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「完璧な存在」が完璧でないことへの安堵 〜『西の魔女が死んだ』再読

この世には2種類の人間がいる、と思う。1度読んだ本を読み返す人間と、読み返さない人間だ。
私は気に入った本を何度も読み返す人間である。単に忘れっぽいだけかもしれないが、そのたび新鮮な感動がある。

6月に庭のジューンベリーでジャムを作ったあたりから、久しぶりに『西の魔女が死んだ』を読み返したいなあと心の片隅で思っていたのだが、昨日ようやく本を手に取った。

学校に行けなくなってしまった中学生の女の子・まいが、ひと月あまりを田舎の祖母のところで過ごす、というお話。ふたりが庭の野いちごでジャムを作るシーンがあるのだ。



最初の数ページは手書きで複写したこともあるから、細かい言い回しまでよく覚えている。自分もこんな文章が書きたい、と思って昔ノートに書き写していたのだ。さすがに長いので途中で挫折したけれど。梨木香歩さんが紡ぐのは、それくらい美しくて透明で、でも芯の強い言葉なのだ。

1ページ、2ページと読み進めるごとに涙があふれてくる。なんてことのないシーンなのに、だ。結末を知っているから、物語の最後、重要で印象的なできごとが起こる場所に、主人公が初めて足を踏み入れたシーンで既に泣いてしまう。

初めて読んだのは小学6年生だったと思う。もう20年近く前だ。
もちろん、感情移入するのは中学生の主人公、まいだった。その後何度も読み返したのだけど、いつも私は「思春期の女の子」になった。
自分に子どもが生まれてからは読んだことがなかったようだ。今回読んでみて、初めて母親や祖母の視点に立っている自分に気づく。

母親は少し配慮が足りない。「扱いにくい」娘の話を夫や母(まいの祖母)としているところを、まいに聞かれてしまっている。その点祖母はさすがだ。まいが自慢の孫であることを声高に話す。その言葉はまいの母親に向けたものだったが、ドアの向こうにいるまいにも聞こえている。きっと祖母は、まいが聞いていることをわかったうえでこう言ったのだろう。

親は、子どもの将来を思って一生懸命だ。
不登校になった娘が道を踏み外さないように、うまく生きてゆけるように、きっと必死に考えている。けれどそれが子どもにも伝わっていて、娘を傷つけていることもあるのだ。今までは道を踏み外さないいい子だったから愛されていたのね。今はもう、そうではなくなってしまった。ごめんね、ママ。
違うのに、と母親になった私は思う。本当は、どんな我が子でも愛している。だけど生きやすい道を作ってあげようと、先回りをしたくなってしまうのも親心なのだ。

母親が完璧でなくても、そこにはそれをフォローしてくれる祖母がいる。子どもの未来を案ずる母親に対し、目の前の子どもをしっかり受け止めて、愛を伝えてくれる祖母がいる。完璧な母親ではない私は、こういう人の存在に安心する。

まいにとって、祖母は特別で完璧だ。
ふたりの間にはなんとなくしこりが残ったまま、まいは祖母の家を離れることになる。次に会ったときには、自分の気持ちを話して謝って、手の内を全部見せて、おばあちゃんに委ねてみよう……と決心する。
おばあちゃんなら、きっとなんとかしてくれる。すべてを受け入れて、何かよい道を示してくれる。そう思える存在があることはどんなに人を安心させることか。

だが祖母もまた、完璧な人間ではない。
いつも「外からの刺激に動揺しないように」とまいに言っているのに、まいと口論になって声を荒げてしまうこともあった。
「女の人は家にいて家庭を守るべきだ」という考え方は、まいのパパに言わせれば「今の時代の流れが分かっていない」。結婚しても仕事を続けることにした娘、つまりまいのママと揉めたこともあるらしい。

そのことにもまた、私は安堵する。
完璧な存在、自分のすべてを委ねてしまえる存在があること。しかしその存在もまた、完璧ではないこと。矛盾しているようではあるけれど。

今の私には、まいにとってのおばあちゃんのような存在がいるだろうか。母? 祖母? 叔母? まいのおばあちゃんとは完全には重ならない。自分が大人になると、そうした「自分が子どものころから大人だった人」の完璧でない部分が見えてくる。
思い返してみれば、幼いころは彼女たちが私にとっての「完璧な存在」だったかもしれない。どうしたらいいかわからないことを、洗いざらい話して助けを乞うた経験があるように思う。
母や祖母や叔母が完璧な人間ではないことに気づいたからといって、失望したり嫌いになったりすることはない。むしろその人間味が魅力なのであり、個性であり、私たちが他者と人付き合いをしてゆく理由になるのだろう。ただ、やはりあのころとは違う関係性になっているのかもしれない。大人対大人として、相手に全面的に寄りかかるのではなく、ある程度の節度と配慮をもって接する方が今は自然だ。

まいにおばあちゃんという存在があったことを、ひとりの読者として、ひとりの母親として、喜ばしく思う。願わくば息子にも、すべてを受け入れてくれると彼が確信できる、「完璧な存在」がありますように。私のことをそう感じてくれたら、親としてこんなに幸せなことはない。

ラストのシーンでは、祖母がまいとのある約束を果たす。しかも、まいのことをよく考えた、とても特別な方法で。
やはりおばあちゃんは、まいにとって完璧な、敵わない存在なのであった。

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