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トランペットが難し過ぎたから勉強できたこと

トランペットを初めて知った時の感動は今でも忘れない。滑らかな曲線、光に反射して輝く美しい姿。遠くどこまでも響き渡るような雄大な音。それは7歳の私にとってまさに衝撃的な出会いだった。楽器を初めて手にしたのが11歳。そこから楽しくも苦しいトランペット人生が始まった。

たくさん練習をし試行錯誤を重ねた。多くの美しい音色を知り、また多くの美しい音楽を知った。しかし自分のサウンドはいつまで経ってもそれらとは似ても似つかない酷いものだった。やがて周りに自分よりも優れたライバルたちが次々と出現した。私は落ち込み、嫉妬した。そのような状況ではあったが希望は捨てず、教則本を読み奏法を学び、優れた奏者の話を聞いては試した。

様々な経験を積み重ね、思い通りに吹くことの出来ないままではあったが、私はジャズトランペット奏者となった。そしてさらに優れた音楽家たちと出会い、物凄い距離を感じながら、それでも諦めず努力を続けた。いつもいつまでもトランペットの難しさと格闘していた。

頭の中で作ったイメージを音楽(うた、メロディ)として表現する際に、楽器のコントロールが不自由だと当然表現の幅が狭くなり、それに続く次のイメージの幅がさらに狭くなる。それでも音楽は続くので、出来る範囲でなんとか制作しようとする。結果、貧相な音楽が生まれる。私は不器用で頑固な性格なので、そのような状況にあることを活かしてむしろクリエイティブな方向に進む、ということも出来ずひたすら苦難の道を選んで歩き続けた。

弱点だらけのサウンドなので、人からいろいろ言われる。頭の中で意味のある意見とそうでないものが乱立し混乱する。やがて思考がその中の「ネガティヴな言葉」にこだわるようになる。そうして臆病に音楽をするようになる。でも時々出会うとんでもない感動をエネルギー源にして私は音楽をやめずに続けた。時間が経ち、この過程にこそ尊い意味があるということを思い知るまでその苦しみは続いた。

40代になって試行錯誤の成果が出始めてきた。「力の抜けた」「自然体の」形について具体的なイメージが生まれてきた。それと同時に楽器が鳴るポイントが見つかり始めた。気持ちの良い瞬間を多く感じられるようになってきた。失敗をたくさん繰り返したおかげで、一度確立した(と思われる)考えや方法を簡単に捨てまたやり直す、ということに対して全く怖れなかったことがとても助けになった。

50代になり、今チャレンジしているいくつかのプロジェクトのために技術面での飛躍的な向上が必要となった。しかしこれまでと違って、そのための研究は思いのほか楽しく、「明るく努力をする」気持ちの良さをたくさん味わった。そして大雑把に言ってしまうと、今やっとトランペットの吹き方が分かった。

以下は、あくまでも私のための極めて個人的な方法論だが、具体的に文字にしてみるとこのような感じになる。
①振動帯である上唇の形状や硬さを変えないようにするために「上唇周辺を素顔のままで」維持する。
②腹式呼吸は空気の供給を安定させるためと意識し、それに徹する。(音程の上下にあまり加担せず、横隔膜を一定の力で上に押し上げる感じ。)
③音程は舌の動きを中心に作る。舌を使って口内の容積を変えることで空気のスピードを調節し音程を作る。その際に舌の形が鍵になる。舌を単純に上下させるのではなく、容積を狭くしたり広くしたりするときの形が重要。無理なく音程が変わる舌の形を探し、自在に操れるようにする。以上の考え方をコントロールの中心に置き、音質に気を配りながら自分にとっての「美しい」音を作る。(その美しい音を知るには、音楽にたくさん触れ美しさを感じることがとても大切。)

・・・という風にまとめてみたが、実際には長い年月をかけてこの様なことを自分で探求・発見して、初めてその人の中で活きてくるのだなとしみじみ思うのである。

これから先も、努力の過程にある「素晴らしい何か」を感じながら死ぬまで楽しく研究・制作を続けようと思う。




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原朋直 (Tomonao Hara):音楽家/ジャズトランペット奏者/作曲家  Official site: https://tomonaohara.com

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