見出し画像

悲しみを知らない人へ

私は昔から群れない。仲良しグループが苦手で、仲良しこよしが苦手。学生のころは、それでもちゃんと属していたと思うんだけど。だんだんと、そういうのから離れてしまった。一人でいることができるからだと思う。一人でいるのが、寂しいときもあるけれども、何でも自分で決めることができるので楽だ。人を信じなくていいから、疑心暗鬼にならなくて楽だ。私の気持ちを伝えなくて済むから楽だ。わかってもらわなくていいのだから楽だ。一人でいることは、亡くしてからますますひどくなり、その日からやめられる人付き合いは、一切しないことにしている。

結局私は、当時の群れから逃げてしまった。


悲しみを知らない人には、私のことはわかるわけがないんだ。

上のリンクは、あの頃の私の気持ちそのもので、最近ではもう少しマイルドだけど、基本的な思いは全く変わっていない。同じ思いを持つ方には、きっと響く。


悲しみと生きる 思いながら生きる


基本的に、私は群れない。

基本的に、私はひとりでいる

だからと言って、社会生活が送れていないわけではなく、もちろん会社に属しているし、家族に属している。

あんまり群れないけどね

群れる人々から、嫉妬みたいな感情を抱かれることが多い。なんで、何でも持っている人々が、何にも持っていない人に嫉妬するのだろうか。群れないことが気に食わないのだろう。一人で平気そうなのが気に食わないんだろう。何でも持っていて、幸せも持っていて、友達ももっていて、子供も、夫や彼氏もいて、何もかも持っている人たち。私よりも幸せな人たち。なんで私のような何もかも、もうもっていない人にこだわるんだろうか。群れる人が苦手だ。

たとえ、私が群れたとしたら。とても苦しくなるんだ。ひどく孤独を感じるんだ。だってわからないから。だって一番大切な人は、この世にはいないんだから。大切な娘には、この世では会えないのだから。普通の幸せな人たちの悩みは、私はきっと苦しくなる。だってそれは幸せということだからだ。

あたりまえは、幸せなんだよ。

そうなんだ。あたりまえがどれほどに幸せなのか、私は知っているんだ。

幸せな悩みや、幸せな愚痴を聞くのは、くそつまんない。でも群れるのは、そういう共感が絶対に必要で。でもそれは幸せってことなんだよ、あなたの悩みは、幸せなんだよな、私幸せなんだよ!と私に向かって言われている気がしてしまうよ。でも群れる人に、どれほどそれが幸せなのか伝えても理解できないんだよね。重いお話だしさ。だって本当の悲しみを知らないから。

もちろん、悲しみなんて知らない方がいい。

けれども、私は悲しみでできている。

私は私の思いと共に生きる。一生懸命生きるよ。

悲しみと生きる人。それが私。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?