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私が4畳の部屋で暮らす理由
皆さんの部屋は何畳ですか?
どうも、こんにちは。
4畳の部屋に住んでいる生姜元気腹痛子です。
部屋にあるのはローテーブルと布団だけ。
服や食器は収納スペースに入るだけしか持っていません。
一般的な人よりも持ち物は少ないかもしれません。
しかし私は、昔から現在のような生活を送っていたわけではないのです。
昔は、古くなった洋服も、使えなくなった鞄も、お菓子のパッケージさえ捨てられない、加えて片付けもできない人でした。
そして、私は「物は沢山持っている方が豊かだ」と思い込んでいました。
そんな私がなぜ、今、4畳の部屋に住んで物をあまり持たない生活を続けているのか。
そこには、私の思い込みを変えたある一つの出来事があったのです。
今回は物を持つということの考え方や私の過去を紹介しながら、「思い込みが変わったこと」についてお伝えできればと思います。
■アイスの棒さえ捨てられない、そんな時期もありました
冒頭にもあったように今は、持ち物が少ない私ですが、高校生までは物が捨てられない人でした。
祖父に買ってもらったアイスの棒も捨てられないし、友達からもらったお土産の袋も捨てられない。なぜならそれらには大切な思い出が詰まっているから。
物に囲まれていた方が落ち着くし、身の回りを綺麗に掃除した後はなんだか寂しく感じるくらい、物がある生活というのが当たり前になっていました。親に部屋を片付けなさいと怒られても、とにかく物をしまうだけ。自作の「とりあえず袋に入れちゃえ」という歌を歌いながら、ジャンル分けもしないで袋に物を詰め込む、そんな片付け(?)をしていました。
■毎日百円ショップでお買い物
小学生の楽しみといえば放課後にお友達と遊ぶこと。
ですが、私にはもう一つ楽しみがありました。
それは、祖母と一緒にスーパーと百円ショップに行くこと。
毎日夕飯の材料を買いにいく祖母に着いていく。軽トラに乗せてもらって片道20分のスーパーに行きます。
そのスーパーでの楽しみはお菓子を買ってもらったり、晩ごはんのメニューを祖母に提案したりすること、そして、食品の味見をすること。
でもそれだけではありません。
そのスーパーには百円ショップが併設されていました。私はそこで買い物をすることが何よりの楽しみだったのです。
当時、流行っていた鉛筆キャップに、お菓子の形をしたキーホルダー。立体感のあるシールまで。
数えきれないくらい、沢山買ってもらいました。
(今思い返してみても、祖母には本当にお世話になったと思います、感謝しています。)
ですが、当時の私はお金の大切さと物を持つことのコストについて理解していなかったのです。
そんな日々を送っているうちに、私の部屋はさらに物で溢れかえっていきました。
■物が増えても、捨てられない、片付けられない。忘れ物は当たり前
小学生の私は毎朝、登校前に手当たり次第詰め込んで開かなくなった引き出しと鞄をひっくり返しながら、「ない、ない」と言いながら、授業で必要な物を探していました。
学校に行く準備は当日の朝にしていたからです。
筆箱にどんな鉛筆キャップや消しゴムを入れようかということは考えていても、テストで使うコンパスのことは当日にならないと思い出せない。
優先順位を決めるのが苦手でした。
このように片付けと整理整頓ができないことで日常生活に支障をきたし始めていました。
給食用のお箸は各自持参の学校だったのですが、4日連続で学校に忘れてきたこともあります。
(学校の流しに備え付けられている石鹸で洗えばなんとかなることも覚えたくらいです。)
私は学校の机の中に入れてある「道具箱」の中も整理できていませんでした。
授業参観の後、親が子供の道具箱をチェックするという一大イベントがあるのですが、そこでは親の悲鳴が飛び交うといわれています。
道具箱の中で糊の塊を作る子、カナヘビやカブトムシを飼っている子。
さぁ、お楽しみ。私の道具箱ですが、、、。
まず道具箱に物が詰まり過ぎていて簡単に机から引き出すことは難しかったと母から聞きました。
運動会の綱引きのように力を込めて、道具箱を引き出すと、なんとか引き出せてもそこには折れたクレヨンやクーピーが散らばっていて、消しゴムのカスで作った練り消しやお絵描きした紙が詰まっていたそうです。
このように家と同じく学校でも整理整頓ができなかったので、通知表の「整理整頓」の評価には、いつも「改善の努力を要する」と書かれていました。
それでも幼い私は全く気にしません。
そんなことよりも今日のおやつのことや、新しい文房具のことで頭がいっぱいでした。
月日は流れ、中学や高校に上がると放課後は部活もあり、祖母と買い物に行くことはあまりなくなりましたが、整理整頓の出来なさは相変わらず。
高校のロッカーにはいつも教科書やジャージ、プリントが詰まっていて扉が閉まらない状態でした。
そんな「片付けができない人代表」だった私も、大学受験が終わり、上京のため荷造りをしていた高校3年の冬。ある出来事が私の思い込みを変えたのです。
■軽トラ16台分の洋服
ある出来事とは祖母の死と遺品整理でした。
祖母が病気で亡くなり、遺品整理をすることになったのです。
悲しさと寂しさを胸に抱えながらも家族と遺品整理に取り掛かります。
祖母が着ていたエプロンをゴミ袋に入れるときは胸にくるものがありました。
祖母は自らを「洋服大臣」(洋服が大好きで沢山持っている人のことを指します。)と名づけるほど、大の洋服好き。
そのため、部屋を囲むようにして衣装ケースが積まれており、その中には洋服がたくさん入れられていました。
中には買ってから一度も着ないでタグがついたままの服も。
何着かは、わたしたちで着れるものもありましたが、虫に食われていたり今の時代にそぐわない形だったりするものもあり、処分した服は、なんと、軽トラック16台分。
処分するための費用も相当のものだったと記憶しています。
そして、私はある考えに辿り着きました。
「自分がこの世からいなくなるとき、何も持っていけない。」
祖母がこの世から去る時、たくさんの洋服を持っていけなかったのと同じように、私がこの世を去る時も、100円ショップで買ってもらった文房具も、部活で使った汗と涙が染み込んでいる気がする道具も持っていけないのです。
物は生きているうちに使わないといけないのです。
そして生きる時間というのは限られているのです。
限られた時間で物を使うには数を絞る必要があるのです。
私は今まで物をたくさん持ち、物に管理"される"状況を作り出していたのだと気付きました。
遺品整理を通して「物は沢山あった方が豊かだ」という思い込みが変わっていきました。
■インクの出ないボールペンとさようなら
私は自分の部屋を一から掃除することにしました。
インクの出ないボールペン、アイスの棒、お土産の袋、タオルのタグ、破れて使えなくなったバッグ、プレゼントの袋、もう着られない洋服、使っていない筆箱など。
祖母の部屋と同じように、私の部屋にも、買っただけで使っていないものもたくさんありました。中には一度も使っていないのに保管方法が悪くて、埃を被ったり、劣化したりして使用不可能になった物も。とても大切にされてきたようには見えません。
私は物に対して、そしてそれを買ってくれた人たちに対して、申し訳なくなりました。
物を持ち続けることが物とその思い出を大切にするということではなかったのです。
使わない物を持つということは物のために自分の場所と時間、そして気を遣っているということなのです。
物を買うためにはお金が必要なのと同じように、物を持ち続けるためには目に見えないコストが必要なのです。
物を持ち続けるためのコストは物が増えれば増えるほど大きくなります。すると私は物を管理しているように見えて物に管理されていることになるのです。
私は、自分の限られた人生を豊かに過ごすためにも、物を持つことに責任を持とうと決心しました。
この出来事から私は物をあまり買わない、買うときにも捨てる時のことを考えてから買うようになりました。
■小さな鞄理論を使おう
物を増やさないようにしようとは思っているものの、その通りには行動できないのが人間そのもの。そして私は怠け者。
怠け者の私には、物をたくさん持たないようにするしくみ作りが必要だと考えました。
思いついた対策は、小さな部屋に住むこと。
小さな鞄で出かける時、自然と持ち物も少なくなる(これを私は「小さな鞄理論」と読んでいます)のと同じように、そもそも物を置けるスペースが少なければむやみに物を買ったり、増やしたりしにくくなると考えたのです。
こうして、4畳の部屋に住む今の私があるのです。
■物を持たなくなって変わったこと
物をあまり持たない生活を続けるようになって早5年経ちますが日常生活にはどのような変化があったのかご紹介します。
・探し物の時間が減った
自分で何がどこにあるか把握できる数しか物を持たないようにしているため、探し物の時間が減りました。
今までは1日で20分は探し物をしている生活だったので、1年で、20分×365日=7300分(121時間強)の時間を無駄にしていたことになります。
持ち物を少なくし、管理しやすくすることで無駄な時間を減らすことができたのです。
・お金が貯まるようになった
雑貨屋や洋服屋に行った時も、なんとなくお金を使うことはありません。
常に買う物に対して、管理するコスト、それを手放すためのコストについて考えます。
買い物が自然と慎重になるため浪費を減らすことができ貯金額が増えるようになりました。
・頭の中の整理もできるようになった
物の整理ができるようになったおかげで、昔の部屋のようにごちゃごちゃしていた思考も整理できるようになったような気がします。
今考えるべきことと、そうでないことをラベリングし、考える必要のない不安や悩みなどに苦しむ時間を減らすことができました。
■思い込みから抜け出すために
いかがでしたでしょうか。この記事では、物を持つということの思い込みについて紹介しましたが、思い込みを変えるということには、困難が伴います。
私は、思い込みというのは一種の自身の信念でもあると思うのです。
つまり、思い込みを変えることというのは、自身の信念をどこかで曲げることでもあります。
自身の信念を曲げるということは、自分を傷つけるという可能性もあるからです。
しかし、思い込みは一生変えられないものではありません。
とある出来事から別の視点を持つことで新しい考え方を取り入れるチャンスを掴むこともできると思います。
思い込みを変えることで、手に入れることができる機会というものを逃さないようにしたいですね。
この記事で、私なりの物との向き合い方や思い込みの変化についてお伝えできていたら嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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