不登校。当時どうだったかな?うろ覚え主観話



年末休みがうれしくて
変な時間に目が覚めてしまいました。

比較的なんでも楽しめて
楽しいことは好きだけど
体力がないので、
プライベートも仕事も
スケジュールは少ない方がうれしい。
楽しい事より
だらだら過ごす事の方が好きなのですが、
それを実現するにはお金が必要です。
今の社会の労働時間の長さと
休みの少なさが合いません。。
理想の生活ができるための
稼ぐ力がまだ自分にないけど、
諦めずに、労働時間半分、お給料倍になるよう頑張ります。

最近私の周りでは、不登校とヤングケアラーのワードを聞くことが多く、昔の自分が話題にされてるように感じています。


20年前の不登校ってどうだっただろう


自分が不登校だったのは、今から20年前。

当時学校に行っていない生徒は、
今に比べたら少なかったです。
クラスに1人いるかいないか。
うろ覚えだけど、
1クラス30人以上×学年3〜7クラスで
不登校(年間30日以上欠席)は
2〜5人いたかなぁというくらい。

当時身近にいた不登校の子は、
髪を染めたりタバコを吸ったり
ルーズソックスを履いて上級生と過ごしたりと、自分の意思をもって、主体的に行動を起こせる子が多かった気がします。

自分のような大人しいタイプ、集団ルール苦手タイプの子は、いくらでもいたけど、学校は来ていたし、それなりにのびのび過ごしていたように思う。
見えないところで登校拒否してる子はいたかもしれないけど。


こんな不登校児だった


自分は刺激を受けやすいのか疲れやすくて、学校に行けませんでした。

中学生の頃は無気力な時期もありましたが
無気力でも、登校拒否するための行動は激しかったです。

母から登校を促されると、
うずくまったりしがみついたり隠れたり、トイレに鍵かけたり、道と時間をみながら行ったふりして家戻ったり、学校から脱走したり等々、キリがなかった。。
脱走は警察に探されたこともあります。

同級生や先生が来てくれても
玄関に出ない、電話も出ない、手紙も返さない、音信不通状態。

今思えば、あんなめんどくさい状態の自分を
なんとかしようと気にかけたり関わったりしてくれた家族や周りの人達に、感謝するべきだと思います。
あの頃何も応えられなかったのは申し訳ないけど、あの関わりがなかったら、
自分は外も人も怖いまま
自分の人生について考えることから
ずっと逃げて時間が過ぎていたかもしれません。
死にたいと感じていた
中学3年生の時に、本当に命を経つ行動を
具体的な起こしていた可能性もあります。

自分は幼稚園の時点で脱走癖があり(記憶にはない)
小学校は休みがち
中学校ほぼ行ってません。

それでも、今は社会で働いて自立した生活を送るための安定した力と、健康は維持できています。
手に職がついているため、大人になってからは食いっぱぐれた事もありません。
飽き性で、転職は相当していますが…


復帰のきっかけ

外に出られるようになった原因は色々あるのですが、
復帰の最後のスイッチがONになったのは
「暇」が原因です。

暇がなかったら外に出たり
仕事したりできるようにまでは
至らなかったかもしれない。

当時ゲーム機はあったのですが、
今のように携帯やネットが
発展していませんでした。
今のように次から次へと無限に
新しいゲームができる環境もなく
飽きました。

お金だけでなく
自分のスキルややる気もなかったので、
家にいても
寝るくらいしかやる事がなかったのです。


心境の変化

元々休みがちだったけど、 
中学の頃、続けて2年近く1日も学校に行けていなかった時

・最初は逃げられた安心感
・そのうち不安と孤独と焦り
・自暴自棄からの
・段々無気力が強まり
・死にたいけど怖いと考える毎日が続いた後

ある日から
突然「暇‼︎‼︎」

「この暇をなんとかしたい」という強い気持ちが湧いてきて、暇が嫌すぎると外に出た結果
今の生活まで至ります。


巻き込まれた赤ちゃん、自分にとって救いの存在

無気力だった頃、
年の離れた弟(当時赤ちゃん)が
一緒に家にいました。

日中2人きりで家にいたり、
自分が母に心配されようとして
夜中赤ちゃんの弟を抱っこして
外にいたりしていたので(母はスルーなので、根負けして帰る)

ひとりぼっちの世界で
気づくと赤ちゃんがいて、
いつの間にか癒されて
救われていた経験も大きかったです。
弟と過ごす時間で
心の充電が貯まっていました。
(なので不登校ひきこもり支援の依頼を受けるときは、心の充電の見立てと、サポートは必ず大事にしています)

一歳の赤ちゃん
何かしてくれるわけでもなく
毎日近くにいて
一緒にただ生きてる。
自分が罪悪感に押し潰されそうで
人間不信になっている時にも、
全く責められず
ただ傍にいて、追々それなりに過ごしてるだけ。
構うと反応してくれる。

多大なる存在。
(後にこの弟も不登校になり、
私は命を振り絞って対人支援のスペシャリストを目指す事になる。現在進行形で更に下の弟達も不登校)


不登校の頃はまだましだった。辛かったのは、その後の人生。当たり前だけどチャンスに恵まれなさすぎる

自分は今の安定した暮らしに至るまで
かなり‼︎‼︎‼︎苦労しました。。。
(社会に出てから)

なので、自分と似た境遇の人や
悩んでいる親には、
あんな苦しいる想いして欲しくないと思い
そのフォローをするための仕事に、
自分なりに人生かけているところです。

繰り返しそこの部分は書けたらなと思います。


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