258.【SS】前前前前前前世
デジャヴという感覚に陥ったことがある人は多いのではないだろうか。
自分では知らないはずなのに、まるで一度体験したことあるかのように、一度見たことあるかのように感じる既視感のことである。
「デジャヴって、前世の記憶なんだよ」
つい信じてしまいそうになっていた子どもの頃。
そんなの、嘘に決まってるだろ。
そう思っていたのは、果たして何十年前のことだろう。
今となっては、それが真実に近いことを実感している。
思いを言語化できるぐらい大人になったときに自分で気がついたのだ。
僕には前世どころか、数世代前までの記憶が残っていることを。
「今夜が峠ですね……」
医師のような、研究者のような白衣を着た人物が何やら話しているのが聴こえる。
そうか、僕もいよいよ、現世とお別れか……。
もはや声を出すこともできず、僕は自力で身体を動かすこともできないでいた。
数日前、不慮の事故に遭って意識が朦朧とした重体になり、搬送されたのはいいがどうやらここから助かる見込みは少なそうだった。
こういうときに見守る家族もできないまま、約40年ほどの生涯を閉じようとしている。
この人生を終えるには若干早すぎる気もするが、特に悲しみや絶望はなかった。
現世が終わるだけで、来世があるからだ。
はるか大昔に流行ったゲームというもののように、現世をセーブして来世にロードするという、至極シンプルな記憶のやりとりで話は済む。
今や死ぬことは単に現世の終了であり、”この人間での人生”が終わるだけで、これから生まれる新しい命に現世の記憶をアップロードするのが当たり前になっていた。
前世の記憶は”残っている”のではなく、ほぼ人工的な命に記憶を転換して”残している”のだ。
ただ、記憶のすべてが引き継がれるわけではない。
成長と共にその断片を少しずつ少しずつ思い出していく。
徐々に前世の自分を思い出し、同時に新しい命で新しい思い出を作っていく。
数百年かけて世の中の倫理と道徳と常識が塗り替わり続け、今や人生とは、単一のものでなく複数的な存在となりつつあった。
死を延ばすのではなく、死そのものの概念を変える方向に時代は舵を切ったのである。
ということで、僕の脳内には、たくさんの記憶で溢れている。
思い出せる中で最も古い500年近く前でいうと、当時立ち並んでいた超高層ビル郡は、今では遺跡化、観光地化している。
さらにその数千年前のピラミッドの方が、数百年前の鉄筋の建物よりも頑丈なのだから、文明とは不思議なものである。
100年ほど前の海中都市にはすでに住む人はおらず、今や地底都市か火星に住む人口の方が多い。
インターネットという言葉はもうここ300年近く耳にすることはなくなっていた。
そして200年ほど前、AIがようやく人間の知能を超える「シンギュラリティ」が起こった。
その段階で、人とAIやアンドロイドの区別をつけることがいよいよ困難になり、世の中の人生観や生物観が根底から大きく変化してきた。
あの時代の人々の苦労は、現世が終わりかけている今でも鮮明に思い出せる。
ちなみに「シンギュラリティ」が予想されていたのは、当初は2045年。
もう数世代もの記憶を辿っても辿り着かないほど過去の話である。
「先生、彼は記憶の引き継ぎを許可している人間です」
看護師のような、研究者の助手のような人が告げると、医師のような男性は静かに頷いた。
「今どき、引き継がない方が珍しいよ」
ガチャ、と僕の頭の上で何やら音が鳴った。
何かを装着されたのか、何か被っているのか、五感が薄れている僕にはよくわからなかった。
ピッと短く澄んだ音がして、その直後耳ではなく直接脳内に言葉を打ち込まれたような感覚がした。冷たさや痛さなんてもうわからないはずなのに、氷の釘を差し込まれたような感触が、どろりと意識の中に残る。
この時間だけは、何度記憶の引き継ぎをしても苦手な瞬間だ。
「データ移行プログラムです。ただいま記憶を外部媒体に移行しています」
アンドロイドの声も人間の声も一緒のようなものだけど、このときばかりはなぜだか昔ながらの機械音声のような声色が響く。
これで、確か六代目になるこの人生が終わる。
現世は前世になり、記憶の最古は前前前前前前世になる。
人の脳のキャパシティは、記憶がいくつか入った程度では問題はないそうで、まだまだその底力は計り知れないらしい。
宇宙や海底と同じぐらい、何千年も研究が進んでいる分野だ。
「移行完了しました。個人情報を厳密に保管し、次回生成される命にランダムに転送されます」
バーチャルの世界に没入して、無限に生きる人もいると聞く。
宇宙に飛び出た人たちは光速に近い速度で移動しており、特殊相対性理論に基づきその分時の流れは遅くなるので、結果的に長生きするという。
人は、生き永らえたいのだろうか。
生きなければならないのだろうか。
そうするといつ、人は死ぬのだろうか。
死とは一体、何なのだろうか。
こんなことを考えるのは、きっと生物上人間だけなのだ。
だからこうして、「生」の形や在り方に雁字搦めになって、方法を変えていつまでもしがみついている。
こうした厄介な考え事の続きは、未来の人類に託そう。
もう僕には、時間がない。
耳の奥で、ピッという短い機械音が鳴った。
意識が消え去る直前に、無情な声が脳内に響く。
「それでは、よき来世を」
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「ショートショート書いてみた」共同運営マガジン投稿用の物語。
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