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「美」を間違った方向に追い求めて、失敗して、気づいたこと。

皆さん、こんばんは!はひです^ - ^

今回は私が自分の容姿の「美」への謝った選択によって
気づいたことについてお話しします。

その前に、、、皆さんにとって「美」ってなんだと思いますか?
というなんと答えづらい問いをぶっかけてみました笑

例えば、自然、人の温かさ、頑張る姿、芸術など、、、

「美」の基準や価値観は人それぞれ違うかと思います。

今回はその幅広い意味である美の「容姿」の分野についてがメインです。

本来、女性の容姿に関する「今よりも可愛くなりたい!」と思う
その感情自体がとても素敵なことだと思います。

今日は〇〇風なメイクにしよう!
ヘアアレンジは巻き髪?ストレート?

のように見た目をメイクやヘアスタイルを自分好みにすると
その1日がワクワクして外に出かけるのも楽しみになりますね。

そしておしゃれを纏って大切な人々と会う時間。
これも実は当たり前ではないとても尊い時間。

ただ、時にその気持ちが強迫観念を持って苦しみ冷静さをかいて
始めた大きな決断が、人生を狂わされる場合もある。

そのことを歯列矯正を通して気づきました。

私にとって歯列矯正前と今では驚くほど違います。

どちらかというと矯正前は完璧主義で、自己肯定感が異常に低かったです。

特に、人生において「〇〇でなければならない」という誤った価値観に20年以上
呪いにかかっているかのように潜在的に感じていました。変に自分に厳しすぎる性格だったかもしれません。今思うととても視野の狭い状態とも言えるでしょうか。

しかし、今は歯列矯正失敗により、自分が否定していたはずの部分を
失ってそれは長年によってできた、強迫観念だと気がつきました。

以前は、本当にEラインがかっこいいと思っていました。
過去に海外で暮らしていた時期に、白人系の彫の高いお顔に強く憧れました。その中でも口元が内側に向いているのがとても似合った方がいて、特にその時に強い憧れを持ったのを今でも覚えています。この時期までは、あくまで本当に横顔綺麗だな〜という憧れの眼差しでした。

また、それだけでなく、ネット広告でよく私の場合は繰り返し繰り返しまるで洗脳の雨を浴びるかの如く脱毛や歯列矯正の広告が出るようになりました。なぜか脱毛する気が起きず、今もしていません。

しかし、歯列矯正は私の心の中で抱いている憧れをどんどん強く生みました。『Eラインが綺麗だとされています』『矯正で自身のある笑顔を目指しましょう』その言葉が私の中でいつしかグルグル回るようになっていきました。

それでも、歯列矯正に踏み込むことはすぐにしませんでした。
理由は、2つあります。1つ目は、歯をワイヤーで動かすってかなり痛そうだな。。というイメージが強くて怖かったからです。2つ目は、ワイヤーを装着している姿を人に見られたくないという感情が強かったからです。

そんな中、新型コロナウイルスによるマスク生活が始まった時期に、「今なら勇気を出せば、始められる!マスク生活なら矯正のワイヤー姿を人にあまり見られなくて済む!」という感情が生まれました。

私の中で、長年歯列矯正はしたいと思っていたけれど、これを機に今がチャンスと言わんばかりに、矯正を始める決意をしました。

問題は、自分の顔全体の自己分析をすることなく、Eラインの口元にただ憧れてなぜ自分がEラインでは無いのかをちゃんと落ち着いてみなかったことにあります。

またそれだけでなく、ネットでただ歯列矯正に関して調べようとするとどうしても抜歯矯正をゴリ押しする矯正歯科で溢れてきます。

そのため、色んなキーワードで検索して見ないと自分に合った噛み合わせや口もを目指せる優秀な歯列矯正にであるのは難しいかと思います。

このように、歯列矯正をする上で大切なことは『落ち着いて、納得するまで下調べをする。突発的になんとなくで決意しない』ことにあると思います。

今思うと、私が強迫観念に囚われて自分のポテンシャルを無視してちゃんと調べずに歯列矯正を始めたときの生き様が美しいとは今は思えません。

特に『外見の美」を体の一部を動かすことで目指すこと自体、その目指し方を間違えたら、せっかく時間とお金が水の泡となり、人によっては健康も見た目も失ってしまいます。

なので、今はどれほど外見と健康のリスクがあることをネット広告にお金を大量投入して、見る側に潜在意識を植え付けようとしているのが恐ろしいほど感じます。広告の影響力は時に凶器になり得ると思います。

人の美的感覚は、十人十色だと思います。
国が違えばさらにそのレパートリーはまさに無限大です。
おそらく、日々見ているもので驚くほど変わると思います。

例えば
どのような人々と関わり
どういう環境で過ごし
どのような会話をし
どのような言葉を使い
どのようなことを学んでいるのか
どのような思考で日々過ごしているのか

以上を踏まえると、私は長年誤った思考の学習をしてしまったのだと気づきました。

私が歯列矯正で失ったことは
あまりにも大きく生きづらさを抱えた人生に
さらに上乗せしてそのレベルを勝手に上げてしまったわけなのですが

今一度、自分の価値観を見直す重要な機会かと一方で感じております。
長い長い期間自分の中で持っていた当たり前は当たり前なのか?
それを問い続ける日常がここにあるのでした。

まだまだ人生はこれからなのだと、そう思いたい日々です。

本日も、数あるブログの中から
はひのブログをご覧いただきありがとうございました!

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