上宮王家滅亡時、三輪文屋君は山背大兄王に、 請、移向於深草屯倉、從茲乗馬、詣東國(『日本書紀』) と述べていますね。斑鳩から東国へ逃れる際、山代国の深草へ寄るという計画は遠回りですね。 これは秦氏を頼ろうとしたからだと考えられています。 おやすみなさい 。(-_-)zzz
用明天皇と(蘇我稲目の孫である)穴穂部間人皇女との間に生まれたのが厩戸皇子(聖徳太子)。 この厩戸皇子と(蘇我馬子の娘である)刀自古郎女との間に生まれたのが、山背(山代)大兄王ですね。 山代国・広隆寺を創建した秦河勝は、用明・崇峻・推古の三代の天皇に仕えていますね。