元不登校はるの_初心者起業

元不登校。中学校ほぼ行かず、定時制高校はバイト三昧でギリギリ卒業。世間知らずで就職や社…

元不登校はるの_初心者起業

元不登校。中学校ほぼ行かず、定時制高校はバイト三昧でギリギリ卒業。世間知らずで就職や社会生活で通用せずボロボロになりながら、家族みんなで幸せに暮らせる方法を探し続けて20年。同じ苦しみを抱える人達と人生を切り拓いていくため起業しました。

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最近の記事

名刺ができました。

こんばんは。 名刺ができました。次はチラシです。 ホームページも自作します。 節約節約! 資本金50万円、家賃と光熱費が毎月3万円です。 事業所は、法人化してから指定申請。 指定申請をしてから1ヶ月審査期間があり、 受理されるとオープンできます。 オープン後に契約、ご支援。 ご支援後に請求の手続きを行い、 請求手続きから2ヶ月後が振込日です。 高額な買い物は控えて まずはチラシを作って、開所後に使う事務書類の準備を進めよう。 宣伝はまだしていません。 信頼できる方か

    • 視覚支援

      ラミネートとプリンタを購入したので これからは、絵カードもさくさく作れちゃいます。 試しに「絵カードメイカー」という携帯アプリで 何分でカードが作れるのか実験。 やってみた。 1〜2分かな。 これだと、印刷とラミネート、ベルクロ貼りを含めても 1枚5分で作れるかも。 名刺サイズのラミネートフィルムがあれば。 中止マークを入れる機能もついていた。 個人的には、中止マークは単体で作成して 絵カードの上に貼れるようにするので この機能を使うことはないかな。 今年私の住居

      • 本棚入らなくなってきた勉強グッズ

        起業したら、学んできた知識を更に現場に活かせる。 勉強しすぎるとデメリットがあるというか、知識を活かせる職場に中々出会えない。 大体どこにいっても 「そこまでやらなくていい」「他の従業員も質を上げないといけなくなって大変になるから」と言われてきた。 八方美人の小心者なので、自分は毎回ブレーキをかけて 物足りなくなって転職を繰り返してきた。 これからは、そういった制限はなくなる。 思う存分勉強した知識を活かすことができる。 「自分の家族みたいな人たちの力になりたい」 「

        • 専門家を頼ま(め?)ない=勉強の毎日がはじまる

          登記申請で、司法書士を頼ま(め)ないまま 自力でやれるところまでやってみようと進んだ結果 最後まででき、お金に余裕ができたので  ・プリンター  ・iPad専用キーボード  ・ラミネーター  ・テプラ  ・シュレッダー 一括購入できました。全部で16万円くらい。 買い物を楽しめた。うれしい(同じ話2回するなよ) 登記申請は、  ・行政書士の電子署名5,000円  ・登録免許税30,000円(起業支援セミナーに出ていたので30,000円減額)  ・法人印や印鑑証明諸々18,

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          早速資本金使っちゃう

          プリンタ、ラミネーター、テプラ、電卓、シュレッダーが揃いました。 2年ぐらいほしいほしい言ってた物だったので、やっと買えてうれしいです。 事務所は駐車料金がかかるため ほとんど行ってないので、 全て自宅にセットしました。 自宅で事務作業できるとWi-Fiも速いし、いつでも飲み食いできるし、駐車料金が上がっていくのを気にしなくて良いし、音楽かけられるし快適だ〜 事務所は、周りに別企業さんが入っていることと、壁が薄いので音楽はかけられません。 ただし、自宅はすぐこたつに

          起業しました。

          (ノウハウではなく自分語りです) 組織(会社)に所属するようになって20年。 福祉業界は10年。 幼稚園は多動で脱走常連、学生時代不登校、行ける高校がなくなり、定時制高校を日数ギリギリで卒業した自分。 社会生活は、同じ年代や年下の子達と比べ、あまりにもチャンスがないことの連続。 仕事では、やる気たっぷり働いてきたものの、いくら働いても場を変えても、2〜3年経つと”もっとこうしたら上手くいく(いつも勝手に頭に浮かぶ)”と思うことが実践できない状況になぜか陥って窮屈になって

          先輩不登校児から後輩不登校児への手紙

          自分の人生に大きく影響した手紙が何枚かある。 この一枚が その手紙。 中学3年生の時、 家賃滞納でアパートを追い出され 転校した先で引き続き不登校をしていた頃 教頭先生の娘さんから いただいた手紙。 この手紙は 何度も何度も読んだ。 出席日数が足りず 受験できる高校がなくていじけていた頃 この手紙は大変自分を励ましてくれた。 当時不登校児は 学年7クラスの中に5人いるかいないかくらいで 自分のように何ヶ月も1日も行かない生徒なんてほとんどいなかったので、 はじめて

          先輩不登校児から後輩不登校児への手紙

          「やりたい仕事があるから、保育士の資格がほしい」を応援してくれた子ども達

          進学を一旦諦め、23歳くらいの頃 東日本大震災で地元へUターンすると決めた自分は、 やりたい仕事に就ける応募資格すら いまだにない状態だった。 その時たまたま、目指している仕事に近い「養護施設」という場所での短期派遣の仕事を見つけた。 無資格なので、仕事内容は 「洗濯たたみ。一ヶ月限定」 それでも少しでも携われると思った自分は 迷いなく応募した。 職場は山奥で大分遠かった。 そこでの壮絶な一ヶ月は 詳細はあまり書かないが、 先生達の努力と 子ども達の発信や願いと裏腹

          「やりたい仕事があるから、保育士の資格がほしい」を応援してくれた子ども達

          自分を助けるための長い旅(自分語り)

          日記帳に書いても続かないので、 noteを使って、自己満足で、自分をケアするための自分語りを続けてみる。これも続かないかも。 実家を掃除しに行った。 母の荷物は服しかないのに、 自分達子どもの荷物が沢山出てくる。 母は子どものために30年以上 労力と時間を使い続けてきたんだと改めて思う。 自分の荷物は、随分昔に自分で捨てたため殆ど残っていない。 弟の連絡帳なんかは出てくる。 母子手帳や幼稚園や保育園、学校とか たくさんの書類に、母が子ども達を大切に想うコメントが溢れて

          自分を助けるための長い旅(自分語り)

          自己申告書が書けない、翌日

          先日自己申告書の締切前日に 机で1時間以上かたまって 声もでなくなった弟のその後、、 翌日昼間に1人で起きて 1人で書いて終わらせていたようです。 (学校は半年行ってない) 当日関係者の方が用紙を見にくることに なっていたそうなのですが、 いつも通り布団から出てはこないものの 書類はできていたらしい。 私がした支援は、 書き方が理解できているかの確認 (理解しており、書く言葉は周りが考えた内容を写すと決めていたため、確認終了) 書くために必要な道具が揃っているかの確

          自己申告書が書けない、翌日

          「不登校だから学校行かなくていいよ」の後

          早期支援の現場では 「今落ち着いているので」と言う人達が必ずいる その人は、今だけのことしか見ていない場合がある 誰かからアドバイスや支援を受けている人は、 丸っと信じる前に、 その人が、その子の生涯を見据えてその発言をしているか 物事をどう捉え、どう考えている人なのか 個人のこれまでの経験則だけで話していないか、それで大丈夫そうか よく見ておいた方がいい 縦割り社会 小学生、中学生、18歳、20歳等々 関係機関の職務範囲と切り離される瞬間 突然対応を変えられて 困り

          「不登校だから学校行かなくていいよ」の後

          自己申告書

          ※あくまで自分の視点からしか見えてない話です。事実と異なることが多々あるかも、主観の話。 学校の指示に従った結果、 離れて暮らす弟妹3人とも 半年でひきこもり状態になりました。 先生達は優しく 一生懸命関わってくださっているので、 怒りはないです。 あるのは、深い悲しみ。 弟達の人生は確実に 学校休む前よりハードルが上がったので大分ショックです。 私の地元では、子どもの心が壊れた時に 専門家の見立てが入るまでに 高いハードルがあります。 昔からそうなんだと思います。

          不登校。当時どうだったかな?うろ覚え主観話

          年末休みがうれしくて 変な時間に目が覚めてしまいました。 比較的なんでも楽しめて 楽しいことは好きだけど 体力がないので、 プライベートも仕事も スケジュールは少ない方がうれしい。 楽しい事より だらだら過ごす事の方が好きなのですが、 それを実現するにはお金が必要です。 今の社会の労働時間の長さと 休みの少なさが合いません。。 理想の生活ができるための 稼ぐ力がまだ自分にないけど、 諦めずに、労働時間半分、お給料倍になるよう頑張ります。 最近私の周りでは、不登校とヤングケ

          不登校。当時どうだったかな?うろ覚え主観話

          〜不登校・ひきこもり支援〜その子には、必ず会える

          「家に行くと、布団に潜って出てこない。」 「何回訪問しても、顔を合わせることもできない。」 「何ヶ月経っても接触できない。コミュニケーションもとれない。」 不登校やひきこもり支援でよく聞く言葉。 そこから何年も何十年も経過して、 当事者は、社会で生きていく力をつける機会や 楽しい経験ができる広い世界に接する機会が 中々もてないまま年齢を重ね、 自立して生きることの難しさに足がすくみ 長年身動きがとれずに悩んでいるケースは数えきれないほどある。 自分が学生時代もそうだっ

          〜不登校・ひきこもり支援〜その子には、必ず会える

          5歳の頃、いなくなった母

          母違いの弟の話。 今から10年前 弟が5歳の頃、ある夜母親が家を出て行った。 いつも一緒に寝ていた弟の前から母親は消えたが 色々あって別れの挨拶はできなかった。 その日を境に弟は、一人で大きなベットの上で泣くようになった。 元気になるようにと、デパートに連れて行っても ちょっとしたことで大声で泣いて 止まらなくなるので かなり大変だった記憶がある。 弟が小学校に上がってから 私は父と交代で何度か授業参観に出た。 弟はいつも一人で、誰と喋るわけでもなく ぼ〜っとして

          5歳の頃、いなくなった母

          家族と離れたら、1年で妹弟3人不登校になってた。

          1年前、実家を出た。 私は現在30代で、震災前も実家を出て暮らしていたが 父子家庭で小中高の妹弟がいるため  ① 父が再婚母と離婚   ② 父が脳梗塞で倒れた 2回のタイミングで実家に戻り家族と暮らしていた。 一緒に過ごすのは、 毎朝30分+夜0〜数時間+空いてる土日くらいだったが 精神的支えには、なれていたようだ。 再婚母が出て行って7年の間に色々あったが、 家族で協力してその都度壁を乗り越え 妹弟達は毎日元気に学校に通っていた 高校に入学した弟が、2ヶ月間休みが

          家族と離れたら、1年で妹弟3人不登校になってた。