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長谷部浩の俳優論。

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歌舞伎は、その成り立ちからして俳優論に傾きますが、これからは現代演劇でも、演出論や戯曲論にくわえて、俳優についても語ってみようと思っています。
劇作家よりも演出家よりも、俳優に興味のある方へ。
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#野田秀樹

【劇評306】野田秀樹渾身の問題作。『兎、波を走る』は、私たちを挑発する。十枚。

【劇評306】野田秀樹渾身の問題作。『兎、波を走る』は、私たちを挑発する。十枚。

 
 ドキュメンタリー演劇ではない。プロパガンダ演劇でももちろんない。
 けれども、モデルになった被害者の母の名前も顔も声までも、明瞭に浮かんでしまう。また、この事件が納得のいく解決が今だなしとげられていないことも、私の喉に棘のようなものが突き刺さったままである。

 そのため、雑誌『新潮』八月号に『兎、波を走る』の戯曲が全文掲載されるまで、正面から劇評を書くことが躊躇われていた。ただ、戯曲がのっ

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松たか子の才能と、忘れられぬ思い出。『兎、波を走る』を見て。

松たか子の才能と、忘れられぬ思い出。『兎、波を走る』を見て。

 朗読劇ではなく、モノローグの名手として、松たか子は長く記憶されるだろうと思う。

 その才質を高く買っているのは、野田秀樹である。『オイル』(二○○三年)『パイパー』(○九年)、東京キャラバン駒場初演(一五年)、『逆鱗』(一六年)、『Q』(一九年)、そして今回の『兎、波を走る』、数々の舞台に出演しているが、落ち着きと包容力のある声が立ち上がってくる。

 叙情的に台詞を唄って観客を泣かせるのでは

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なかなか読み解けぬ『兎、波を走る』を二度観て。

なかなか読み解けぬ『兎、波を走る』を二度観て。

 気の張る劇評を書き終えて、再校を読んでいます。

 急に昨夜、細部で確認できていない部分が気になり、今日のマチネに行くことに。明日は月曜日で休演、火曜日の午前中が再校の戻しなので、今日行く以外に選択肢がありませんでした。
幸いなことに、今日の席がなんとか確保できて、初日以来二度目の観劇になりました。
 舞台に余裕が出てきたのはもちろんです。野田作品に絶対に必要な遊びの部分を、秋山菜津子、大倉孝二

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高橋一生、その光と影

高橋一生、その光と影

 現在、東京芸術劇場で上演されている『兎、波を走る』(野田秀樹作・演出)で、高橋一生は、脱兎の役を演じている。『フェイクスピア』以来、二度目の野田作品での主役。髙橋は妄想の闇のなかで、孤独に生きる人間を見事に演じていた。

 高橋一生は、まぎれもなく二枚目だけれども、明るいだけの好青年ではない。そこには、陰翳を礼賛する精神がある。蛍光灯の明かりではなく、行燈の灯りに揺れる人影の美しさ。その傾きを大

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深津絵里の深くて暗い川。『カムカムエヴリバディ』と野田秀樹作品をめぐって

深津絵里の深くて暗い川。『カムカムエヴリバディ』と野田秀樹作品をめぐって

 深津絵里を観ていて飽きない。

 連続テレビ小説の『カムカムエヴリバディ』で、大月るい役を演じている。幸福とはいいがたい育ち方をしたるいが、クリーニング店に住み込みで働くうちに、ジャズマン(オダギリジョー)と出会う。ミュージシャンの夢が破れてからは、ひとりで回転焼きの小さな店を切り盛りして、一女一男を育てるうちに、確かな生活を手にしていく。ざっといってしまえば、そんな役なのだが、だれもから可愛が

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『フェイクスピア』を演じた役者たち。白石加代子、橋爪功、野田秀樹、高橋一生、前田敦子らの演技について考える。九枚。

『フェイクスピア』を演じた役者たち。白石加代子、橋爪功、野田秀樹、高橋一生、前田敦子らの演技について考える。九枚。

 声が空間に屹立している。

 野田秀樹作・演出の『フェイクスピア』も、ようよう七月に入って、大阪での大千穐楽も射程に入ってきた。
 すでにこのnoteに二度に渡って書いたが、劇の後半、航空機事故とヴォイスレコーダーが要にあるために、劇評を書くにもためらいがあった。戯曲も初期の野田作品を思わせる難解さだったので、その解読に紙幅を使っていた。

 そのために、出演の俳優論に筆が及ばないきらいがあって

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