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ウチの子に自己決定させたら何もやらない!について考えてみる

こんにちは!りょーさんです。

みなさんは、子育てしている中で、あるいは指導者として子供と関わる中で、子供に何かをして欲しい時に、「指示命令をする」「提案をする」のどちらが多いでしょうか?どのくらいの割合ですか?

自己決定シリーズを書いてきましたが、「本人に任せたら、やりたいことしかしないよ!」「ゲームし放題でいいの?」
親の立場から見たら、そんな不安がよぎってきそうです。
確かにその心配はありますね。

ただ前回書いたように、自己決定を大事にするって言うのは丸投げをするということではありません。

今回は、「自己決定させたら何もやってくれない!」について考察してみます。


指示命令をするにせよ…

たしかに指示命令が必要な時もあります。
ただ、その子の成長・発達段階や、置かれている状況によって、
・優先順位を大事にする(なんでも指示命令にしない)ってこと。
・さらに成長するに従って、基本的には減らす、いずれ手放すってこと。
・そして、日々の中でガミガミ言うってことは避けること。

こういったことは意識した方がいいと思っています。


歯磨きの指示命令、どうする??

たとえば、、、ですが、
歯磨きをするってことが習慣化しない小学校低学年のお子さんがいたとします。
以下のプロセスの繰り返しが必要です。

基本的には
・穏やかに声かけをする(歯磨きするよ)
・待つ(なかなか歯磨きしないとしても気にしないでスルー)
・必要なら声かけを繰り返す、穏やかに繰り返す(歯ブラシするよ)
・できたら、あるいは行動を始めたら、すぐに褒める(お、歯磨き始めたね! できたね!)

一般的にはこれを繰り返すことで定着します。
ペアレントトレーニング(ペアトレ)を学ぶとこんな感じです。ペアトレについてはまたどこかで書きたいと思っています。

ここに指示命令はありますが、怒鳴りつけるなどの「叱る」行為はありません。
指示命令はあったとしても判断を「待つ」プロセスがあり、動き出すのは本人に委ねられます(自己決定的な要素があります)。


人格否定のガミガミはやっぱりNG

やってはいけないのは、待っている間にイライラして「何回言ったらわかるの?!」「いい加減にしなさい!」と叱りつけた挙句、説教を始めることです。
イライラする気持ちもわかるし、時には叱りつけたくなることもあるでしょう。
そんな気持ちになったとして、それをもって自分を否定をしないで欲しいです。「ま、イライラはするよね、人間だもの」って気持ちでいて欲しい。「怒っちゃった、てへぺろ!」(死語)でOK!
ただ説教は始めてほしくない、声を荒げてしまったとしても、すぐ立ち止まる。そのあとに人格否定の説教を入れないで欲しいのです。

「あんたはいつも…ガミガミ」
「何回やってもできなくせに…ガミガミ」
「だからいつも言っているでしょ…ガミガミ」
これらは人格否定に近い。

人格否定は、親子の信頼関係を壊し、子供の自尊心を傷つけ、気持ちを言葉にする力を育むチャンスを失います。
さらに言うと、叱りつけられて仕方なくやる子は、多くの場合「叱られないとやらない子」になってしまう。

大人がよく言う「この子は叱らないとやらない」っていうのは、もしかしたら「叱るから(その時しか)やらない」なのかもしれないのです。
他者によるコントロールが強いと、そのようになってしまうことがあるのです。


高学年以降は指示命令よりも合意形成

さらに小学校高学年や中学生になっていくと、シンプルに「褒める」が効かなくなっていくことがあります。
子供が「俺をコントロールしようとしてるだろ」って感じるからなのかな?と僕は考えていますが、褒めればなんでもOKっていうわけでもないのです。

ペアレントトレーニングは発達に凸凹のある小学校低学年までが効果的と言われています。ただし、その理論自体は誰に対してもどの年齢でも(大人でも)応用可能だと思っています。

小学校低学年であれば「叱る」ことによって、言うこと聞くでしょう。
そのマイナスはとても大きいですが、その場しのぎのコントロールは可能です。
でも高学年くらいになると、「叱る」への反応が「反発する」になっていくかもしれません。
いわゆる「うるせえババア問題」です(今つくった造語です)。
「うるせえ!」「ババア死ね!」って言われる問題のことです笑
まあそれくらいなら全くもって健全なのですが、、、。

この段階で大事なのは「(丁寧な)合意形成」ではないかって僕は思っています。


合意形成って具体的にどのようにすれば??


丁寧な合意形成ってどういうことか?

それは以下を前提にします。
①子供に関することの最終決定権は子供にあるってことで、
②親子に関することの最終決定権は親子双方にあり、合意形成が必要ってことで、
③親に関することの最終決定権は親にある

たとえば、部屋が汚いってことについて、①から③に即して例えると、
①部屋が子供のものだとしたら、健康を損なうことや危険が伴わない限り、許容するしかありません(子供の問題です)。「部屋を片付けようよ」と提案したり手伝ったりすることはできても、合意なく勝手に片付けるのはNGです。

②部屋が双方のものならば、親としての許容範囲を伝え、子供に納得してもらうプロセスが必要です(親子双方の問題です)。その納得さえあれば、リビングのソファーに脱ぎ散らかした洗濯物は指示命令してもOKってことです。でも説教NG。

③部屋が汚いことで親がしなければならないことが滞ってしまうとしたら、それは介入してOKです(親の問題です)。たとえば、部屋が散らかっていることによって、必要な洗濯が終わらないなどがあれば、これは親がやるべきこととして介入することはOKだと思われます。ただし、これも合意と納得が必要だし、説教NGです。ただ約束通り「洗濯物を出しなさい」と穏やかに毅然と伝えればいいのです。

常に合意と納得が大事。
「納得」が大事!ってことは前も書いてました。

ポイントは合意と納得、そして信頼関係

大事なのは、(子供から見て)親の不当な介入を避けることであり、どこからが必要な介入でどこからが不当な介入であるかの枠組みに合意することです。
さらに言うと、自分で考えること、あるいは考え合うこと。
そしてそのプロセスを経て、納得することが必要
なのです。

そして合意と納得のベースとなるのは信頼関係です。
信頼関係がない中でガミガミ指示命令すれば、「うるせえババア!」よりももっと酷いことが起きるかもしれません。
そんなときに、するべきは合意形成の前に信頼関係の回復です。

そして、それは子供の声を聴こうとすると言うところから始まるのです。
(このnoteの初期のテーマに戻りました…)

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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