218.作家というけれど、どんな文章書いているの?
物語を紡ぎ始めたのは、中学二年生の頃です。
あの頃は超能力とか、魔法とか、そういったファンタジーが大好きでしたから(今も)、思いつくままに物語を考え、文章をせっせと書いていました。
ケータイ小説だったので、当時は紙に書くわけではなく、ガラケーに打ち込んでいました。
今はWordに書くことが多いですね。
一体、どんな文章書くのかというのは、電子書籍を見ていただければ最初のほんの数ページ載っているので、なんとなく知ることができます。
(ちょっと恥ずかしいけど。)
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ここで、数ページだけプレビューできるようになっています。
これはほとんどが大学四年生のときに書いた文章です。
文章力は読んだ本の数と影響を受ける作家さんで大きく変わります。
僕の場合は、圧倒的に中村航さんの影響を受けています。
文章や表現の端々に、僕の中で創られた中村航さん的表現が出てきているように感じます。
憧れの人の綴る世界に、少しでも近づきたいから。
美しい物語を紡ぐに値する人物になること。
人に響く多彩な表現ができるほどの経験を積むこと。
今はそちらに力を入れています。
文章も書かないと錆びる
僕が現役の野球少年だった頃、一日素振りをやらないと取り戻すのに三日かかると教わってきました。
高校生の頃はほぼ毎日素振りをしていました。
本当に一日やらないと勘が変わるので、三日退化するのが嫌すぎて毎日毎日バットを振っていました。
文章も、同じようなものだと思います。
それは小説にかぎらず、こういったnoteの文章も似ていると思っています。
昨年、毎日投稿していた時期がありました。
120記事~150記事ぐらいまではほぼ毎日ペースで書いていた記憶があります。
それからは少し、ペースを落としました。
構成を考えて書くようになったからです。
はじめに、見出し1、見出し2、まとめ、みたいな。
質を追い求めている感覚でした。
ただ、質というものは本来、量の中から生まれてくるものです。
意識的に質を求めて量を減らすというのは、あんまり意味がありません。
ということで、0にすることはなく細々と書き続けていました。
定期的に書くのは、文章の現役度を保つ行為です。
何もしないと落ちます。勘が鈍ります。言葉の精度が下がります。
下りのエスカレーターを上っているようなものです。
プロでも何でもないんですから、やらなければ落ちる。逆に言うと、やれば上がる。
一定の継続と圧倒的な努力によりプロと呼ばれるようになってからは、おそらくそんなことはないのでしょうが。
まるで小説を書くように、noteの記事を書く
noteでも、小説みたいに書くことはできます。
文章の特徴は、どうしても滲み出てきてしまうのです。
実は昨年には、昔書いていた短めの小説を小分けにして挙げていたこともあります。
こうして、なんだかんだ小説の世界には触れていたりもします。
時間は限られていますから、優先順位的に完全新作を手掛けるのはもう少し先になりそうですが。
直近で創っていた物語はこちらです。
社会人2年目か3年目ぐらいの文章と表現。
昔の作品を見ると、今の成長や変化は顕著にわかります。
当時そんなことを思っていたんだなぁ、というノスタルジックも感じます。
noteも同じですね。
ちょうど一年前に書いたのはこんな内容の記事でした。
めちゃくちゃ好きなボカロの曲についてでした。
記事にYouTubeのリンク貼っているので、ぜひ聴いてみてください。
今年も同様に、自分の歴史を書き記し続けます。
面白いですよ。
自分だけの、あの時だけの感情や思い出を、こうして残せること。
ブランディングの強化とスキルアップのためだけは決してなくて。
文章は、僕の人生の記録なのです。
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