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二十五回「出鱈目なパズル その弐 妄想映画人の誕生」の巻

1994年 1月  草加

〇妄想映画人は朝が早い

 

朝の大学が好きだ。時期で言えばそうだな、夏から冬にかけてが最高だ。夏なら朝の涼しいうちにキャンパスの敷地内と、その周辺をうろうろと散歩するのがいい。一限が始まる前の約九十分、朝は人が居ないからどこもかしこも使うのは自由だ。

うちの大学はこの草加にしかキャンパスがないから意外と広く(もちろん国立や海外の大学と比べたら雲泥の差なんだけれど…。)

、普段学生が足を踏み入れないバックヤードまで足を踏み入れると結構な広さがあった。調べてみると不思議な場所も幾つか見つけることが出来た。

歩くのに疲れると、どこか適当なスペースに座ってみる。眠る前に読み始めた本を鞄から取り出して、缶コーヒーを片手にじっくり本を読むというのが僕の朝のルーティーンとなっていた。

 

本の世界に浸っていると「いま僕がいるココは大学なのだ」という意識は段々と薄くなっていき、自分の周り百メートル四方の空間に意識が跳んでいく。

すると、「いま自分が様々な場面の可能性の中にいること」を感じることが出来た。妄想の中で僕はプロフェッショナルな映画人であり、時にプロデューサー、監督、脚本家、俳優、何でも選択は自由だった。

朝の散歩を始めたころは、グラウンドで練習している体育会の連中を傍目に思うことがあった。「あいつらは明確な何かを練習することがあって羨ましいな」と、最初はそんな感じで、僕は彼らをぼんやりと眺めているだけだった。

この朝の時間を映画のイメージトレーニングだと思うことにしたのはいつの頃だっただろうか。

「まだ自分は映画が撮れない」と思っているだけでは、いつまでたっても物語は始まらない。だからいまここをロケ地として捉えることで妄想を膨らませていくことが出来た。

 

例えば設定として目の前の校舎が科学研究所だったり、どこかの宗教施設なんかだったりしても面白いかもしれない。中庭は恋人たちのデートコースになるし、中央棟まわりは役所や警察、六棟の建設予定のスペースは格闘シーンで使えるだろう。そんな色々なシーンを思い浮かべることで、キャンパスはいつしか僕のスタジオ・撮影所になった。

いつオファーがあっても良いように、とまでは言わないが、こうして僕の非公開の妄想映画は次々に産まれていった。その時は、それが面白かった。

 

〇一限の講義のみ出る意味

さて、大学の一限の講義というのは人気がない。それは学年が上がるにつれて増々その傾向は高まるらしい。普通に考えてそうだろうなとは予想していたんだけれど、後期にもなるとそれは文字通り人の気配がなくなる様に学生の数はみるみるうちに減っていった。

まあ誰だって朝早くから大学に通いたくはないのかもしれない。夜更かしと朝寝坊は大学生の特許みたいなもので、「笑っていいとも」のテレホンショッキングを観ながら起きるという輩もいる位だった。

だけど、そんな中で僕は月曜からなんと土曜まで一限をとっていた。天の邪鬼という訳でもないし、取り立てて真面目な訳でもなかったのだけれど…。

理由は明白だ。一限の講義は出席しないと単位が取れないものが多かったし、出席しない人が多くなればなるほど、逆に出席さえすれば落とさないものが多いと予想したからだった。また他の効果として、一限に出ていれば二限も仕方なく出ようとするもので、この一、二限をクリアしちゃえば後はなんとでもなるだろうと弘樹は考えていた。

そしてなるべく一年と二年の段階で取れる単位の上限まで取ってしまおうと思っていた。

案の定十二月の段階で、弘樹はほぼ一限以外は出席しなくてもテストかレポートさえ出せば大丈夫だろうという見込みがついていた。

 

〇「先輩、あれ貰えますか?」

昼休みには、三・四年生たちも大学にやって来る。十二月から一月後半まではテストやレポート提出があるから、普段は顔を出さない先輩たちもふらふらとやって来るのだ。

年が明けると就職活動に入る三年生、就職が決まっている四年生たちは、独り暮らしのアパートをそろそろ引き払う準備を始めるらしいと聞いていた。だから、僕は昼休みには学食を巡り、出会えた先輩たちにお願いしてまわった。

「先輩、アパートを引き払うタイミングでいらなくなったもの、例えば家具とか貰えませんか?」

「ん?お前も独り暮らしするのか?いいよ、その時になったら取りに来いよ」

「じゃあ、あれ欲しいんですけど…、ほらビデオデッキとテレビ。あとコタツも良かったら……」

「分かった分かった、ったくお前は目ざとい奴だなぁ」

そんな具合だった。前にも書いたが、僕は独り暮らしをしている人たちの家に遊びにいくことが多かった。だから、そんな彼ら彼女らの家の情報が頭に入っていた。何というか、物乞いみたいで少し恥ずかしいなと我ながら思ったけれど、背に腹は代えられない訳で…。

そう、僕には欲しいものが、買いたいものが他にあった。それは、

映画用のフィルム撮影機材、

映画用のフィルムと編集機材、

それとビデオ機材など。

 

そういうものに今まで貯めた軍資金は使いたかった。サークルにも機材はあるだろうって?それはそうだとも言えるし、そうでないとも言えた。うちのサークルはそもそも「映画と遊びが半々で学生生活をエンジョイしよう」というノリだったから、機材はホームビデオカメラとビデオの編集機材が少々ってところで期待は出来ない。ちゃんと映画を創ろうとしているキン先輩や同期のミライなどは自前のものを少しずつ揃えているようだった。

 

そして、例のごとく時系列としては出鱈目になってしまっているのだけれど、実はつい先日、僕はこのサークルを辞めてしまっていたのだった。

「ほんとに辞めちゃうの?弘樹くん」

R女史にはそう何度も聞かれたが、辞めますと言ってしまったからには、今更引き下がれなかった。きっかけは、今思えばどうでもいい様な下らないものだった。

 

でも、「理由は?」と聞かれて、それを説明すればするほど、心のほんとの部分と離れていくような気がして、弘樹は段々と面倒くさくなっていった。

これでまた振り出しに戻るのか?と一瞬考えたけれど「仲良しの三年生も引退しちゃうし、まあいっか」と弘樹は思った。

(次号 出鱈目なパズルその参「そして僕は再び北に向かった」に続く)


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