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「やりたい仕事があるから、保育士の資格がほしい」を応援してくれた子ども達



進学を一旦諦め、23歳くらいの頃
東日本大震災で地元へUターンすると決めた自分は、
やりたい仕事に就ける応募資格すら
いまだにない状態だった。

その時たまたま、目指している仕事に近い「養護施設」という場所での短期派遣の仕事を見つけた。


無資格なので、仕事内容は
「洗濯たたみ。一ヶ月限定」


それでも少しでも携われると思った自分は
迷いなく応募した。


職場は山奥で大分遠かった。



そこでの壮絶な一ヶ月は
詳細はあまり書かないが、
先生達の努力と
子ども達の発信や願いと裏腹に、
厳しい現実が毎日のように押し寄せている光景があった。

自分はその場にいるだけで
心がぎゅっとなって苦しくなってしまう傾向があり、
子ども達のことはとても好きだったけど
しんどくてしんどくて長い一ヶ月だった。




施設の端っこで洗濯たたみやトイレ掃除をしている影薄いスタッフの自分に、
子ども達はよく話しかけてくれた。


空いた時間に、子ども達から質問されて
何気なく
「自分は保育士の資格をとることを目指している。今は資格をもっていないから、
ここに来ても一ヶ月しか働くことができないし
他の場所にも行けない」と話した。



最後の仕事が終わる日に、
子ども達が
私に渡したいものがあると
手紙や折り紙、大切にしていた玩具を持ってきてくれた。

手紙をもらっただけでとても嬉しかったが、
その時、以前自分が何気なく話した夢の話を
子ども達が覚えていてくれたこと、
子ども達が自分に
最後に伝えたい言葉は、
自分への応援の言葉だったと知り
なんともいえない気持ちになったのを覚えている。

さみしくて帰りの車の中で泣いた気がする。



一緒にもらった
小さなくまの人形は、10年経った今も車の運転席に飾っている。








「もう諦めよう。
福祉の仕事なんて向いてない。
自分には力がない。
悩んでいる人をみていることしかできない。
できる行動があるのに動けない。何もできない。

家族も自分も救えない。
自分が動かないと
この苦しみから解放されることがないのに
どうにもできないなんて。」


何度も何度も
心が折れそうになるたびにくま人形を見る。

たった一ヶ月しかいられなかったあの場所で
自分を受け入れてくれた子ども達のことを思い出す。



痛い、痛いと唸る小さな男の子。
一瞬だけ関わっても良いチャンスがあって、
パンパンに腫れた硬いお腹をさすっていたら
大きなうんちが出たときのこと。
何週間かぶりに出たと
トイレでキラキラした目をしていた。
一ヶ月間
その目を見ることは、ほとんどなかった。



くま人形を見るたびに
昨日のことのように思い出す。

一緒に上履きを洗ったこと。


選べない環境の中で
自分よりももっと苦労した日々を送っている子達、
ちっぽけで空回りな自分が話した夢を覚えてくれていた。
明るい笑顔で応援してくれた。

いつも周りの人にいたずらして
怒りっぽかった子が
「先生ずっと一緒にいてね」と何度も言っていたのに、
明日からもう会えないとわかっていても
笑顔で送り出してくれた。


自分はもっと勉強したい。
もっともっと勉強して、
「人が暮らしに困ったときは、その人自身の力で絶対になんとかなる」と証拠を見つけるまで
諦めない。
それを叶えたい人を応援するために勉強をする。
それは、途中で祖母が亡くなってしまったこと
どんなに努力しても
家族とふつうの暮らしを送ることも難しいままの自分を、応援するということでもある。
だから行動することを諦めてはいけない。


こんなに心優しい子ども達が
信じて応援してくれたんだから。


あの子達が困難に悩んでいる時に
次こそは力を貸せる大人でいたい。

同じように困っている子達だって
今もどこかにいるはず。

引き出しが出せる自分でいるために、力をつけなくては。


もう時間が経ちすぎていて
あの子と
会うことはできないかもしれないけど。
思い出は消えない。



もしいつかあの子に会えたとしたら
「あの後3回落ちたけどね〜、保育士とれたよ!」って報告したい。

もう成人過ぎてるから意味ないけど
次は資格もちゃんとあるから、
一緒に活動できるし
みんなが話したかった話をじっくり聞けるよ。

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