感情解放と浄化

いま人生初めての韓ドラに興味津々です。
テレビで放映されるのを録画して観ていますが、もうじき最終話かな?というところで初めて知る韓国の文化に驚かされながらも、毎日笑って泣いて、なかなかに興味深い体験をさせていただいています。

日本語吹き替えで日本語字幕というのが惜しいところですが・・・是非原語でも楽しもうと今から計画しています。

笑いあり、涙ありで引き込まれるドラマ

さて、韓国のドラマは1作が日本の何シーズン分もある大作なのだそうで、だからこその人間模様が魅力なのだと解説されています。

番組タイトルはわかりませんが、以前ちらっとみたある番組ではかの有名な「愛の不時着」を見ている間に何度泣くかカウントした実験がありました・・・現実離れした出来事も描かれていますが、その中で人の感情が絶妙に共感できるところに韓国ドラマの魅力があるのかなと思っています。

そんなわけでストーリーとしては俯瞰しながらも感情的につられて涙が駄々洩れになってしまうドラマ。

ドラマや映画を見てたくさん泣いたり笑ったりすること、これは感情の解放なのでしょうか?

失恋したら映画を見てすっきりする?

よく漫画など見ていると、失恋した人は様々な行動をとります。
大人ならヤケ酒とか・・・髪を切ったり想い出の品を処分したり。

逆に思い出の場所に行って浸る人もいたり、失恋映画を観て泣きまくるという行動も定番なのかちょくちょく見かける気がします。

前者は麻痺、無視かな?
後者は想いが断ち切れない未練がましい行為にも見えますが、自分の感情を無視しようとしていない分健全な気もします。

そこ(感情)に留まることは無益に思えますが、自分に不要だと感じられるまでやり尽くすことも時には必要なことかもしれません。
なんでも本当に嫌になったら辞めずにはいられなくなるものですね。

涙に含まれるもの

で、泣けばすっきりするのか?
それは感情の解放なのか?
なにかが浄化されるのか?

肝心のそこですが、わたしはそうは感じませんでした。
ただつられて泣くだけではなにも変わらないに近いと思います。

ましてや、泣きながらドラマのストーリーを通してなにかに同化していたら余計に何も見えないし何も変わらないと思います。

例えるなら、失恋した主人公に共感して泣いていたらそこにあるのは自己憐憫かもしれませんね。
自己憐憫はなにも生み出しません。その時は外側のドラマで気が逸れていますが自分の問題に向き合ったときには何も変わっていない自分に気づくと思います。

漫画などでも泣きに泣いた主人公がそのまま人生を切り開いてハッピーになったりしません。少なくともわたしの見たストーリーでは。

涙がたくさん出ることと、内側の秘められた感情が解放されることは全くべつのことと考える必要がありそうです。

じゃあどうすれば解放できるのか?

涙はなぜ出るのか。
個人的に癒されていない感情があるのか?とか考えてみましたが、どうもそればかりでもなさそうです。泣き虫、と言ってしまうとアレですが、涙もろい人、単に涙腺が緩い人ということも影響しそうです。

でも決めつけては時期尚早。

自分の内側に起きていることを自分で観察することが必要だと思います。
そこで自分はなにを叫んでいるのか。

しゃくりあげるほど泣くのは高まる何かを感じているからこそです。

その時内側で動いている情動を抑えずに、感じ切って、それが表現しようとしているものを見届けてみませんか?

以前の記事で「内側の感情に名前をつける」という試みを提案したことがありました。
でもそんなに辞書に載っているような言葉にまとまるものばかりではありません。感情を無視し続けてきた人、こころの内側を外に表現することから逃げ続けてきた人は特にことばになるという事実すら信じがたいかもしれません。

このような人は、普段は周囲と仲良くできるなんの問題もない人です。
一見柔和な人だったり、とても明るい人だったり、気配りのできる人だったりすると思います。

思い当たる人は自分と照らし合わせてみてはいかがですか?

分析は必要ない

わたしは以前心理の専門を目指す道にいたこともあり、よく自分の感情を分析しようと試みていました。
分析というのはその感情の因果みたいな部分にフォーカスすることです。

でも、それは浄化、つまりその感情を手放すためには全く不要なのだと知りました。

分析というのはエゴが納得するための行為です。
起こることというのは納得しようとしまいとただそうするだけです。

チョコレートかバニラか選ぶのに理屈は要らないのと一緒です。
選べないとき人はカロリーがどうだとか理屈を捏ねますが、最終的にはそうしたいからしています。

単純にその感情が自分にあったこと、その哀しみや憎しみ、怒りを愛して抱え込んでいたことに気づいて。
そうだった自分を認めて。

「あぁ、そうだったんだなぁ・・・涙・涙・・涙・・・」

そうするとその同化していた自分の感情が自分の内側から離れて旅立つときが来たかのように、自分と感情の間にスペースができます。
その感情についてまだ一緒にいたいか手放すか、選ぶための空間みたいなものができるのです。

涙の違い

ドラマを見ていて涙駄々洩れの状態となにが違うのでしょう。

それは自分の意識がどこにフォーカスしているか、です。
そしてそのことを自覚しているかということです。

分析は必要ないですが、自分の内側の感情の動きに目を止めて、無自覚に飲み込まれるのではなく観察してあげること。

観察によってその感情は「対象」、つまり「自分自身ではないもの」になります。
それが感情との同化を解くカギです。

駆り立てられるように生きる人生にさよならを

お読みくださっている方がどのような動機で、意図でこの記事をお読みくださっているのかわかりません。

感情の浄化は一時期ホットなワードだったかな?と個人的な印象ですが、感情の浄化はなぜ必要なのでしょう?

それはなにをもたらすのでしょう?

わたしは駆り立てられるような人生から離れられる、ということのような気がします。
タロットの戦車がふと浮かびましたが、自分の意図した人生を歩みたいなら、舵をとらねばならない、と理屈ではこうなります。

その舵とはなんでしょう?

わたしはクリアな意図とそれを表現するすべてだと思います。感情によって暴走していては妨げになるのではないでしょうか?

今日はわたしのドラマ雑感から記事を書きましたが、どなたかの映画&ドラマライフに新しい視点・彩りが加わるならそれもまたたのしいことかと思います。
わたしもクライマックスまで楽しみます。

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お写真はHanaKokoroさんからお借りしました。
とても美しい秋の長雨の情景です。全体が入らないのが惜しい・・・是非とも全体の写真をご覧になっていただきたい美しさです。
しっとりした涙の表現をありがとうございます。

ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡ お預かりしたエネルギーが人と地球のために廻っていくよう活動します!