第42回「イタリア縦断記 その10」目指せニューシネマパラダイス 夢の島へはゆっくり行け!
1992年 弘樹高校2年。
では、シチリアにはいつ、どのように行けばいいんだろう。弘樹は、ぼんやりと地図帳でルートを指で辿りながら眺めることが多くなった。
「ハヤシ、どうした。ヨーロッパにでも行きたいの?」
そう声をかけてきたのはナオだった。
「この前、ハヤシから借りたシベリア鉄道9400キロ、あれすごく面白かった」
と宮脇俊三の文庫本を差し出して、地図帳のシベリア鉄道ルートをなぞる。
「宮脇さんのルートでウラジオストックからモスクワへ。そこからヨーロッパならどこでも安く行けるはず、どうかな?」
黒目がちのキラキラした眼を持つナオは、純粋な男だった。休み時間ごとに僕の机にやってきて、地図に直接ペンでその道を記した。宮脇さんの本は単なる旅行記ではなく、細かい情報まで載っていたから、具体的な費用やかかる日数、注意点まで参考になった。いつしか、シベリア横断の旅の計画が出来上がるまでになっていき、アルバイトまで始めたのだが、その年の十二月にはソヴィエト連邦が崩壊し、計画は頓挫することになった。
ただ、その計画の中で、大切にしていたこと、それは「旅は目的地に着くことだけが大事じゃない」ということだった。だから、飛行機で一気に飛ぶのは邪道であり、その道筋を味わうべし、と僕らは声高に叫んでいた。飛行機よりは鉄道だ、もしくは船もまた良しだと。弘樹にとっての最終目的地はもちろんシチリアだったのだが、『一週間以上かけて極寒のシベリア鉄道に乗り、まずはモスクワを目指す』という旅。それはなんとも夢があるなと刷り込まれた記憶がしっかりと今に続いている。
2018年。そんなこんながあったからなのかは分からない。けれど、それから四半世紀も過ぎてヒロキは、ようやくシチリアに迫る手前まで来ている。当時の計画の最初の到達点、モスクワからではないが、北のヴェネツィアから車で縦断し南イタリアへ、そこから船を使って島へ渡る。なんだかあの時の延長戦みたいだなと、愉快な気持ちになった。