
2022年3月15日 08:15
スカスカの伊予柑『私』は伊予柑がまあまあ好きだ。とはいえ、伊予柑の瑞々しいところは苦手だ。その理由は簡単で、酸っぱいからだ。しかし、水分の抜けたスカスカなところが甘くて好きなのだ。子供の頃はあのスカスカが贅沢だと思っていた。房の端っこにちょっとだけしかないあれは、伊予柑の希少部位だと思っていたのだ。マグロのトロや牛肉のサシみたいに。家を出ればそんな人間こそが希少だったのだが。今
2022年3月14日 08:13
坂道で智慧の実『私』が急な坂道を上っていると、頂点が見えたあたりで。上の方に紙袋いっぱいの林檎を抱えている女の人がいた。気づいた刹那、紙袋の底が抜け、林檎が一斉に坂を下り始めた。『私』の元に来た数個は難なくキャッチしたが、十個以上は坂を駆け下りていく。女の人も必死に追いかけるが、靴が動きづらそうだったので、スニーカーを履いた『私』の方がが早かった。『私』は坂を下りきって、全ての林檎をか
2022年3月13日 14:22
大きな青虫『私』は花壇で眠っていた。もちろん、花と花の間に。カーキ色のつなぎを着ていたので、大きな青虫のようだっただろう。その通りだ。よじよじとそうしていると、横の青虫と目が合った。お互い大変だよな、と言われた気がした。目が覚めると、おおむね日が暮れていた。どこまでが夢かわからないが、そんな一日だった。
2022年3月12日 00:38
忍びない前を歩いていた黒服の男が撒き菱を落としたので、『私』はそれを拾って渡してあげた。「これはご親切に。忍びないですが、ありがとうございます」朗らかに礼を言う彼に、『私』は問うた。「ひょっとして、忍者ですか?」男は狼狽した。「せ、拙者、忍者なんかじゃ、ない、……で、ござるよ。それより、何か礼をさせていただきたい」堂々と忍者だった。「そんなのこちらこそ忍びないので……」と『私』は
2022年3月10日 23:53
帰ってきたネズミ捕り『私』がまた近所の道を歩いていると、先日、ネズミ捕りをしていた道路に、今日も覆面パトカーが停まっていた。お巡りさんも大変だなぁ、と呑気に眺めていた。その時、小さな生き物が猛スピードで走っていた。後姿からは、どうやら猪のようだった。覆面パトカーは慌てて猪を追ったが、なかなか追いつけないらしく、また猪も止まらないようで、サイレンの音はどんどん遠くなっていった。後から聞
2022年3月9日 22:48
赤い月泣き止まない目のような、真っ赤な月が出ていた。地平線のそばにただ浮かんでいた。それはじきに白くなるだろう。頭上で小さくなるだろう。夜が明けたら消えるだろう。だから『私』は見ていた。今しかないそれを、じっと。