自己表現は二重構造の扉

内側(自分の心)の扉、
外側(人に、世の中に、作品作り、文章に)の扉
それは両方オープンで自分の想いにアクセスできてそれを外に表現できることができるとすばらしい。
けど、それぞれが閉じている時、開いている時その組み合わせがある。

そんな感覚ことをふと考えた、

<内側が閉じて、外側も閉じている>
本当はやらなきゃいけないことあるのに、ゲームやギャンブルにどっぷり逃げている時、内側を閉じる、心は内側かららノックしているけど、扉は閉じている。内側にアクセスしたって焦る、悲しくなる、無力感や自己否定になるくらいなら扉は閉じておく。

基本的に外につながりを求めない自分に自信もないし、
人に会っても面白くない、楽しくない、
最小限の活動、買い物、会社などは行くけど、話しかけない、目もできるなら合わせたくない。
外側の扉も閉めておきたい。
そういう時は本当にある、 いいわるいはない、そういう時はある。

鈍痛はあるけど無視したこともある。
内側からノックやチャイムが鳴っても出ません。
だって見たって辛いから 依存的な状態の時に多いかも、
依存、薬物依存やアルコール依存やギャンブル依存など社会的に立ち行かなく場合は分かりやすくて顕在化するけど、軽度の場合やスマホの依存やゲーム依存、SNS依存などは自分で抱えて、長くそのままの場合もある。
私は以前軽度のギャンブル依存だった、ふとこのままじゃまずいと、どんなものかと自助グループに行ってみて、人の話を聞いていると
自分の内側の扉が開いていくのを感じたことがあった。

話している人の痛みはずっと私自身が無視していた痛みだったからだ。
人の痛みにつながることが自分の痛みにつながる。
扉が開いて感じることができた。

そしてそこが開けば、外はジャッジする場ではなくなり、自分の気持ちを外に出すことをしていた。

内側とつながり、本当に気持ちがここにあり、それを外に発信をしてみると
自分の中で変化が起きる。この体験はいつかもう少し詳しく書こう。


<内側が開いているけど、外側が閉じている。>

自分が感じていることはある。
悲しい、怒っている、なんとかしたい、これしたいけど、外側に出せない。
外側に出したら嫌われる気がする。失敗する気がする。
外側の人は敵だと思う。出したら自分を責めたり、準備不足だと検閲官を勝手に想定している。どうなっちゃうか怖い。
歌えない、描けない、書けない、踊れない、アピールできない、伝えられない。こんなに思いはあるのに、片思いのような状態
もしくはこの気持ちはとても繊細でわかってもらえる気がしない
どうせわかってくれないなら出さない方がいい。
そういう時は本当にある。


<内側閉じていて、外は開いている。>

教科書通りのやり方、仕事は与えられているから行う。
外の基準にあわせることも大事、そんな時も当然ある。
学校や会社のルール、空気に合わせる、生きるために大事けど内側が閉じていることに無自覚になっていることもある。

以前、コーチングの勉強会
昨日の悲しい出来事があり涙がほろり、チェックインで感情がこみ上げる、内側の扉が開いていた外側に話すタイミングが来た、けど、まだチェックイン、自分がその場で感情的になることをよしとせず、そこまで出しちゃいけないと制御した。こみ上げてきたものに蓋をした外に出すことを諦めさせた。
そして自分がクライアント役で聞かれるタイミング、内側の扉を開けて話そうとするけど
自分が感じてることの扉は開かない、一度閉めた扉はすねてしまったのか、開けてくれなかった。心の内側の扉が開いて感情が出てきた時、出せる時にだせたらいい。そこに解決がなくても、内側にアクセスして、外に出せた感情は蒸気のように消えていくこともある。

人は本当にそれぞれだ
アクセスしやすい回路がある。
描いていると内側につながる人
踊るとつながる人

内側にアクセスしょうとしてもうまくいかず、身体を動かしたり、雑談をしたり、音楽を聴いていたら、ふと内側にアクセスする時もある。

そして内側のことを出す時に自分のためには出せないけど、人のためになら
出せる人もいる。隣にいる人を大切にしたい、大事にしたいと守ってあげたいという気持ちが沸き起こり(内側が開き)、その思いを外に出してくれた人がいました。普段閉じていた人が、人のために自分の想いや願いを口にする姿はいつも感動があります。 

研修や対話の場でその人よりも その人のことをうまく伝えてくれたり、感じたものを思わず口にすることがある。その時、場が動いていく。

<内側が開いて、外側も開いている。>

人前で自分とつながり話す、伝える、歌う、踊る。
自分が感じた悲しみ怒りに蓋をせず、外に出せる。

全ての状態にもちろんよい悪いはない、それぞれの状態の時に、どう働きかけるか自覚する。どこに働きかけることができるか知ることは役に立つ。

私がいろんなやり方に触れて機能するのではと思うこと

コーチング
傾聴をベースに信頼関係を作り、この人になら話したい、聞きたいと心の内側に何があるか、一緒に探求していく。

ナラティブ
あえて心の内側にフォーカスしないで、何が起きているのか、描写してもらう、語りを促す、感情を扱わないようで、描写しているうちに実はアクセスしていた。

プレイバックシアター
コンダクターがその時のシーンを聴いていく、描写を促す、ストーリーを作り上げる。そしてその中の象徴的なシーンに伴う感情を聞いている。
外に話しているうちに内の扉が開いていく

コッシーさんのダンス
身体に働きかける。自然とつながる。外に開く、そこから自然と受け取っていると内側の扉も開けてきて、内側とつながり、外側に声と踊りで出している感覚になる。

免疫マップコーチング
左脳的な理解がある人、自分の思考はどうなっているのか
思考の癖その理由、それって本当か、検証してみたいと思う方
内側の思考をしっかり観察してゆく

対話
話しやすい場作り、だんだんと深めていく、人の影響を受けて自分も話すなど自分から人からと影響を与え与えられとしながら、進めていくことができる。

モニぺ
とにかく書く、内側の扉が開いていようが、閉じていようが書くのだ。
書いているといつのまにか心の内側にあるものが表現されていることがある。
それを外に出すかどうかは自分次第、まずは自分の内側を見るのに一番手軽。

太極拳
動く瞑想、身体を動かしていると自然を感じたり、風を感じたり、人との比較を感じたり自分ができているできていないとジャッジが入ったりするのを観察できる。

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