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今の時代に、武士道で育てられるとどうなるか?


●サムライはいないのに



江戸時代が終わり

武士がいなくなってから

およそ100年後の1960年代、昭和。

僕はもの心ついた時から

武士道で育てられた。


4歳ごろから、

母親からこう言われ続けた。

「おまえはサムライなんだから」

「えっ、なに、それ?」

「おまえは武士なんだから」

「ちーっともわかりやすくなってませんけど」


「せっしゃ、まだ保育園にも

行っておらぬゆえ

まだわからぬ」

と言いたいくらいだった。



武士道教育は続く。

「武士たるもの感情を見せてはいけない」

「なんで?」と聞ける雰囲気は1ミリもない。


なぜなら、

「一を聞いて十を知る」ではないが

答えは己で見つけねばならないらしい。

4歳の坊やにはいささかハードルが高い。

しかも、

人の話を聞く時は
相手を見てしっかり聞き
話す時は正面を向いて話す。

「背筋を伸ばして!」
「返事はすばやく!」
「何か音がしても返事をする」
「たとえそれがオナラであっても」

(なんでー?と思うけど)

それくらいの誠実さ、素早い対応と

正しい姿勢が求められた。


とはいえ、

背骨もしっかりしてない年齢なので
背筋ピーンとはならない。

4歳の坊やにはこれもむずかしい。


しかしながら、

大人になり、居酒屋でバイトをした時には
客への素早い対応ができたので役立った。


●武士道教育は続くよどこまでも


小学校に入ると

武士道教育が加速した。

うちの武士道は薩摩藩のもので

「御中」という組織の教えと

我が家独自のハイブリッドの

教えであった。


僕の父は無口で会話も少なかったので

教育係は母親だった。

母親の祖父は実際に刀を持っていた

最後のサムライであり、

母は彼と話したこともあった。

自分も会って見たかったと思う。


さて、

さまざまな武士の教えには

なるほどと思うものもあったが、

いまだに解せぬものもある。

すでに両親とも他界したので

聞くに聞けないのが残念だ。


●サムライの心得リスト


先ほどの教え以外にも

◉文武両道

◉ 絶対に負けるな。

◉ ケンカは勝つまで帰ってくるな。

◉ 卑怯なことをするな。正々堂々と戦え。

◉ 仲間、友人、配偶者を裏切るな。

◉ 後ろ指を指される人間になるな。

◉弱いものをいじめるな。

◉むやみな殺生をするな。

◉後輩、年少者の面倒を見よ。

◉年配者、年寄りを敬え。

◉武士に二言はない。

◉武士は食わねど高楊枝
(これも武士道か?)


また、これは教えではないが

子供の頃の名前だけでなく
元服(成人)した後は、
大人の武士としての名前をもらった。
「何時代だよ?」と思われるだろう。


とにかくいろいろなサムライの

教えがあった。


●記憶に残る3つの教え



特に印象に残っているのが、

◉3年に片ふ(字はわからない)

◉ 相手が銃できたら刀で、
刀できたら木刀で
木刀できたら素手で戦え。

◉ 嫉妬する人間になるな、
嫉妬される人間になれ。

この「3つ」である。



解説すると、

◉3年に片ふ

これは先に述べた

「武士たるもの感情を見せてはいけない」

と似ている。


意味は、

「男たるものヘラヘラ笑うな。

笑うのは3年に一度で十分。

その時でさえ、

片方の口元がかすかにゆるむだけでよい。」

という教えである。


なので、

僕は笑いたいけど笑えない、

笑わないこともあった。


感情を出さないという教えは、

自分なりに考えたが、

いくさの時、

たとえば斬り合いの最中に

表情が豊かすぎて

「イタタタ、右足痛え~」

と音声化してしまうと

右足を重点的に攻撃されてしまう。


また、初めての「いくさ」で

「わーっ、こえ~よ~、泣きそう」とか

ギャン泣きしてしまうと

相手が優位に立つので

戦場では相手に悟られぬよう

無表情でいたほうが良いからだろう。

この教えはのちに

花札などゲームやスポーツの試合など

緊迫した場面では役立った気もする。


次の教えに移ろう。

◉ 相手が銃できたら刀で、
刀できたら木刀で
木刀できたら素手で戦え。

これもよく言われたが、

自分なりに考えるに、

「悪い状況下で勝つことに意義がある。」

「勝つ見込みが乏しい中でも

諦めずに勝機を見出せる人間になれ」

ということであろう。


この教えは個人的には

偏差値が低く英語ができるとは

思えない状況でも諦めずに

やれたことにつながったと思う。


だが今なら、もし戦う場合

相手が銃で来たら、

戦車(アメリカのM1エイブラムあたり)で

対応すれば相手の戦意喪失を招き

お互い戦わずして収まる気もする。



最後の教え、

◉ 嫉妬する人間になるな、
嫉妬される人間になれ。

これは嫉妬などしていると

心が掻き乱されるので

いくさに出た時よろしくない

ということだろう。


たとえば、

斬り合いの真っ最中に

「あの野郎、出世して5万石もらいやがって」

「なんで俺じゃないんだよ」などと

雑念が浮かぶと

後方から槍で刺されるかもしれない。

サムライは嫉妬で命を落とす危険性もある。

「たかが嫉妬、されど嫉妬」である。

自分なりには、この教えは

「嫉妬する時間があれば

今に集中し、日頃から

自分を鍛錬して高めよ。」

ということだと解釈した。


とはいえ、

嫉妬するのも楽しくはないし、

嫉妬されるのも面倒な気がする。

なので、無理に嫉妬されようと

しなくても良いとは思う。

●武士道で育った感想とは



まあ、とにかく

サムライがいない昭和の時代に

時代錯誤のように

武士道で育てられた心の変化は

次のようなものである。


最初は、幼児なので

「なんか知らんけどそうなの?」

親の言うことを真に受け

「教えを守ろう」とした。


だが、途中から

「なんでオレだけこんなの

学ばないといかんの?」

と疑問と反発心が芽生えた。

同時に他の文化が

面白そうに思えた。


そして、

「和」の精神教育を

しこたま受けた反動で

僕は「西洋文化」に走った。


ROCK ON♪ HEAVY METAL RULES! I don't care what they say. It's My Life!

アメリカ、ロック、ヘヴィメタル、
サーフィン、サッカーなど。
結婚式もハワイで革ジャンを着て挙げた。


親は「あれっ?」と思ったかも。

「なぜ洋楽?詩吟じゃないの」
「ギター買うくらいなら尺八でしょ」
「弦楽器にこだわるなら琵琶もあるわよ」



もちろん自分なりに

「文武両道」ということで

「文」も「武」もやった。(つもり)

「文」は英語ぐらいで(和じゃないな?)

「武」は剣道、柔道、空手、少林寺拳法なども

やったはやったが。


●結論


◎ 幼い頃より武士道で育てられたからと言って

ルパン3世の石川 五ェ門のように

和服、和食、和の精神で

暮らすようにはならない。

◎自分のことを「せっしゃ」とは言わない。

◎ 反動で「西洋文化」に走るやもしれぬ。


◎すべての教えはとてもじゃないが

守ることはできなかった。

◎ ただ、最近は「和」の文化の良さを
以前よりはるかに感じるようになった。
(音楽も「和楽器バンド」はお気に入り)

ということで、

◎ 親は子供に良かれと思って

武士道を教えただけで

「絶対に一生笑うな」とか

「ちょんまげで生きてくれ」と

願ったわけでもなく

「とにかく幸せに生きてくれ」

そう願ったのは間違いない。

それが「親からのメッセージ」だったのだと思う。



以上、読んで頂きかたじけない。

Thank you for reading!

Have a good one♪


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