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人間の文章に価値はあるだろうか?

人間の文章に意味はありだろうか?
突然の質問です。

最近、私が人間の文章、blogなどに価値を感じている今だからこそ、
未来に進む自分に問いかけていたものだ。

なんとも言えなくなるような疑問だが、チャットGPTや
noteでも勝手に推敲をしてくれる、そんな時代に
片足を踏み込んでいる今だからこそ、
そんな問いを投げかけたい。

私は、去年の4月、noteも含めSNSを始めて利用し、
そこから、SNSの本質を追い求め、数なのか?
内容なのか?
今考えると、少し成長した自分が見れて嬉しい一歩で
時代の変化というものに対して、大きな悩みを抱えている。

それは「自分の文章の価値」だ。
私はまだ15歳、AIに劣るレベルの人間だ。
それに、誤字脱字は多い、文法も変。
そんな人がblogを書いている。

それでも私は自分の考えていることを伝えたい、
その一心でやっているつもりではある。

しかし、チャットGPTの登場も最近にして1億人の突破であったり、
そんな世の中で私の文章を読んでいる時間が無駄、と言われれば
それまででしかないと自分に悟った。

少し話が変わると、少子高齢化社会になってきている
日本社会で政治家などは高齢者で占めている。
それに関しても疑問を抱いている、
それに、高齢者は過去の自慢だったり、私よりかは生きているという
人生経験をもとに注意をしたり、誤った選択を
しないように支えている。

しかし、私はそれを情報として扱っている。
今からは教訓ではないということ。

つまり、過去の成功体験、
そんな美化された話を聞きたくないということです。

ですからblogの話に戻ると、昔は成功した。
しかし、今からは成功するとは限らない。

そういう時代を歩んでいることを理解しなければいけないのだ。

高齢者を悪く言いたいんじゃない、それに自分の文章が
劣っていることを不幸自慢したいわけではない。

つまりをいうと、自分の文章に価値を吹き込んだり、
新しいインスピレーションを求めにいく経験をしないと、
知識が塊になって、自分を引っ張っている、
私が言う、も抜け殻に近いようだ。

存在価値、自分の文章の価値、自分の描いた絵の価値、
それらが曖昧になってきていることの時代だからこそ、
自分にしかできないこと、
時代の先端を常に見続ける、知っておくことで、
新たな価値創出ができたり、付加価値をつけれたりできると思う。

AIが人間を抜く時代がすぐそこかもしれない、
不安で仕方ない時もある、
それでも今の自分が「今ここ」を生きれる瞬間を
大切に過ごしたい。

それが人間の生きる意味、最大の目的だと15歳は考えます。