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集団生活の闇

前書き

 私が集団生活をした経験から、これから集団生活を送る方・絶賛集団生活中の方・集団生活を送る予定はないが、どんなもんなのか興味ある方への記事です。(全て私の経験と見解で書かれており、科学的データがあるわけではないのでご注意ください)

≪!重要!≫

 *ここでの集団生活とはシェアハウスといった自分の部屋を与えられるような緩い集団生活ではありません。極めて抑圧的な環境で、食事・風呂といった生活を仲間と共にする集団生活を指しております。


期間で見る集団生活

 まずは集団生活を送る期間ごとに分類する。期間は非常に重要です。

①約半年

 約半年の集団生活は何も心配する必要はないです。ほとんどの人間は多少のストレスのみで終えることができます。全くストレスを抱えず、むしろ楽しかったという感情で終えることができる人も多数です。人間の本当の意味での汚さを見ることはほとんどありません。周りに迷惑かけないようにすこーーしの配慮は必要ですが、特に気構えることなく通常通り生活すれば問題ないです。


②約1年以上~

 ①が特に問題ないと言ったのは、人間の本当の意味での汚さが見え始めるのは約6か月を過ぎた頃がほとんどだからです。集団生活のストレスもあるでしょうが、何よりその人間の本質核となるものが剥き出しになります。
 生活を始めた当初は「なんて優しい人なんだ 牧場で草をハミハミしてそうな顔つきだ」 なんて思っていた人が、実はであったなど。

 集団生活において約6か月というのは非常に大きなターニングポイントです。人によっては約8か月を過ぎたあたりまで良い人間の仮面を被ることができる強者もいます。
 約8か月以上、集団生活において人間の核を剥き出しにしないのは不可能です。 

 つまり約半年以上の集団生活を送るのなら、自分の綺麗な所も汚い所も全て曝け出す覚悟をした方が自分のためです。
 「自分が性根の悪いクズ」だと自覚しているのなら、それを仲間に全て剥き出しにする必要があります。周りから見て自分は『良い人でいたい』という感情は非常に危険です。とてつもなく自分を追い込みます。

極めて抑圧的な環境で自分の感情・性格を殺して生活し続けると、結果として自分を"物理的"に殺そうとします。ようは自殺に繋がります。

それだけは絶対にダメです。 もったいなすぎる、どんなに汚い世界でもこの世界に生まれたのなら精一杯楽しまないと。

 以下からそんな②の集団生活の中で自分を追い込まない環境を自分で作る方法を書き連ねたい。集団生活に限らず、日常の人間関係でも使える方法なので必見です。

「良い人でいたい」とは何か?

 先程も書きましたが、集団生活において周りから見て自分は「良い人でいたい」という感情は非常に危険です。
 ここでのポイントは周りから見てという所です。集団生活以外の大多数の人間が送っている普通の日常でなら、周りから見て「良い人でいたい」という感情はごく普通だと思います。逆に周りから「変な目で見られたい」「嫌われたい」という感情を持っている人の方が少ないですよね。

 しかし集団生活では常に周りの目があります。食事をするときも寝るときも何か活動しているときも。ちょっとした自分の行動を周りは必然的に把握しますあくびした・昼寝している・トイレに行った等々
 その生活を長く送っていく中で、周りから「良い人に見られたい」=「良い人を演じる」というのは自分を追い込む考えでしかありません。始めの数か月は通用するでしょう。しかし極めて抑圧的な環境で、ありのままの自分を殺し、良い人を演じ続けるのは不可能です。必ずボロが出ます。これは必ずです。
 そうなった時に周りの人間は「あいつ良い人間だと思ってたのに~」という感情が芽生えます。この「思ってたのに~」という感情はどんなウイルスよりも早く周りの人間に伝染します。
 そして「良い人」を演じている人は周りのそういった感情を必然的に察します。「良い人」を演じる人に限って周りの感情を読み取るのが異常に早い傾向にあります。そしてまた自分を殺し続けます。

 負の悪循環で苦しみます。集団生活においてこの悪循環から脱却することは不可能とは言いませんが、限りなく不可能に近いです。その段階で集団生活を辞める決断ができれば良きです。辞める決断ができず、ズルズルとその生活を送り、行き着く先が自分を"物理的"に殺すという選択なのです。


自分を追い込まない環境を自分でつくる方法

 「良い人でいたい」=「良い人を演じる」という感情が猛毒であることは理解して頂いたはずです。では「ありのままの自分」でいよう! という短絡的な結論で終わるつもりはありません。とはいえ「ありのままの自分」でいることはもちろん大切です。その上で、
 自分を追い込まない環境を自分で作るために最重要なことは、『どんな小さな気持ちも言葉にする』です。

 集団生活を送っていると、仲間が脱いだスリッパの雑な並べ方にイライラしたりすることがあります。冗談のようですが、そんなミジンコ並みの小さなことでイライラしてしまうのです。“極めて抑圧的な環境”ですから、その1人のスリッパの並べ方が汚いせいで連帯責任なるものが発生することもあります。そうなってから「あの時言えばよかった」では遅いのです。自分が相手のスリッパの雑な並べ方にイライラするのなら、その場で伝えましょう。そこで重要なのは「伝え方です」

「○○さ~ お前のスリッパの雑な並べ方イライラするんだよね」

 これでは少し尖りすぎです。(笑)

「○○さ~ スリッパの脱ぎ方が芸術的なんよ(笑) ちゃんと並べないと怒られるよ~」

 どうでしょうか? ユーモアを交え伝えることで言葉に角が立たなくなります。大切なのは結果です。自分は相手のスリッパの並べ方を直してほしい。その結果に導けば自分のイライラは解消されるわけです。相手に角が立つ言い方でも・角が立たない言い方でも同じ結果が導けるのなら、角が立たない言い方をした方が利口です。
 「角が立たない言い方なんてめんどくさい」という方はストレートに伝えるのもありだと思います。ただその結果を受け入れる覚悟が必要です。


 集団生活では「たかが○○」の蓄積がどんどん膨らんでいきます。膨らんだ結果、その相手のことが人間として嫌いになります。殴り合いの喧嘩を何度も見て、止めましたが全て原因は「たかが○○」の蓄積です。

 なぜスリッパの話(実話)を例に出したのか。たかがスリッパと思ったかもしれません。そうです。たかがスリッパです。

しかしその小さい積み重ねを起こしてはなりません。分裂に繋がります。
 私は仲間によく伝えていたことがあります。
「俺はお前の直してほしい所を言うから、お前も俺に遠慮なく言ってほしい、陰で言われる方が嫌いだし意味ないから
 そんなにはっきりと相手に対して言えない人でも、これも伝え方です。自分なりの言葉で、「自分もあなたに言う、だからあなたも自分に言ってほしい」という気持ちをきちんと伝えるのは非常に大切です。


日向口

 陰口はないです。俗にいう「ここだけの話」はありません。日常生活でも同じでしょうが集団生活は特にありません。ですから「陰口が大好き」という人は集団生活を辞めた方が良いです。
 『自分を追い込まない環境を自分でつくる』で触れているように、大切なのは結果です。

 例えば、私がAさんのスリッパの並べ方にイライラしていることを陰でBさんに言います。 もしBさんがAさんに陰で私が言っていたことを、これまた陰で伝えた場合。私とAさんの間には小さい溝ができます。
 何にも良いことは生まれません。考えれば当たり前なのですが意外とこれが一番難しいかもしれません。“どんな小さなことでも陰口は絶対にダメです”
 これが抑圧された環境だと感覚も麻痺してきます。その時は自分を律しなければなりません。大切なのは結果。自分が思ったことは相手に伝えなければ意味はないのです。


 最後ですが、ホウレンソウの徹底も触れておきます。ホウレンソウとは知らない人のために、報告・連絡・相談のことです。実際に始めれば嫌でも身に付きます。それでも日常生活以上にホウレンソウが求められます。集団生活を送る上でとても重要な事なことなので徹底を心がけましょう。


 これらを心がけるだけで集団生活というのはがらりと変わります。集団生活する“物理的”環境を変えることはできませんが、その中でも仲間との人間関係という環境を変えることはできます。自分次第なのです。
 極めて抑圧的な環境なので、きついこともたくさんあると思います。しかし、そんな時こそ仲間の存在が大きくなるのです。



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