「日経」の「私の履歴書」の本庶佑さんの本日の記載内容は、1967年当時の大学の深刻な状況、すなわち、全国的に燃え広がった大学紛争で、大学が機能不能に陥り、本庶さんの博士学位論文は、できていましたが、審査ができず、研究継続のため、米国行きを決意するまでの経緯を記しています。
「日経」の「私の履歴書」(本庶佑さん、ノーベル医学・生理賞受賞)では、本庶さんのテンポが良く、記載法と内容から、頭の良さを感じ、仕事への意欲と積極性など、37歳で阪大教授、42歳で京大教授、特に、日本では、30歳台半ばで教授に就任するのは、特認扱い、後半の記載内容が、待たれる。