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「諦める」ことは、必ずしもネガティブなことだけではなく、時には必要なこと

みなさん、こんばんは。今日は「積極的な」諦めは、時には必要なこと、ということについて書きたいと思います。

みなさんは、何かを「諦めた」ことって、ありますか。全くない、という方はいないかもしれませんね。

私も、過食嘔吐が辛過ぎて、厳しい就活を経てやっと入った会社を諦め(辞め)、

拒食症気味だった時には「自分だけは絶対に太らない」と思い込んでいた「幻想」を諦め(結果的にその時よりは太った)、

仕事が忙しかったり、精神的に落ち込んでいたりすると、毎日毎日やらなくてはいけない(と勝手に決めている)マイルールをこなすことを諦め(ショートカットバージョンにする)・・・

人生、諦めることもたくさんあるなぁ・・・と思ったりしています。

一般的には「諦めなければ、いつか必ず実現する」みたいなことを言われたりしますが、摂食障害真っ只中のみなさんの場合は、何かを「諦める」ことも大切な場合があるのではないかと思っています。

何度か記事にもしていますが、摂食障害のみなさんは「完璧主義」的な性格の方が多いと思っています。

そんなみんさんは、どちらかというと「思いつき」や「直感」で物事を始めたり、行動したりすることは少ないと思います。

それに加えて、「事前の準備や失敗を回避するための気遣い」を極端に怠ることは、おそらくない(出来ない)と思います。 ⇩

そんな「事前の準備」も「物事の進め方」も完璧(のはず)のみなさんが「諦めなければならない」と感じること、これはそもそも設定に無理があるのだと思います(ハードルが高すぎるマイルールを設定している)。

ですから、そんな時には

「自分の限界を身をもって認識することが出来る、いい機会だった」

と思っていただけると、ほんの少しでも気持ちが落ち着くのではないかと思います。

私も、以前ネットで

「脳科学者の茂木健一郎氏が、ダイエットのために、1日200回腕立て伏せをやっている」

という記事を読んでから、

「そんな年上のおじさん(失礼いたします)に出来るのなら、自分に出来ないはずはない」

と思い、腕立て伏せを始めました(私の場合は、ダイエットというより肩甲骨周りを活性化させて代謝を上げたい、という理由でしたが・・・大きな意味ではダイエットに含まれるかもしれませんが)。

それから、少なくとも5年以上は経ちましたが、未だに200回には到達出来ていません。

もともと筋肉質ではない自分には、無理なのかもしれません。自分の限界、というか出来る範囲ということが身をもってわかったので、これからも「出来る範囲で」続ければいいのかなぁ・・・と思っています。そして、いつかは200回出来たらいいな・・・くらいに思うことにしました。

「諦める」ことに「積極的な」意味付けが出来れば、それは前向きな諦めなので、時には必要なのではないかと思います。


今日もありがとうございます。

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