「ひと」と「ひと」として触れ合う
ひとを「ひと」として見る、しかも真っ直ぐに。それって良くも悪くもとってもエネルギーがいること。だけど、わたしにとってはとっても大切なこと。
そう気づいたのは、ある出来事があったから。
この前整骨院で施術をしてもらったとき、ちょっとアクシデントがあって、施術してくださってる方の意識がそちらにいったことがあった。
手はたしかにわたしのからだに触れている、、、でも、なんかちがう。
あ、そっか。
わたしをみてくれているようでみてくれていないからだ。(まぁ整骨院の人にここまで求めるのも違うのかもしれないが、、、)
なんていうか自分が「モノ」のような気がした。
わたしは「ひと」と「ひと」として触れ合いたい。
(まぁだから1:1で対応するお仕事になると料金が高くなるのはとても頷ける)
それは実際わたしが発信する側になってもとても実感する。
生徒全員に投げかける言葉ってなかなか響かない。
例えば目の前の生徒ひとりに向けてことばを投げかけたとて、その生徒自身のためのことばでないと全然響かない。
そういうのって大人より子どもの方がはるかに敏感に察知する。
でもだからこそ逆もすごく実感する。
ほんとうに相手に向かって投げかけたことばには、ちゃんと反応してくれる(喜ぶか、怒るかは置いておいて)
それがたまらなく嬉しい…!
やっぱりわたしは「ひと」と「ひと」として触れ合う瞬間がとっても好き。
まぁだからこその大変さはたくさんあるけれど(それは今日は置いておいて)
わたしにとってはそんなことがとっても大切。
そんなことを思う夜。
おまけ
とはいってもひとを「ひと」と見るセンサーを遮断した方がいいときもある。
例えば満員電車。
満員電車に乗っているときに「ひと」を意識しすぎてしまうととっても疲れてしまうから、できるなら意図的にそのセンサーをきってしまった方が楽。
上手に切り替えられるようになったらいいな。
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