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暮らしという哲学

2人目の子どもが生まれて2か月。2人育児にも慣れてきた。それでも家族の誰かの体調不良などイレギュラーな事態が起きたり、じゅうぶん眠れなかったり(つまり子が寝てくれなかったり、ということだが)すると、魂が抜けたようになってしまう。なんとか毎日をやり過ごしている感じ。

先ほど上の子がお昼寝を始めて、下の子は起きているが泣かずにご機嫌。確認したら9月末の下書きがあったから、2か月半ぶりにキーボードに向かったことになる。隙あらば横になっていた日々から1歩、ステップアップだ。

何か書きたい、書かなきゃという焦燥感だけはずっと持っていた。でも何を書いたらいいのだろう。育児の愚痴になってしまいそう。前向きな話をがんばって絞り出すとしたら、弟を迎えた兄の成長物語だろうか。あとは料理やお茶、ファッション、片付けやインテリアなど、暮らしまわりのこと。哲学と呼べるほど、深い思考はここ最近できていない。

暮らしのことについて書くのは少し気恥ずかしい。雑誌を開くと、こだわりを持ったお洒落な人々がいくらでもいるので。でも私は、noteで市井の人々の暮らしぶりを覗くのがとても好きだ。料理やお茶のプロの話も参考になるけれど、そうでない人のやり方、楽しみ方の方が自分ごとにも応用できることが多い。それなら私も、普通の人として何か書いてもいいんじゃないか。

家の中や日々の食生活を整えてゆこうとすると、おびただしい数の選択と決断が必要になる。そのとき、判断の軸がないといたずらに時間がかかり、消耗してしまう。だから日常生活を送る中で、誰もが少なからず「軸」を持っている。その「軸」のあり方がその人らしさであり、その人の思索の結果なのだろう。

暮らしを通して自分のありさまを見つめてみるのはどうだろうか。あるいは、自分が大切にしたいことから、あるべき暮らしの姿を導き出すというのは?
少し哲学らしくなってきた。

全部あきらめたくない、全部うまいことやりたい、と思ってしまいがちな私だが、そうはいかなくなってきた。1日は24時間しかない。何をするにも取捨選択が必要だ。暮らしに関する自分の「軸」を、書きながら整理してゆこう。…と今、思い立ちました。

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