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多様な価値観と出会い、許容できる人でありたい|女子大生100人インタビュー#12

何かを選ぶ時、直感を結構大切にしている気がします。ビビッと感じるものがあるので。自分が働いている姿であったり、派遣先で楽しそうな自分を一瞬で想像できるのかどうかは判断基準になっているのかもしれません。

HATACHI Communityが運営する女子大生100人インタビュー、12人目は「何でもやってみる、まずは経験」することを大切に、常に行動し続ける大学4年生にお話しを伺いました!

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|成田好さん
*立教大学社会学部現代文化学科4年生
*1999年生まれ/埼玉県出身
*大切にしている価値観:何でもやってみる、まずは経験

「自分の人生ってこれからどうなっていくんだろうか」

就活も無事に終わり、内定先が決まったからこそずっと考えている気がします。例えば、社会人としてこれからどうやって生活していくのか、どういうことが自分は最終的にやり遂げたいことなのか。

現時点でのゴールは、日本だけでなく海外の社会問題を解決できるような人間になりたい、と漠然とした目標はあります。でも、それをどういう方法でどういう組織で実現していくのかが決まっていないので、まだ悩み続けています。

「社会問題に取り組める人になりたい」のは比較的ずっと考えていました。今在籍している社会学部を選んだきっかけも国際的なことを学べるからです。大学受験の時は、とにかく「国際」が付いている学部を全部並べていってどれがいいかな、と。

学科を選ぶにあたって、英語は学べるけど英米や文学は違うかなとか色々考えた結果、社会学部を選びました。当時の自分は何をやりたいのか明確ではなかったので、社会学という広い学問の中だったら、自分のやりたいことが見つけられるんじゃないかと思ったからです。

その時はどうしても社会問題にアプローチしたいと思っていた時期で、高校3年生には青年海外協力隊になりたかった。今はもう違うけれど、当時は「大学行かないでなるか」と考えていた時もありました。

|文化や場所によって違う「当たり前」を感じる幼少期

今思えば、その頃から利益ではなくて人のためになるような人間になりたいというのは思っていたのかもしれません。自分の経験を振り返ると、原点は幼少期の頃だと感じています。

小さい時に両親が東南アジアが好きで、旅行に連れて行ってもらいました。よくある話かもしれませんが、旅行先で感じたのは自分の生活と「違うんだな」ということ

自分の生活が当たり前ではないことを、4,5歳で知ることができました。そこから「他の国の人はどうやって生きてるんだろう」「なんで解決されないのかな」と幼い頃から考えるようになっていました。

その中でも、記憶に残っているのがフィリピンに行った時だったと思います。塔の高いホテルに泊まっていた時。そこの敷地が大きくて、レストランもショッピングモールもプールもある場所でした。ホテル自体が大きい城壁みたいなものに囲われていて、「なるべくそこから出ないでください」とスタッフの方から言われるんですよね。

さらに、「ホテルの中で食事も全部済ませてほしい」とも言われていて。家族もそれを承諾していましたが、当時の自分はその理由があまり分からなかったんです。今は私自身大人になってからやっとわかったことなんですけど。

その時に、自分の泊まっているホテルの窓から城壁の外の世界を見た時に、景色が全く違かったのを今でも覚えています。

自分が遊んでいる世界はプールやショッピングモールがあって。ホテルの中は比較的お金に余裕がある観光客しかいなくて、外に出ると現地の人の暮らしというか、自分たちが味わえない世界を目の当たりにした瞬間でした。何より、その壁を持ってはっきり貧富の差が分かれていたのを知った時は一番ショックでした。

その経験があったからこそ、価値観の違いを理解できるようになったのかなと今は思います。

|私と社会問題との距離感

実際に今大学で児童虐待を学んでいる中で感じることがあります。それは、自分が考えていることと実際の社会問題が乖離していることが多いことです。

自分が見ている世界は本当に一部分で、社会学を3年間勉強してもまだ本当に理解をできていないんじゃないかと、感じています。

私自身、児童虐待を学びたいと思ったのも、違いへの違和感を持っていたからです。自分はこれまで、不自由のない生活をさせてもらって進路も選べて、精神的な恐怖も叩かれることもなく生きてきたのに、なんでこんなに違うんだろうとずっと思っていました。

だからこそ自分の疑問である「なんでこんなに違うんだろう」を卒業論文として書きたい。自分でしっかりと調べて学べるチャンスだと思い、今はこの領域を学んでいます。

一方で、最近は海外の社会問題ばかりに目を向けるあまり日本のことを知らないのではないか、とも思っています。就活の話にもなるんですが、会社選びの軸として、海外に駐在ができるかどうかを見ていました。

面接官の方にも「海外に興味があるんだね」と分かってもらえたのですが、「逆に日本のことは興味がないの?」と言われたことが自分の中でショックが大きかったんです。「ああそうだな」と、心の中に残っていました。

確かに、子ども食堂のボランティアもやっていましたが、長くやっていた訳でもないし、本当に自分がやりたいことってなんだろうと。その面接官の方に言われてから改めて考え始めました。

あの時、面接官の方に言われたことをきっかけに、海外での経験があるからこそ、日本に目を向けてもいいんじゃないかと思い、今の内的先を選びました。日本の政治や、社会の仕組みを知らない部分が多いから、これを機に日本のことを学ぶことで海外にいった時にも役立つのではないかなと、今は考えています。就活を通して、思考は変わったかもしれないですね。

|自分がその国にいることを想像できるかで選んでいく

「海外での経験」と言いましたが、大学生活において大きな目標がありました。「国連ユースボランティア」として、国連で働くことです。実際に、大学3年生で国連ユースボランティアとして、カザフスタンに派遣してもらうことができました。

国連ユースボランティアというのは、世界の平和と開発を支援するためにボランティアリズムを推進する国連機関である国連ボランティア計画(UN Volunteers)が大学と連携して、学生を開発途上国へボランティアとして派遣するプログラムです。約5カ月間、開発途上国において国連事務所や政府機関、NGOなどに派遣され、業務指示書に基づき各機関のスタッフや現地の人々ともに活動に従事します。(立教大学グローバル教育センターより引用)

国際社会において、大きな存在である国連がどのように影響しているのか、どういう問題があるのか、自分には何が足りていないのかを知るために行きたかった思いがありました。

ユースボランティアとして派遣される為にも、様々な経験を積みたいと思い、大学1年生、2年生と海外での経験を積むことを決心しました。

具体的には、1年生の時には大学のプログラムを利用し、オーストラリアの公立小学校に日本語教師として、活動しました。現地では、専任の日本語教師の方がいて、その方のサポートをしたり、学校自体のお手伝いをしたりしていました。

オーストラリアに行く前に塾講師をやっていたので、子供も好きだし、活かせるんじゃないかと思い選びました。その時は英語が全然理解できてなくて、自分でもよく行ったなという感じでした。そんな私でも、生徒たちは優しく迎い入れてくれました。

一方で、英語は自信がないし、経験も全くなく行ったので、ずっと受け身の状態が続いていました。

「もっとガツガツいった方がいいよ」と言われたのですが、それがなかなかうまくできてない自分には、けっこう落ち込みました。

例えば、生徒のいっていることがわからない、バス1つでもいうまく乗れない。先生とのコミュニケーションでも「自分はこういうことをやりたいけどいったら迷惑かな」などずっと考える1ヶ月間でもありました。

それまでは、ガツガツいくタイプだと自覚していたのですが、実際はそうではなくて、当時の私にとっては無謀な挑戦だったと思います。でも、運が良くて、ホストファミリーによくしてもらったり、海外に初めて行きましたがどんな状況でも自分は楽しめる人間だと気づくことができて。次はアメリカ行ってみようと自信に繋がりました。

オーストラリアのプログラムは元々大学を経由して応募できるものだったんですが、そのパンフレットと一緒に入っていたアメリカに行く外部のプログラムがあって、次はこれに行きたいと直感で決めていました。

何かを選ぶ時、直感を結構大切にしている気がします。ビビッと感じるものがあるので。

自分が働いている姿であったり、派遣先で楽しそうな自分を一瞬で想像できるのかどうかは判断基準になっているのかもしれないです。

|いかなる状況でも楽しめる自分を見つけたアメリカでの経験

次に「ここに行こう」と決めていたアメリカも、選んだ理由として英語を第一言語としている国に行きたかったこともあります。

また、派遣先で日本人が多いと、日本人の友達を見つけちゃうなと思っていて自分の性格を考えて、国立公園を選びました。国立公園だと日本以外にもトルコ、フィリピン、タイ等、色んな国から来るので割と追い込まれて英語を話せるかなと思いました。

実際行ってみて、アメリカではオーストラリアの時よりも英語を話せたし、日本人が本当に少なかった。

それ以上にアメリカに行った2日後に、私が派遣された公園が山火事にあったのも今では貴重な経験だったなと思います。

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雷が原因で、すっごい火事になってしまって。現地では火事はたくさんあるけど、海岸が全部火に覆われていて、ついて2日目だったけど一斉避難。まずは宿泊されている観光客の方を避難させて、そこから従業員が避難してという感じでした。

当時のニュース記事

避難した先は、バスをとめている駐車場。みんなそこに雑魚寝して、1週間ぐらい100人と避難生活をしていました。その100人も知っている人が1人くらいしかいなくて、次第にその公園も封鎖されて、次の公園に派遣といういろんな経験をした2ヶ月間でした。避難場所では、周りはナーバスになっている方が多い中、私は「なるようになるかな」とか、「逆に珍しい経験できているな」と、意外と楽観的に生きていけることを発見できました。

避難生活中、他の人はそこで働くことを計算していたので、「この期間のお給料はどうなるのか」とかをしっかりと聞いている方もいて、それを見て、自分言えるのかなと感じました。

はっきりと何かを伝えるのが決まっているときは、言えるんですけど相談とか悩み事とかは結構人に言えないことが多くて。私は日本で、日本人として生きてきたコミュニケーション方法を世界のどこでも通用するわけではないことを実感しました。

|念願の国連ユースボランティアとしてカザフスタンへ

「行きたい!」と思うものに対しては経験しないと納得できない性格です。でも、国連ユースボランティアに応募するにあたって、国連職員の方と面接があった時には緊張して全然話せないし、時差の計算を間違えてしまったりして「絶対に落ちたな。4年で挑戦するしかないな」と思っていました。

本当に嬉しかったんですが、面接の次の日に合格の連絡を貰いました。派遣は9月中旬で準備期間は2ヶ月ほどで、事前研修が忙しかったですね。

その上、派遣先だったカザフスタンがどんな場所なのか、派遣前は正直全くイメージできていなくて。「私どうやって生活していくんだろう?」と、あっちで自分でアパートも取らなきゃいけないし、お金は生活費としてもらえるんですけど、どうやって生きていくのか不安でした。

そんな中、すごく安心したのが、父が一度カザフスタンへ行ったことがあって。何十年前の話だけど、生活しやすいよということを話してくれました。

実際に現地へ派遣されてから私が担当していたのは、RCOオフィスの広報です。イベントのSNS、Webサイトの運営、イベント運営、イベントで使用するバナー等のデザインを担当させていただきました。

派遣されて間もない頃は、自分がこういうことをやりたいと思っても、言っちゃいけないんじゃないかと思っていました。そんな私を見て「もっと前に出していかなきゃいけないよ」と一緒に働いている人から言ってもらったのをきっかけに、それからはしつこくこういうことをやりたいとか、こういうものを実際に作ったので共有させて欲しいと、ガシガシやっていました。

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国連ユースボランティアとして活動していた仲間との写真

RCOで働く人は全員で8人。ボランティアスタッフは私を入れて2人。もう1人のボランティアスタッフは、カザフスタンの方だったのですが、現地の公用語であるロシア語も堪能で、5歳ぐらい年上で、一緒に働いていても最初は劣等感しかなくて。

自分がその人よりも何1つ優っている気がしなくて、悩んだ時期が続きました。8人で会議をやるんですけど、仕事の割り振りでは自分だけ仕事がないこともありました。

受け入れ先の方からしたら「海外からボランティアとしてきてくれているから、本当にやりたいことをやってもらおう」と思ってくれる優しい方だったのですが、当時の自分は「何をしに来たんだろう」と考えていました。

だからこそ自分からアクションを起こさなければいけないなと思ったのかもしれません。この5ヶ月間を経て、かなり強くなったと思います。

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国連ユースボランティアとして活動していた仲間との写真

⇩実際のカザフスタンでの活動レポート⇩

また、国連という組織に対してただ憧れるだけではなくて、どういう組織でどういうことに取り組んでいるのかの理解に繋がりましたし、こういう問題を解決したい、しなきゃいけないというのを感じました。

国連で働いている方も就活中に出会った方皆さん、専門性を持って、これを生涯かけて携わりたいという方が多かったので、自分も考えなきゃなと思わせてくれる経験でした。

|やってみないと分からないことがたくさんある

自分でまずはやってみる、経験してみることを大事にしたいと思っています、

こうやって振り返ってみると、やってみないとわからないことがたくさんあるのを学ばせてもらった大学生活だったなと思います。想像だけで終わらせないで、飛び込んでみる。

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カザフスタンで出会ったソウルメイト

将来は、自分と全く違う価値観を持つ人と働きたいなと思います。私自身、影響もされやすいし、視野の狭い人間だなと思う時もあるので、いろんな人と働くことで多様な価値観や考え方を取り入れられる環境がいいなと。

|10年後のありたい姿

自分の環境を楽しめていたらいいなと思います。10年後やっていることが、自分のやりたいことと全く違うかもしれないけど、それでも楽しめていたらいいなと思いますし、人の価値観を理解できる人間でありたいと思っています。

私の中には、凝り固まった価値観があるかもしれないので、それを認識しながらもいろんな人を許容できる人間になれたらなと思います。

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性格上、嫌いなことを続けてられないし、「嫌だな」と思ってやっているのって勿体無いなと思ってしまいます。だからこそ、「これならいっか」とか、「ここはすごく好きだな」というのが見つけられたらいいなと思います。

〈#13で登場する西尾あいりさんからの質問バトン📢〉

ーあなたらしさは何ですか?

大変な時でもその状況を楽しむ、ですかね。どんな時でも置かれている環境を楽しむのが自分らしさかなと思います。


彼女たちを取り巻く環境が、少しでも幸せの温度の高い場となりますように。インタビュー/編集:かなつなななみ




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