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私が「遅れ」を感じる瞬間

こんにちは!ず~~っと後回しにしていた確定申告、重い腰を上げてうりゃ~~っと終わらせたはるねずみです。

確定申告の締め切りは3/15ですが、実はその前に人と会う約束があり、当日楽しい気持ちで過ごすためにも「その日までに絶対終わらせておく!」と決めていたのです。

確定申告は「弥生の青色申告」というソフトで行いました!初のe-Tax、思わぬところで手こずり「これ、間に合わないんじゃ…」と血の気が引きそうになりましたが、無事完了!(;´∀`)

学生時代、夏休みの宿題は最終日の夜に泣きながら徹夜して終わらせていたタイプの人間です。「一言日記」みたいなの、とっくに記憶がなくなっていた夏休み前半の出来事をでっちあげてたの懐かしいなぁ・・・(おい)

そんな私なので、今回は確定申告前に約束があったおかげで、そこまでギリギリにならずに終えることができたわけです!そういう意味でも、会ってくれた方に感謝・・・!(言うなれば「お尻の火付け役」!?)


気づいたことを話したい!

な~んて雑談はさておき・・・
(久々のnoteなので楽しくてしゃべりすぎました。)


私のnoteを普段から読んでいただいている方であればお気づきかもしれないのですが・・・

私って、「気づき」がやたらと多いんですよね。

noteのつぶやき機能を使った投稿の半分以上は「気づいた!」「ひらめいた」みたいなことだと思います。

というか、人間毎日仕事や勉強、家事、育児などしながら、他人と関わったり自分と真剣に向き合ったりしていれば、何か気づいたりするもので、決して珍しいことではないのかもしれないです。

が、私の場合、その「気づき」を無性に誰かに話したくなるんです。

私の「気づき」の種類って、

・自分ができなかったことをできるようになる方法をひらめいた
・今まで自分になかった視点で物事を見られるようになった

というようなことなんですね。

私ってものすごく視野が狭い人間なんです。

自分の見聞きしてきたものしか信じられず、そうでないものは簡単に受け入れられません。今まではなんでも否定から入るような人間でした。

親しい人に相談に乗ってもらっても、いわゆる3D(「でも」「だって」「どうせ」)で、自分の理解や経験の範囲外にあるものは拒絶してきました。

でもそれが、ここ数年、自分が身を置く環境や周りにいる人たちの変化によって、色々変わってきたんです。

自分の知らなかった世界を知り、多様な生き方・考え方を見聞きして、そして今まで「どこにも居場所がない」と感じていた自分自身をも受け入れてくれる人達と出会えました。

自分の生きざま、考え方、欠点その他もろもろを受け入れてもらえたからこそ、相手のそれらを自分も少しずつ受け入れるように、狭かった視野(心)を広げていくことができたのだと思っています。

そんな中で、色々なことに気づけるようになってきたんです。私はそれがすごく嬉しいです。

自分にできなかったことができるということが、人間としての「成長」だと思っているからです。


何かに「気づ」いた私の脳内


私は現在33歳、今年34歳になります。

10代・20代の方からすれば「おばさん」と呼ばれてしまう立場です。それなのに「成長」なんて笑わせるな、と思われてしまうかもしれません(;´∀`)笑

ただ、今このnoteで「アダルトチルドレン」や「毒親育ち」などと自称しながら発信をしている自分のことを、似た境遇の方々や、それらに関心のある方が見守ってくれているんだと思うと、歩みは遅くとも少しずつ進んでいけているんだということを伝えたい気持ちに駆られるんです。

どんなにつらい境遇も、いくら言葉を尽くしたって、それを経験していない人に100%理解してもらうことは難しいですし、それを要求するのはお門違いかもしれません。

それに、人のそういう話を聞いて、同情する人はいても、楽しい気持ちになる人はあまりいないものだと思います。むしろ聞いていて疲れたり、共感しすぎて病んだり、不快になる人の方が多いかもしれません。

だから、できれば、「こんなつらいことがありました!」よりも、「これができるようになりました!」を発信したいんですよね。

それを一緒に喜んでくれる人が、自分が思っていたよりも沢山いるんだと気づけたからです。



私の気づき=世間の当たり前

と、最近ちょっと思いました。

私が何かに「気づ」くとき、私にとってそれはまるで「すごい大発見」のように感じて、「今すぐ伝えなきゃ!!」みたいなテンションになるのですが・・・

いざ、それを誰かに話した(noteにつぶやいた)ら、その後しばらくしてから、

「よく考えたらこれって他の人にとっては当たり前(今さら)なことだよね」

と、冷静に気づき直すことがあるんです。

そんなとき、「自分って遅れてるな」と少しだけ落ち込みます。

誰もが当たり前に考えて実践していることを、私は30歳過ぎた今気づいて、これから「練習」を重ねて「習得」していかなければならないんだな、と。

そしてそんな「気づき」をドヤ顔で公言していることが恥ずかしくなったりもします。



「できなかった自分」も認める!

う~ん・・・

でも、きっとそれでもいいんですよね(´∀`)

だってそれが事実だし、過去を捻じ曲げることはできません。今までできなかったこと・知らなかったことは、それはそうなんですから。

「フン!べ、別に昔からできてた(知ってた)もん!!」

って、鼻の穴膨らませて顔真っ赤にして言う必要なんてなくて、できなかったことを反省しつつ、今できるようになったことを誇らしく思えばいいのかな、と。


ただ、それは私の努力100%によるものではなく、それを教えてくれた(できるようにさせてくれた)環境や、周りの人達のおかげなのだということを忘れないことが大切なんですね。


いつも見守ってくれている方々へ、本当にありがとうございます。

どんなに遅くても止まらなければ進めると信じて、引き続きアンテナ張りながら生きていきます。



さいごに

「10km走らなきゃマラソンとは言えない!」

とか、自分の中で謎に厳しいルールを設けてしまうと、

「今日は体調悪い(疲れてる)からマラソンできないや~」

と堕落してしまいます。つまり走行距離0kmです(;´∀`)笑

それなら、ルールをもっとゆるくして、

「100mでもいいから毎日進もう!走らず歩いてもおっけー!」

とすれば、毎日ちゃんと10km走るより遅れは取りますが、それでもゆっくり進みながら違う景色が見られますもんね!


「完璧主義」っていうのは、ある意味自分に都合のいい言い訳なのかもしれません。

「ちゃんとやらなきゃやったうちに入らない」をサボったり先送りする口実にせず、ちょこちょこコツコツを習慣にできるように・・・頑張ります!😂


そして来年は余裕しゃくしゃくで確定申告するぞ~!💪

チャンチャン♪(よし、オチた?😎)


最後までお読みいただきありがとうございました!

また次回の記事でお会いしましょう!(*´ω`)ノ

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