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序「二つの時代の物語を」

僕は「カントク」と呼ばれている。映画の監督を生業としているから、まあそれは仕方のないことだろうと思う。28歳でデビューしてから43歳までの15年間、出会う人の全てにそう呼ばれていると言っていい。妻の日奈子でさえ「監督さん」と呼ぶし、僕が映画を撮っている所を見たことがない人も、そう呼ぶ。

 映画「ふるさとがえり」の制作を岐阜県恵那市で行った時のこと。出会って5年、10年経って、初めて僕がカメラの前で「カット!」と声を張り上げる場面に出くわした人たちが、「カントクって本当に映画監督だったんだね、あだ名かと思ってた」なんて言い出す始末なのだ。でも、それでいい。もうすっかり慣れてしまったし、何ら問題はない。

 しかし最近、20年近くパートナーを組んでいる脚本のモレスキンや、スタッフの両国くんが、急に僕のことを「弘樹さん」と呼ぶようになって居心地が悪い。何か背中がむず痒いというか、何というか……。急に改まった神妙な面持ちで、

「弘樹さん、今日からそう、ちゃんと名前で呼ぶようにするよ。

 人を仕事の肩書きで呼ぶのは失礼だと思うから」

 とか何とか尤もらしいことを並べたてられたのには閉口した。俺の、今までの二十年はどうしてくれんだよ、という気持ちである。(余りに唐突のことだったので、本人達の前では「分かったよ」と言うしかなく、今日現在も違和感を感じ続けている訳なのだが)

 さて、前置きが長くなってしまいました。改めまして獨協大学卒業生の林 弘樹ともうします。この度、同窓会埼玉県支部の公式サイトで「随想」を連載させて頂くことになりました。依頼内容としては昨年から一年間行ってきた「文化庁の新進芸術家海外派遣制度を使ってのヴェネツィアでの体験」もしくは「映画の道を歩むことになったきっかけ」を交えつつ自由に書いて宜しい、とのことです。

しかし、この自由というのが、厄介なもので、はて何を書こうかと暫く思案にふけっておりました。そんな時にヒントをくれたのが、先の「名前で呼ばせてもらいますよ事件」なのでございます。(流石は脚本家!今回の執筆へ繋げる辺りが大先生のなせる業なのでしょうか)

 そういえば、「弘樹」という名前で呼ばれていたのは、獨協での学生時代とヴェネツィア大学時代、この二つの時代に限ってのことなのです。二十五年もの時を超えて繋がる「ヒロキと弘樹」の二つの物語。なんか良いかもしれないぞーと少々テンションも上がってまいりました。

 学生時代の自分「弘樹」は、先の見えない暗闇の中を這いつくばっていました。光の弱いカンテラを持ち「何かになろう」と必死だったと思います。片や25年後のヴェネツィアの「ヒロキ」。もう一度、自分の映画の原点であるイタリアでゼロを踏もう。そして「これからどうあるべきか」を考えようと、島中を歩いて歩いて、歩き続ける日々。このヒロキと弘樹、二つに共通するのは「何者でもない」という至極どうでもよい存在である点なのかもしれません。昨年日本を旅立った時は、会社のことも全てスタッフに託し、今後数年の仕事も一旦白紙にして飛び出してきましたから、学生時代と同様に日々とりたててやらなければいけないことも無い。特に期待も注目も、そして課せられた責任がある訳でもない。そういう状況下に降り立った時、時間は伸びたり縮んだりと千変万化するものなのでした。

 そして、僕が今まで撮ってきた映画について人は、幾つかの時間が交錯し、それが入り乱れて不思議な気持ちになると言います。人によっては分かりにくいと感じられる人も多いかもしれません。それを今回初めて「書くことでやる」のは自分にとっても大きな挑戦になります。書く力量が伴うかどうかも全く不明なのですから……。

 ただ、僕は興味があるのです。この「時間と記憶」というテーマに挑み続けることで、どこかの誰かの物語と繋がることが出来るのではないかということに。だから、リアルな体験から感じ出ずることを少しずつ物語ってみたい。出来るだけ飾らず、正直に書いてみようと思う。でもね、事実を誤って書いてしまうこともあるかもしれないし、時々嘘だって混ざっているかもしれませんよ。どうかその辺はご容赦を……。リアルそのままに伝えることよりも、そこで何があったのか、何が引き起こされたのかというリアリティを表現していくってのが、映画屋の身上でありますから。

こればっかりは自分でも書いてみないことにはわかりません。毎回、一つの時代の一つの場面を、それらを交互に下記進めてみようと思います。今と昔、ヴェネツィアと獨協。読んでくださる方々の意識と繋がり、どこかに辿り着くことが出来ればこれ幸いであります。どうぞ、ゆっくりと「時間と記憶の旅」にお付き合いくださいませ。

 平成三十年十一月 十条にて

※出てくる人物等の名称は、実際のものと少し違う場合がございます。


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