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いま、ぼくがこどもたちに伝えたい「ぼーっとする技術」の話

日が暮れて、涼しげな虫たちの声に包まれている道草の家の2階から、「道草のススメ」、今日もお届けします。

今日も思いつきで、ザッと書きます。雑になる部分はお許しください。

秋の気配が濃厚になってきて、こどもたちの夏休みも終わる。この季節は、学校に行きたくない子、行きたいと思っている(らしい)けれど行けなくなる子、そのことで亡くなってしまう子もいて、社会的な問題になってると聞く。でも、その、ひとりひとりのこども自身にとっては、社会的な問題なんて何のこっちゃという感じでしょう。深刻に悩んでいる人なら誰でも、こどもでなくても、大人でも、社会的問題なんかなくて、自分自身の問題として闘っているのだから。

「学校なんか行かなくてもいいんだよ」と言うのは簡単だ。けれど、学校以外に行くところがないとしたら、その人(こども)自身にとっては、そう言われるのもきつい。

常日頃から思っていることだが、この社会には「お金を払わずに、安心して居られる場所」というのが、たいへんに少ない。都会では特にそうだ。人がつくった場所が多ければ多いほどそうだろう。

意図して、そうなっているわけだから、変えようと思えば変えられるはずだが、「そんなもんだ」としか思えない(つまり自分がそうしているという自覚がない)大人が、いまは大多数を占めてしまっていて、こどもたちには申し訳がない。

ぼくもきつかったよ。と、言うしかない。こどもの頃の話だ。

こども時代に戻りたいか? ときかれたら、絶対に嫌だ、とこたえるだろう。それどころか、ぼくは若い頃に戻りたくない。過去には全く戻りたいと思ったことがない。

あんな時代を、我が子も味わうのか? と思うと、やりきれない気すらする。しかし時代は変わって、マシになってる部分もあると思うし、さらに悲惨なことになっている部分もあるかも(というか、きっとそうですね)。

ただ、ぼくはもうこどもじゃない。学校とか、地域とか、そういうところに何らかのアクションは起こせる。自分だって何がわかってるわけでもない。他人のことをとやかく言う余裕もない(かもしれない)。ただ、問題を提起することなら、いくらでも出来そうだ。

問題を掘り起こしてゆく人でいたい。

そんな人はいまこの社会では排除される? しぶとくやるしかない。

ぼくがこどもたちに言えることは、ありきたりかもしれないが、本を読もうよ、ってことだ。

てきとーな読み方でいいよ。はじめから読まなくてもいい。さいごから読んでもいい。なんか真ん中付近のページから開くというのでもいい。はじめの方だけ読む、というのを、いろんな本でやってみるのでいい。図書館に行けばお金はかからない。気ままに読みな、と。

とりあえずはどんな本でもいい。少しでも気になる本があれば、それから読めばいい。

世の中には膨大な数の本がある。いまはとくに、売られる本というのは、つくられすぎていて、選ぶのは難しいかもしれない。「選ぶ」ために重要なことは何か? というと、ぼくは、とにかく「ぼーっとする」ことだと思う。

(売られてない本というのも、じつはたくさんあります。縁(えにし)があり、そんな本と出会えたなら、まずはそれを読めばいいのかもしれない。)

小学生を相手に話をした経験がぼくにはまだないが(これからあるだろう)、中高生を相手に「ことばのワークショップ」をやったことはあり、その時のぼくの素直な感想は、「みんな、忙しそうだ」ということだった。

ちょっと話をする間にも、隙間を埋めようとするように何かをしよう、しようとしている。

そこにいて、なんとなく遊んでしまったり、ぼーっとしたりしている人は、あまりいない。

(それでぼくは「ぼーっとするワークショップ」が要るな、と思った。)

何もしなくていいんだよ、と思う。が、何かしていなければ、と思わせているところがこのいまの社会にはないか。

夏休みには、学校はないのだし、退屈を味わってほしい。何もやることないや。ね? 暑くて、だるいし、退屈で、あ〜あ。というのでいい。というか、そういうのがいいなぁとすら思うのだ。

退屈を極めたら、本が読めるよ。たぶんね。そのとき、はじめて、本が読める。とすら、ぼくは言いたいのだ。

で、その本は、きっと将来、あなたを生かすよ。つまんねーな、でいい。ただの暇つぶしです。ぼけーっと読むのでいい。

難しいことが書かれているかもしれない。そういうのは、ざっと読んで、わかんねーなぁ、でいい。

すぐにわかることなんか、そうそう、ないからね。わかんねーな、という感想はおおいにありだ。わかんねーがわかればよい。でも、いつか、わかるからね。少なくとも「どうわかんないか」はわかる。

ぼくは、自分の読んできた本に、支えられて、生きられたという実感がある。すべての本とは言わない。でも、いろんな本をゴチャゴチャ読まないと、何が自分を救ってくれる本かは、わからない。あとからは何とでも言えるわけだ。

自分だけを愛し、一生結婚してくれる異性だけと出会うわけにはゆかない。それと一緒だ。

いろんな人と出会い、いろんな経験をすればよい。傷つくこともあるだろうし、人を傷つけることもあるだろう。でもそれを回避するな。怖いこともあるかもしれないが、それを避けていたら、喜びもない。

人は、本だし、本は、人だ。

本は人が書くものだし、人が読むものだから。

くり返すけど、そういう、出会いがほしければ、ぼーっとする時間をもつことだ。

何かしよう、しようと思うのをやめて、ぼーっとしよう。ぼーっとしたけど、面白い本との出会いなんかないよ? 焦らないで。そして妙な期待はしないように。ぼーっとすることは、ぼーっとすることだから。すぐに何か見つかるなんてことはない。10年後に振り返ってみたら、あれっ? って思うかもしれないけど。

でもさ、ぼーっとする技術が身につけば、しんどい時がどんなにあっても、ちょっと本が読めて、けっこう、ぼーっとすごせるよ。空がきれだなぁって妙に思えたりね。

(つづく)

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「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、8月27日。今日は、「虫たちとの一瞬の出逢い」の話。

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