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#こんな学校あったらいいな

小学生が楽しく読める、学校を舞台にしたおはなし「#こんな学校あったらいいな」をコンテスト形式で募集します!

人気の記事一覧

毒親問題から回復、子育て✕自然からの愛✕AI。悩み解決への幸せプロセス②💖

先に私の考える結論を 書いておきますね😊 自然や身の回りからの 瞬間瞬間の愛を感じられたら、 それが自分の力になると思います🌷 大富豪達も、世界的作家さんも、そうやって力を得たのだと思います。 作家さんは、美しいものを見るという意識を持つ事で、その瞬間瞬間の美しさを感じることができるんだよとストーリーを通して伝えてくれているのだと思います。 私は、世界的作家や、大富豪達が実践している、美しいものを見る、という意識を常に持つことで自分自身の認知の変化を感じました。 自

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娘の行き渋りからみえた、より良い教育への鍵。

我が家の行き渋りっ子ちゃんの最近。 行き渋りに向き合って4年目。 学年の最初はいつも調子が良く 4年生になってからも ゴールデンウィークが明けてからも 順調って見えていました。 その流れが変わったのがこの時。 この後は 何も言わずに行く時もあれば 体調不良でお休みする時もあって で、今朝は玄関で 「行きたくない〜」 ってなりました。 行きたくないけど、行ってるんだろうな とは思っていたけど 今朝は顕著だった。 聞いてみると 「校外学習がいやだ」 これまで

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ルソーは教育学者ではない

本記事で扱う論文は以下のリンクから読むことができます。 画面右側にある「PDFをダウンロード」という赤い部分をクリックしてください。 さて、この企画も3回目になります。 原聡介、宮寺晃夫、と続きまして、今回は森田伸子論文を紹介します。 この森田論文もまたスリリングな内容なのです。それは、教育思想史研究とは「誤読」である、という命題に集約されます。この森田テーゼは以後、何回か言及されることになりますので、覚えておいてもいいかもしれません。 それと、森田氏が述べる「真の目的論」

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先生が「休みづらい」ことを考える

学校の先生は休みづらいと言われている。 学校はカレンダー通りの勤務体系なので、土日祝は休みであるが、平日は基本的に毎日開いている。そして、朝は8時過ぎから子どもたちが登校してきて、(高学年であれば)午後4時過ぎまでは残っていることもある。これは教員の勤務時間のほとんどの時間に「子どもが学校にいる」という状態である。その中で、提出物の点検、会議、研修、保護者対応、事務仕事など諸々している先生は「有給休暇」を取得している暇がないのである。 あまり知られていないが、実は学校の先生

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低所得家庭の子どもを排除する教師たち

以下は、西田芳正著『排除する社会・排除に抗する学校』(大阪大学出版会 2012)の6章の内容を要約したものです。 本節では、教育社会学者である西田芳正による「排除する学校・教師」という視点を整理したいと思う。そこから導かれるのは、学校や教師がむしろ積極的に、「貧困・生活不安定層」を学校から排除するような構造である。学校教育においては、教師は生徒に比してより大きな権力を持たざるを得ず、そこを前提にしなければ教育関係を築いていくことは不可能であることは、前節までの諏訪の議論で確

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とある教師の愚痴

学校には数多くのステークホルダーが存在します。ステークホルダーとは「利害関係者」と訳される言葉ですが、ここでは「学校関係者」という意味で使わせてもらいます。学校のステークホルダーは、文部科学省、教育学者、教育委員会、地域住民、保護者、そして、子どもなどが挙げられるでしょう。最近では、「教育評論家」も増えてきた印象ですね。彼らも学校の「おかしさ」を告発することで利益を得ているわけですから、立派なステークホルダーです。 つまり、学校の先生をやる以上、上記で挙げたステークホルダー

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学校の先生の転職事情

3月の残りわずかのこの時期、SNS上では「退職の報告」をする教員が出てくるのも春の風物詩となりつつあります。 一方は「心労」で退職を決断された先生たちがいます。 彼女・彼らは、その業務の負担から年度途中から心が折れてしまっていたにも関わらず「責任感」という最後の手綱だけで、3月まで戦い抜いた勇者たちです。年度途中で辞めてしまうことの意味をよくわかっているからこその勇姿に、私は本当に拍手を送りたい。 現在の学校現場には、この「責任感」だけで、何とか毎日学校に通えている先生がた

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学校教育を崩壊させる方法

「学校教育を崩壊させる方法」なんてセンセーショナルなタイトルを付けてしまったから、ご期待の諸氏を満足させる内容を書かないといけなくなってしまった。こうやって自身でハードルを上げてしまうのは僕の生来の悪癖である。これがうまく機能することもあったが、同じくらい失敗したこともあったので、その判断はこれを読み終わった後の諸氏に任せることにしよう。 さて、学校教育を崩壊させることは容易い。 それは保護者が担任の先生について「あの先生は信用ならない」と子どもに言うだけである。本当にこれ

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学校におけるホウレンソウについて

今回の記事を書くきっかけは以下のツイートです。 これには賛否両論、たくさんの意見をいただきました。ただTwitterでのツイートの宿命として様々な解釈があったみたいで、それについては僕も反論をしたいなと思ったので、こうやって筆を取ることにしました。 まず、大前提として僕自身がまったく「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」をしないということではありません。そして、ホウレンソウに意味がないとも思っていない。例えば、責任の所在を個人から組織に移すという意味でホウレンソウは自衛の手

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「教育目的論論争」から教育目的のあり方を考える −ポジティブ行動支援における「望ましさ」を通して−

1 はじめに本稿は、教育思想史学会の前身である教育思想史研究会の頃に学会誌『近代教育フォーラム』上で繰り広げられた「教育目的論論争」を中心に教育目的のあり方を考え、そこから「ポジティブ行動支援」に目を向け、そこで語られる「望ましさ」について考察する。  教育哲学者ガート・ビースタによれば、学校現場では「良い教育とは何か」について語られることが減っている[1]。 代わりに、教育を「学習の言語」で語る言説が増加していることを指摘する(これを筆者は「教育の学習化」と呼ぶ)。この

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忙しい教師たちの授業のあり方

学校の先生は忙しい。 勤務時間前から子どもたちは登校し、勤務時間終了になっても研修や会議は終わらない。 子どもたちとの授業は楽しいが、純粋に授業のことばかりを考える時間は実はとても少ない。 では、教師は一体、何をしているのだろうか。 本校の教職員を眺めてみると、一番多いのは「ノートやプリントの点検」のように感じる。他には「保護者への連絡」や「校内会議の資料作成」や「学年打ち合わせ」などもあるだろう。おそらく、私が補足しきれていないような業務も数多くある。 学校には「校務

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「学力向上」に焦点化された学校教育で誰が得をするのか

学校教育は何を達成するための場所なのだろう。 こんな問いが私の頭には常に浮かんでいる。これは、最近の教育行政への違和感なのか。それとも、戦後復興から経済成長を経て「失われた◯十年」まで、実はずっと学校教育を支配してきた価値観だったのか。 「学校とは勉強をするところです」 小学生に聞いてみれば、ほとんどの子どもはこう答えるであろう。そして、これは子ども自身が考えた言説ではなく、その周囲にいる大人から「学校とは勉強をするところである」という価値観を植え付けられてきたからであろう

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教育的関係における一考察〜内田樹の議論を参照しながら〜

はじめに 本稿の目的は、神戸女学院の名誉教授であり、現在は武道と哲学のための学塾・凱風館の館長である内田樹(1950-)の教育観を整理することで、その独自の教育哲学を考察することである。  内田の教育哲学は、自身が30年に渡り大学で教鞭を取ったことや、合気道の師範としての経験から精錬されていき、それは内田の数多くの著書の各所で展開されている。  その内容としては言語教育から宗教教育まで多岐にわたるが、今回の論考では主に内田による「教育の定義」と、「教育の好ましくない姿」とし

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規範が欠如した教育の問題点

教育学には規範が欠如しているという話をしようと思う。 これは言い換えると「何のために教育をしているのか」という問いに対して、教育学は答えることができていない、という話である。 教育という営みは「方向づけ」である。それは、教師が子どもたちに「教える」という点からも明らかであろう。そして、教育が「方向づけ」である以上「どの方向に進んでいくのか」というのは死活的に重要な問題でもある。公教育という以上、みんなで揃って崖の方へ行ってしまうのは自滅への道である。 しかし、それができて

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教師は「子ども」を見ているか

「主体性が奪われた先生が主体的な子ども育てることは可能であろうか」 こんな命題が脳内に流れてきた。 もちろん「否!」と言いたいところであるが、文科省の教育政策を現場から眺めていると「それは可能であるし、できないのならば現場の能力が低いからだ(だから、より主体性を奪ってコントロールするしかない)」と考えているのでは無いかと疑いたくなってしまう。 学習指導要領というのがある。 教科書はこれを元にして作られており、授業時間数の規定や、学年ごとに指導するべき漢字なども載っている、

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学校は自分と世界を幸せにするための学び場〜新渡戸文化中学校・高等学校〜

 そこはまるで夢のような学校でした──生徒が先生とともに、自由に考え、学び、活動している「新渡戸文化中学校・高等学校」(東京都中野区)。  3月2日から3日にかけて、生徒の1年間の学びの成果を発表する「スタディフェスタ」が開催され、生徒たちの「好き」を探究した多彩な展示やイベント、ワークショップなどが生徒たちの手によって行われました。  「少年写真ニュース」にて取材させていただき、その模様は、6月18日号にて掲載させていただきました。  自分だけではなく、誰かを、そして

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もしも自分が学校を創設したら:【校則】

また面白そうなお題を見つけてしまったw 【 #みらいの校則 】そうだなぁ…先ずは 《校風》 学校の全ての職員も生徒も挨拶の出来る人間になるよう指導 「ありがとう」「ごめんなさい」の気持ちを常に持つよう指導 男女共学 生徒の特性で登校時間を2種類から選択 8:15登校(朝強い生徒) 10:15登校(起立性調整障害、睡眠障害など朝弱い生徒) 自習室あり(8:30~18:00解放) 希望者は補講や補習可 掃除は学校全体で協力して行う 問題は話し合いでその日のう

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目的なき教育技術への警戒

本記事で扱う論文は以下のリンクから読むことができます。 画面右側にある「PDFをダウンロード」という赤い部分をクリックしてください。 さて、本記事は「私自身のために」書かれた記事であることを始めにお断りしておかないといけない。これは、私の研究を深めるために書かれたものである。しかし、だからと言って読みにくいというわけではない(はずである)。 文章としてnoteなどで記事に出すと、それを読む人がいる。読んだ人は「勉強になった」と思うかもしれないが、当然、最も勉強になっている

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宿題と向き合う

学校には宿題という文化がある。 ここで「文化」という言葉を使ったのは、宿題という言葉は、学習指導要領や文科省の文書などにはほぼ登場しない言葉であり、なんら制度的・法的根拠を持たない教育実践だからである。 宿題について各種研究を行っているという宮崎麻世も宿題について以下のように述べている。 宿題に類するものは学校にはいくつか存在していて、たとえば「通信簿(通知表、あゆみ)」などと呼ばれる、学期末に子どもたちへ配られる学業成績などを記述した用紙についても、これは法的に定められ

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ジャイアンに好かれる先生、嫌われる先生

私は「真面目な児童」に好かれる傾向にあると思う。 この分析は大いに主観的であり、何も根拠はない。でも、そう感じる。 私はあまり子どもに嫌われることはないが、たまに「ジャイアン」に嫌われることがある。 今日はこのことを分析していきたいと思う。 ここでいう「ジャイアン」とは、ドラえもんに登場するジャイアンというよりは、「権力があり、自分の思うがままに振る舞うことができる児童」という想定で読んでもらいたい。ただ、たまに「ドラえもんのジャイアン」とも重ねるので、その辺の境目は曖昧

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