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「楽しい」を体現することで人と繋がる|女子大生100人インタビュー#10

自分が好きだなという瞬間があって、人に自分が楽しんでいる姿を見せる時です。「楽しい」を見せている時の自分は、私自身が「良い」と思ってやっている瞬間であるし、他の人からも「楽しそう」言ってもらえるのはもちろん嬉しいなと感じています。

1ヶ月間お休みをしていた女子大生100人インタビューですが、本日からゆるりと再開致します🌸10人目は小さい頃から、両親と一緒に東南アジアをバックパッカーとして過ごしてきた女子大生にインタビューをしました!「相手を理解できなくても認め、自分を誇ることを大切にする」と話す、彼女の価値観に触れる記事となっています。

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|馬瀨カンナさん
南山大学国際教養学部国際教養学科3年生
*1999生まれ/三重県出身
*大切にしている価値観:相手を理解できなくても認めること。自分を誇る(大切にする)こと。


|日本の「一部」としての東南アジアを感じる幼少期

今は「移民」「東南アジア」に関心があるのですが、全ては自分の幼少期の原体験がきっかけです。両親がバックパッカーで2,3歳から連れまわされたこともあり、東南アジアや東アジアを日本の一部として捉えている感覚があります。

お母さんは看護師、お父さんは自営業で、唯一年末は家族一緒に東南アジアで暮らす生活を10年ぐらい続けていました。だんだんと現地の子達と友達になっていって、言語は違えど何も抵抗感はなく、ずっと素でいられる自分がいました。

そんな生活をしていると、東南アジアや東アジアをあまり分けて考えていない気がしています。大学では、オーストラリアに行ったんですけど、「オーストラリアいくか!」という少し気合いが入る感じだったけれど、タイとかベトナムだと全然沖縄にいくみたいな感覚で。すごく身近な存在で、うまく言語化できないけれど、日本の「一部」という言葉がしっくりきます。なので、東南アジアや東アジアの人だと分かると、よく喋りかけちゃうんですよね(笑)この話しかける癖は、いつもドミトリーに泊まっていたこともあり、そこから繋がる人が結構多くて、興味があれば「会いたい」と言って、紹介してもらったりしていました。

実際に、ベトナムに行ったときは、ドミトリーが同じ日本人の子が日本語学校でインターンをしていて。押して押して「興味ある!」と言って、日本語学校に連れて行ってもらって、そこから学校の子と仲良くなったり。

他にも、台湾の観光地に1人で行った時、時間が遅くなって帰れなくなってしまった時がありました。宿泊先までは3,4千円かけてタクシー乗るしかないってなったんですが、台湾でそんなにお金かけるのが許せなくて。結局、知らない人に声をかけて一緒にタクシー乗らせてもらって、その人と友達になって次の日から普通に遊んだり、かなり独特な交流の広げ方だと思います。

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台湾の観光地でできた大学生の友達

幼少期の記憶をよくワンシーンで覚えてると言いますが、私はやっぱり東南アジアで遊んでいたことをすごく覚えています。普通に文化が好きで、ご飯も美味しくて、全てが合わさって東南アジアが好きなんだと思っています。

言語の壁ですが、今までは適当な英語と、片言の中国語で乗り切ってきました。「いい加減しっかりした英語話せ」って感じなんですけど、生きる英語ってそこで過ごせば、全然簡単に覚えられるなと思っていて。全然話せないはずなのに、台湾の観光地に取り残されたときは、めっちゃ自分からブワーーーって言葉も出てきて、ある程度のサバイバル力はあるな、と感じています(笑)

こうやって、私が出会った人とすぐに仲良くなれたりするのは、常に放任主義で育ててくれた家庭が関係しています。一人っ子だけど、やりたいことは全部自由にやらせてもらい、小さい頃から色んな人に会わせてもらったこともあり、「壁があるな」と感じてしまう人と会った時でも、「喋ったら、一緒やん。同じ人間やん」と思います。

小さい頃から、日本の一部として認識していた東南アジアや東アジアでしたが、その一方で移民の問題に目を向けた際に、純粋に「何故?」と疑問が湧いてきました。労災受けられない、差別される等、暮らしずらい状態という現状が実はあって、でも東南アジアを好きなのは止まらなくて、高校生になっても1人で足を運ぶこともありました。私にとっては、切っても切り離せない自分の「ベース」にあるのが東南アジアです。

|人の成長設計に関わった大学2年間

  そんな中、大学受験はAO入試で合格。AO入試は一般受験と比べると早い時期に終わるので、合格した後は常にサークル検索をしていました。そうしたら、レベチな学生団体を発見して、後にマネージャーとして活動することになるAIESECでした。でもInstagramのタグで検索してみると、日本のタグは少なく、ほとんどは海外の投稿が多くて、「日本の規模ってどのくらいなんだろう」という疑問と、グローバルさに惹かれここで活動しようと決めました。

実際にやっていたのは、日本人を海外へ送り出す送り出し機関のマネージャーとして研修生の成長設計を行う、ということです。1年生の頃は、ペルソナを組んだり、成長設計を組んでみたりとかなりガムシャラにやっていました。2年生になり、海外に送り出す研修生との二人三脚の3ヶ月間が始まりました。この期間は、徹底的に成長設計を組んでめっちゃ楽しかったです。1人の学生が、緻密な計画を立てて海外に行くことで成長する可能性を間近で見れるのが、マネージャーとしての楽しさでした。

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ベトナムでAIESECのイベントに参加

送り出し先は、シンガポールの移民シェルターで、性的暴行を受けた人、給料未払いなど、問題を抱えたマレーシアやフィリピン人の相談を受けるシェルターでした。送り出し先の課題もかなり深刻な上、私が担当した研修生は自分に自信がないことを課題として挙げていて、それをどうやって改善していくのかが難しかったと感じています。

その上、研修生は私よりも2つ上。3ヶ月間は対等な関係性で進めていきたいし、絶対に成功させたい思いがあったので、最初に2人で目標とルールを決めるところから始まりました。自己分析や他己分析、1日のフィードバック等様々なことに挑戦して、そうしていくと目標がだんだんと定まってきました。かつ大きい目標と1週間単位の小さな目標を決めていくことで、目標が積み重なっていく形を目指しました。

最終的には大成功したのですが、こうやって人の成長設計を立てたりするのは、自分の中で「人が好き」というのが根本にあるなと思います。

|誰かの立場に立てるのが自分らしいリーダーシップ

とにかくめちゃくちゃ人間が好きで、誰だろうと好きです。例えば、色々な役割があった時に裏で引っ張る、マーケティングするとか、自分は人間の一番近いところで声を聞きたいなという思いがあります。今まで「趣味は?得意なことは?」と聞かれてきて、本当に何もないなと感じていたのですが、唯一「人間と話すの好きかな」と。

学年の人ほとんどと話せるし、全員と仲良しかなというのはあったんですけど、あまりにも友達が多くて、時々敵に回すこともありました。「広く浅くじゃないの?」と言われることもあって。

それがコンプレックスで、「これって広くて浅くてあかんのや」と思ったんですけど、それが大学に入って自分のスタンスを活かせる場所があることをインターン等の経験を通して、知りました。どうしたら人が興味を持つのか、相手の懐にどうしたら入れるのかという風に、今までの人との関わりがコンサルであったり、今取り組んでいる塾の立ち上げに影響しているのかなと思います。

 高校では、体育祭で学年をまとめる役であったり、卒業式の時に先生にサプライズするんですけど、学年代表でやっていました。私自身に、まとめる力があるわけじゃなかったけれど、自分がどのクラスにも精通しているのが大きかったと感じています。

中学校の時は、めちゃくちゃできるリーダーとかではなくて、自分もリーダーになるけど、裏では「まじだるいよな」って一緒に言いながら、「マジだるいよな。でもこれやったら早く終わるし」とか言って、全員の肩を持ってまとめるようなリーダーをしていた気がします。今もそのスタイルは持っていて、「悪く言ったら肩を持って誰にでもいい顔をする。やけど、色んな人の立場で考えられるのかな」と思います。私にとっては、みんな友達なので。

|「楽しい」を体現することで人と繋がる、想像してもらう

大学に入ってから、こういう時の自分が好きだなという瞬間があって、人に自分が楽しんでいる姿を見せる時です。「楽しい」を見せている時の自分は、私自身が「良い」と思ってやっている瞬間であるし、他の人からも「楽しそう」言ってもらえるのはもちろん嬉しいなと感じています。

私の住んでいる場所は、比較的田舎。田舎って良い悪いじゃないけれどここら辺で結婚して子ども産んで生涯を終える、という考え方が高校でも多くて。海外志向ではないし、でも近くに住んでいる子が「私も世界に出てみたいです」と連絡をくれたり、私のInstagramを見て、「俺も何かしたいし、社会問題に対してどうやってアプローチしたらいいですか」とか、すごく意外なサッカー部の後輩から行ってもらったり。

今はインターン先の塾でAO希望の学生をみているけど、AOに対しての可能性をすごく感じていて、もっと増えたらいいなと思っています。大学1,2年生には、大学のオープンキャンパススタッフをやっていました。学生企画として、学生が一つの授業を作って1講義をして質問コーナーまで全てを受け付けるのをやっていました。その流れで勝手にAOハンティングをして、興味のある子に声を掛けていきました。

2年間関わり続けたら、相談を受けていた子の中で、実際にAOで合格した子も結構いて、AO入試で何故受験したのか聞くと「大学生活めっちゃ楽しそうで、魅力を感じて」と言ってもらえることが多かったんです。

この経験から私は、多分楽しそうな姿を見せるのが得意で、相手にどうすれば興味を持ってもらえるのかを考えるのが好きなんだなぁと。きっと、いろんな人と仲良くなれるのもここが関係しているのかなと思います。

私はへり下る時はへりくだって、相手が何を求めているのかを考えています。例えば、めっちゃ思考派の子だったら、「行動したいけどできへん」と思っている子が多い。その子に対しては、行動の一面を見せてみたり、私が行動する時の話とかをすれば一歩踏み出せるのではないかな、と思います。具体的には、「私さ、全然考えられへんしめっちゃ頭ポンコツなんやけど、とりま足だけ動くんやな」と話すと、そういう子って「私は逆や!」って絶対なる。

東海では南山大学はそこまで低くない大学なので、

「南山まじ英語むずいよな。難しく感じるけどな、私英語全然話せへんで。まじで今も英語話せへん。でも正直プレゼンとかはめっちゃ対策頑張ったし本当に死ぬ気で練習したから、プレゼンは上手くなったけどまだ英語話せへん」

こうやって話すと高校3年生の子たちは、「練習したらできるかも」と自分みたいな学生もいるけど頑張っていないわけではなくて、ちゃんとどこかにフォーカスして受かっていることを伝えられます。

|東南アジアが好きだからこそ気づいた社会問題との距離感

何かしらの形でたくさんの人が社会問題の解決をしてるんだろうなと思うんですけど、そんな難しく捉えるものでもないのかなと思っています。もちろん深刻な問題だからこそ、ちゃんとやっていかないといけないけれど、みんなに関係するものであるから。実際に私自身も、環境問題に関して2年前なんて考えたことなくて、「自分は人間が好きやし」と思って。

でも、よく考えたら「めっちゃ大好きなアジアの環境が悪くなったら行けへんくなる。大好きな東南アジアがなくなったらどうしよう」と本当に思って。それにつれて、私にとって環境問題は徐々に身近になりました。

社会問題の解決といってもたくさんあります。例えば、私が道に迷っているタイ人に声かけて仲良くなって、その人たちを目的地まで連れて行ったら、それも社会問題の解決の一歩になっていると思っています。それは、SDGsの10,11番の「人や国の不平等をなくそう」「住み続けられるまちづくり」なのかなと。大学卒業後に就職するならば、移民問題に関わりたいけど、身近なこととしてもっとフランクに関わっていくものでありたいなと思っています。

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台湾で仲良くなったおじいちゃんに撮ってもらった写真!

今までは、ふわふわと「いい世の中に、多文化共生が叶えばいいな」と思ってたけれど、色んな情報や勉強をするうちに当たり前だけど、そこに経済も宗教も絡んで、本当に正確なことは言えなくて。

正直、「一緒におりたかったらおればいいけど、人種も宗教も違ったら一切関わらんくてもよくない」という考えをしている自分もいます。中途半端に国籍や人種、今までのバックグランドをぐちゃぐちゃにして、それを日本人側がひどい対応をしてしまう場合であれば一緒にいるべきじゃないなと思っているからです。

理想論では、よくあるバイト先の飲み会とかでそこに何かしらの外国人労働者。例えばネパール人おってもいいやろうし、中国人おってもいいやろうし。フランクな関係で絶対に仲良くなれと言うことではないけれど、最低限もうちょっと暮らしやすい世の中を私たちで作っていくべきやなと思っています。

私としては望んでいるし、そうなってほしいと思うけど、興味ない人たちに「興味持って」っていっても無理だろうし、無関心を関心に、人を変えることは正直難しいと思っています。

テレビをはじめとしたメディアで取り上げられるのは未だに白人ばかりだし。「あなたはどう思いますか?」という外国人インタビューで、中国人が取り上げられることも、ベトナム人が取り上げられることもない。

「外国人=白人」だからこそ、よくある国際イベントや一緒にシェアハウスでと言う時、テレビでは中国人が入ってないと思うんですよ。だから、私はそこを解決することや、アプローチするのはすごい難しいと思います。変えるべきもの。変わるべきものが多すぎて。

なので、もうちょっとシステムの面から携わってみたいなというのがあって、受け入れ送り出しがしっかりしたら、日本人と東南アジアの人、東アジアの人が関わらなくても、最低限の暮らしが幸せに日本でできるんじゃないか、そう考えています。今は、送り出しに着目していますが、もっと身近で関わりたいと思ったら日本語教師を目指すし、そこはあまり明確にしていません。休学しても良いと思うし、大学院に行って勉強するのでも良いと思うんです。

|将来のありたい姿

ウェルビーイングの中で、社会的にも身体的にも精神的にも最低限幸せな中で、楽しさやハッピーを与えられる人でありたいと思います。死に物狂いで、こっちが体壊して気持ちおかしくなって人を幸せにするのも、社会問題に携わるのも、何か問題を解決するのもちょっと違うなと思っていて。

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自分の人生やし、当たり前やけど、自分が健康的な上で、自分を愛した上で、周りの人に良い影響を与えられたらなと。そういう生き方がしたいです。


運営:HATACHI Community
インタビュー/編集:かなつな ななみ



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