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‘Climate House’ − アートとサイエンスと園芸が一緒になってできること

一昨日から、ようやくスコットランドでもロックダウンの規制が少し緩和された。ロックダウン下での生活で気分のアップダウンは普通のことと思ってはいたけれど、ダウン期が長引いてつらいなと思っていた頃だったので、これには本当に助かる。イギリス中央政府のパンデミックマネジメントは医療機関でのPPEの不足や福祉施設での感染拡大などなど問題が多く、うまくいってるとは言えない。なのでスコットランドの慎重路線は良いとは思うけれど、いい加減コロナとどう付き合っていくかという未知な未来への模索を実践に移し始める段階だと思う。

きっと多くの人もそうだったように、ロックダウンはしばらく話してなかった友人に電話したり、両親といつも以上に連絡を取り合ったりするきっかけをくれた。結局のところ人とのコミュニケーション、そしてお互いを気遣い合ったり、何かを共有することが、自分にとって一番大切なのだという基本を再認識できたし、それを忘れないでいようと思う。

このパンテミックによって、これまでそれとなくやり過ごしていた世の中の問題のいくつかが、より鮮明に浮かび上がり、それと同時にその問題の根本にある事象も顕在化したように思う。
そして以前にここでふれたプラント・ブラインドネスについても、再考する機会になった。

というのも、イギリスでロックダウンが始まり、日本で緊急事態宣言が発令され、両国で人々の日常のいろいろが規制され始めてから、SNS上にはたくさんの人がアップした散歩で見つけた野草の写真や、お庭やガーデニングの写真などなど植物の写真がたくさんアップされるというグリーンで素敵な現象が起き出した。あくまでも私のSNSの行動範囲内の現象だがそれでも顕著だ。友人たちと植物や自然の話しをする楽しい機会もこの期間、圧倒的に増えた。
これって多くの人にとって日常そういうことにさく時間や、あえて人と共有してみるというきっかけがなかった、足りなかったということだったんだなと思う。

ここ数年、環境問題が語られる時や、植物園・博物館教育分野などを中心にいろいろな局面で用いられていたこの言葉’プラント・ブライドネス’っていったい、、、言葉の先走り、言葉の概念に世の中を当てはめていた感が否めない。ソーシャルメディアを見る限り、世の中には今、足元の植物や自然を生活の中で謳歌する人たちで溢れている。
そして私たちがブラインドネス状態に陥っていたのだとしたら、それは何も植物だけの話しだけではないだろう。
今回、世の中のいろいろな機能をいったん止めるはめになって、生活のペースをスローダウンすることが必然となったら、いろんなことが今までよりクリアに見えてきた。時間ややるべきと思い込んでいたことに追われ、抱えている違和感や憂いについてやり過ごしているうちに感覚が麻痺してしまい、結果いろいろなことがあたりまえのように日常化してしまうというコロナ以前の事象。それがこのパンデミックで奇しくも明らかになったということなのでは。
必要のない移動や消費や社会の慣習、それにともなう時間、資源、お金の浪費。国民の健康な生活に直結する基幹部分をないがしろにしてきた政治。色々な国でみられる政治家の暴言暴挙などなど。
私たちはたちどまって考える時間やきっかけが必要だったわけで、コロナをきっかけにいろいろな気付きや健全な怒りが表出している。
コロナ以前、私たちはいろいろなことに対する感覚麻痺=ブラインドネスが慢性化しやすい社会や経済の仕組みにどっぷりつかりきっていたのでは。少なくとも私はそうだった。何が本当に大切かという基本的な問いに対して、突然降って湧いた時間によって、やっと立ち止まって考えるようになったし、なによりもパンデミックが起こるなんてことには全く盲目であった。植物園界隈のネットワークでは外来種の害虫や病原菌による植物の危機は語られていたけれど、自分たちが直面する感染症の危機には完全にブラインドネスだった。

そしてこのパンデミック発生以降、以前よりも俎上に上がる機会が増えたイシューが環境クライシスだ。といってももっともっと認知され、悪化一途の状況を抑制する実践が切実に必要だ。
新型コロナウィルスは野生動物を起源とした感染症だと言われている。経済を中心とする私たちの様々な活動が環境を破壊し動物の生活圏を侵食し、野生動物と人の生活圏の接触が密になったこと、野生動物の違法取引などが原因として挙げられている。
そして私たちの日常的な行動の規制、たとえば交通量の激減が、CO2の削減、大気の浄化に貢献しているといったような、ニュースが時にデータに基くエビデンスとともに提示されている。
私たちの活動が環境にいかに直接的な影響を及ぼすことをこれまで以上に切実に体験して、また私たちが行動を変えることによって環境にポジティブな変化が起こりうるということを実感した今だからこそ、できること、変えられることをやっていこうという流れがメインストリームになるという希望的観測を私は持ちたいし、自分でできることをさらに模索し、実践していこうと思う。

私もふくめ、ひとはきっかけが大切なのだ。もっと問題を身近にパーソナルに捉えたり、切実に捉えるきっかけ。心が動くきっかけ。立ち止まって気になることを問い、もう一歩深く考え始めるきっかけ。

そんなようなことを思っていた矢先にエキサイティングなニュースが入ってきた。

エジンバラ王立植物園内にあるインバーリースハウスギャラリーがロンドンのサーペンタインギャラリーとのジョイントで新たなコンセプトで動きだすということ。このプロジェクトは従来のアートスペースの形からインバーリースハウスギャラリーをアーティストとサイエンティスト、ホーティカルチャリスト(園芸家)がそれぞれの専門領域を超えて協働し、エコロジー、環境クライシス、生物多様性の喪失というテーマについてアートを通じて、オーディエンスや地域を巻き込んだ踏み込んだコミュニケーションの機会を創出する、’Climate House’ という場に生まれ変わるというもの。
パンデミックの先行きがまだわからない中でなされたこのプロジェクト始動のアナウンスメントは強い意思の表明、マニフェストだと思う。


数々の局面でアートに心を揺さぶれたり勇気をもらい、また園芸家を職業としている私は、植物の力もアートの力も偉大であると確信している。だからこれは本当に必要で希望あるプロジェクトだと思うのだ。


*Top photo from www.org.uk


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